Re: 日本が母であった?鬼子母神も母だった
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/09/30 22:50 投稿番号: [12852 / 41162]
>その永野さえ、「この国をよく旅行し、よく知るようになるにつれて、戦争中に日本軍がフィリッピンで行った数多くの悪魔のような蛮行と残虐行為を知るようになった。私はその時、あまりのショックに私の同胞によって本当にその様なことが行われたことを信じることは出来なかった。
作り話が多かったから、信じることが出来なかったのは当たり前なのさ。
日本が占領したアジアでは殆どが日本の側についていたが、唯一フィリピンだけはアメリカ派と日本派で大きく分かれて激しく激突した。
永野も、アメリカやアメリカ派の創作を知らされたんだろ。
――――――――
フィリピン 親米の歴史教育 見直しの声
太平洋戦争の激戦地フィリピンで、日本軍の敗退を決定付けたダグラス・マッカーサー連合軍西南太平洋総司令官のレイテ島上陸から二十日で六十年。フィリピンでは米国による「解放」を記念し、長年の友好関係を再確認する日だが、「米植民地時代のフィリピン人弾圧の隠れみのになっている」などと親米一辺倒の歴史教育の見直しを求める声が出ている。論客の一人、フィリピン大のロランド・ボリナガ教授に聞いた。
■ボリナガ教授に聞く■
「日本占領下の太平洋戦争ではフィリピン人の十七人に一人が死んだ。だが、米植民地主義と戦った比米戦争では六人に一人が亡くなったのだ」
タクロバンの研究室でボリナガ教授は数字を挙げ、米支配下で犠牲者がいかに多かったかを強調した。
十六世紀にスペインの植民地となったフィリピンは十九世紀末、中南米の対スペイン独立運動に触発される形で独立の機運が高揚。一八九八年の米西戦争で宗主国が米国に代わった後も反植民地闘争は比米戦争として続いた。
米軍は一九〇二年まで、最大七万の兵力を投入しエミリオ・アギナルド率いるフィリピン軍やゲリラ部隊と戦った。ゲリラに協力する村を焼き払い、捕虜を水攻めにしたとも言われる。
だが、フィリピンの歴史教科書には一九七〇年代まで、比米戦争に関する記述さえなかった。「日本がフィリピンを占領する一九四二年以前、教育相はすべて米本土から送り込まれた米国人で、教科書も米国の史観に沿ったものだった」からだ。その影響は独立後も長く残った。
現在も教科書は米国に好意的だ。米国の植民地支配すら「米国人の統治は、それまで(のスペインの統治)とは違い、好ましいものだった」(小学五年生用教科書)とし、日本に関する「日本人は市民のコメ、その他の食料、家財を奪い、女性を辱めた」(同書)などの表現とは対照的だ。
ボリナガ教授は「教科書に日本人が敵で米国人が友達だと書いてあるのだから、子供たちは当然そう信じる」と話し、二年後に予定される教科書改訂に向け、内容刷新の必要性を訴え、世論を盛り上げたいとしている。
二十日、タクロバン南部パロのマッカーサー総司令官の上陸地「レッドビーチ」で行われる記念式典には連合軍の退役軍人など約千四百人が参加する。フィリピン政府は、六十年の節目を盛大に祝いたい意向だ。
――――――――
>フィリッピンにとどまらず、日本軍の占領し、支配した各地における普遍的な事実である賠償等が民間人の手に渡った例は乏しく、それらの被害は何の償いもないまま封じ込められている。
実際問題として日本軍が占領した各地において日本軍が民間人に賠償するようなことをしていなかったのだから何の不思議もない。
作り話が多かったから、信じることが出来なかったのは当たり前なのさ。
日本が占領したアジアでは殆どが日本の側についていたが、唯一フィリピンだけはアメリカ派と日本派で大きく分かれて激しく激突した。
永野も、アメリカやアメリカ派の創作を知らされたんだろ。
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フィリピン 親米の歴史教育 見直しの声
太平洋戦争の激戦地フィリピンで、日本軍の敗退を決定付けたダグラス・マッカーサー連合軍西南太平洋総司令官のレイテ島上陸から二十日で六十年。フィリピンでは米国による「解放」を記念し、長年の友好関係を再確認する日だが、「米植民地時代のフィリピン人弾圧の隠れみのになっている」などと親米一辺倒の歴史教育の見直しを求める声が出ている。論客の一人、フィリピン大のロランド・ボリナガ教授に聞いた。
■ボリナガ教授に聞く■
「日本占領下の太平洋戦争ではフィリピン人の十七人に一人が死んだ。だが、米植民地主義と戦った比米戦争では六人に一人が亡くなったのだ」
タクロバンの研究室でボリナガ教授は数字を挙げ、米支配下で犠牲者がいかに多かったかを強調した。
十六世紀にスペインの植民地となったフィリピンは十九世紀末、中南米の対スペイン独立運動に触発される形で独立の機運が高揚。一八九八年の米西戦争で宗主国が米国に代わった後も反植民地闘争は比米戦争として続いた。
米軍は一九〇二年まで、最大七万の兵力を投入しエミリオ・アギナルド率いるフィリピン軍やゲリラ部隊と戦った。ゲリラに協力する村を焼き払い、捕虜を水攻めにしたとも言われる。
だが、フィリピンの歴史教科書には一九七〇年代まで、比米戦争に関する記述さえなかった。「日本がフィリピンを占領する一九四二年以前、教育相はすべて米本土から送り込まれた米国人で、教科書も米国の史観に沿ったものだった」からだ。その影響は独立後も長く残った。
現在も教科書は米国に好意的だ。米国の植民地支配すら「米国人の統治は、それまで(のスペインの統治)とは違い、好ましいものだった」(小学五年生用教科書)とし、日本に関する「日本人は市民のコメ、その他の食料、家財を奪い、女性を辱めた」(同書)などの表現とは対照的だ。
ボリナガ教授は「教科書に日本人が敵で米国人が友達だと書いてあるのだから、子供たちは当然そう信じる」と話し、二年後に予定される教科書改訂に向け、内容刷新の必要性を訴え、世論を盛り上げたいとしている。
二十日、タクロバン南部パロのマッカーサー総司令官の上陸地「レッドビーチ」で行われる記念式典には連合軍の退役軍人など約千四百人が参加する。フィリピン政府は、六十年の節目を盛大に祝いたい意向だ。
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>フィリッピンにとどまらず、日本軍の占領し、支配した各地における普遍的な事実である賠償等が民間人の手に渡った例は乏しく、それらの被害は何の償いもないまま封じ込められている。
実際問題として日本軍が占領した各地において日本軍が民間人に賠償するようなことをしていなかったのだから何の不思議もない。
これは メッセージ 12825 (yominokuni56 さん)への返信です.