日本が母であった?鬼子母神も母だった。
投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2006/09/30 07:53 投稿番号: [12825 / 41162]
>ククリックド・プラモード
(タイ国元首相
)
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」
何処の国にも、無知な人間はいるものであるね。
日本にも元総理が言ってたな、、
「罪を憎んで、人を憎まず、、これは中国の諺だ、、靖国参拝して、何が悪い、」、って、被害者が言う言葉を、、加害者が言っちゃったりして、世界の笑いものになった日本国総理もいたね(笑)
自分の子供を殺した、鬼子母神も、やっぱり、母だったんだよ(笑)
池田小学校で学童を包丁で殺傷した、犯人が言ったならば、被害者家族は、、なんて思うだろうね(笑)
講和条約での戦時賠償問題は第14条で規定されている。
「戦争中に生じた損害および苦痛に対して」日本は賠償を支払う義務を明記している、しかし 完全な賠償を支払うためには 日本の資源が不十分であると云う理由で倍署は要求国との個別交渉により、例えば沈没船の引き揚げなどの役務の形で日本が支払う事が規定された。
戦時賠償請求を希望したのはアジアの四カ国だけであった。ビルマ(一九五四年)フリッピン(一九五六年)インドネシア(一九五八年)南ヴェトナム(一九五九年)との間で賠償協定が結ばれて連合国の内講和条約締結国との間では賠償問題は決着をみた形となった。
賠償額と内容を敗戦国日本との協議できめると云う方式は対日講話の条約の大きな特色であった。
賠償請求国の要求は、当初 約三〇〇億ドルに達し、難航していた、しかし結局は日本が二一年間で支払った賠償額の合計は一〇億一二〇八万ドル、準賠償と言うべき無償経済協力金四億九五七六万ドルを加えても、一五億ドルあまりにしか過ぎない、国民一人あたり五〇〇〇円ほどの金額である。
支払の実態を見ても、講和条約に規定した役務賠償は次第に現物賠償となり、最終的には資本財による支払の形をとって結果としては日本の重化学工業製品の東南アジアへの販路を切り開く役割と担った。戦争被害を受けた個人に支払われた例は少なく乏しい。賠償は戦争でうけた被害に対する保証と言う正確をうすめ、日本の経済大国としての成長を促す梃子として使われたのである。
フィリッピンの賠償交渉役であった永野護は賠償交渉が終局を迎えつつある一九五六年一月フィリッピン上院は政府代表に擬せられた永野の任命を外交上、「好ましからざる人物」として拒否した。彼は明治以来の拓殖資源南進論者と異ならない発想の持ち主と評される人物であったしかし、その永野さえ、「この国をよく旅行し、よく知るようになるにつれて、戦争中に日本軍がフィリッピンで行った数多くの悪魔のような蛮行と残虐行為を知るようになった。私はその時、あまりのショックに私の同胞によって本当にその様なことが行われたことを信じることは出来なかった。
このようなフィリッピン人民に対する非人間的な残虐行為に対し金銭によってはいかなる罪の償いも適当ではない。金銭によっては、決して測れないからである。従って我々がこの件を金銭の問題として論じることは、ほとんど犯罪に近い。日本人は心の底から神に祈る以外に償いの方法はない。」
ほとんど犯罪に近い、、? 明らかなる犯罪であったと思うけどね
フィリッピンにとどまらず、日本軍の占領し、支配した各地における普遍的な事実である賠償等が民間人の手に渡った例は乏しく、それらの被害は何の償いもないまま封じ込められている。
被害回復の措置
1.敗戦国経済を含む国際的な経済システムの再編、復興を計る。
2.違法な戦争行為によって生じた損害に対して、その行為に責任ある国家が支払うのが原則である、戦争法規違反のみならず、非人道的行為の被害、民間人の被害も含まれるものである。
対日講和条約による賠償問題処理は第一の側面が優先し、第二の側面が閑却されている。ジョン フォスター ダレス は「日本をアジアの工場とみなし、日本と貿易する以外に経済を発展させることは出来ない。ことを悟らせる事が肝要と考え、賠償問題をリンクさせることとし、現物の生産物で賠償を支払うよう要請した」、彼の思惑は賠償をうける側をなだめると共に、彼らを進行中の新しい関係につなぎとめることであった。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。」
何処の国にも、無知な人間はいるものであるね。
日本にも元総理が言ってたな、、
「罪を憎んで、人を憎まず、、これは中国の諺だ、、靖国参拝して、何が悪い、」、って、被害者が言う言葉を、、加害者が言っちゃったりして、世界の笑いものになった日本国総理もいたね(笑)
自分の子供を殺した、鬼子母神も、やっぱり、母だったんだよ(笑)
池田小学校で学童を包丁で殺傷した、犯人が言ったならば、被害者家族は、、なんて思うだろうね(笑)
講和条約での戦時賠償問題は第14条で規定されている。
「戦争中に生じた損害および苦痛に対して」日本は賠償を支払う義務を明記している、しかし 完全な賠償を支払うためには 日本の資源が不十分であると云う理由で倍署は要求国との個別交渉により、例えば沈没船の引き揚げなどの役務の形で日本が支払う事が規定された。
戦時賠償請求を希望したのはアジアの四カ国だけであった。ビルマ(一九五四年)フリッピン(一九五六年)インドネシア(一九五八年)南ヴェトナム(一九五九年)との間で賠償協定が結ばれて連合国の内講和条約締結国との間では賠償問題は決着をみた形となった。
賠償額と内容を敗戦国日本との協議できめると云う方式は対日講話の条約の大きな特色であった。
賠償請求国の要求は、当初 約三〇〇億ドルに達し、難航していた、しかし結局は日本が二一年間で支払った賠償額の合計は一〇億一二〇八万ドル、準賠償と言うべき無償経済協力金四億九五七六万ドルを加えても、一五億ドルあまりにしか過ぎない、国民一人あたり五〇〇〇円ほどの金額である。
支払の実態を見ても、講和条約に規定した役務賠償は次第に現物賠償となり、最終的には資本財による支払の形をとって結果としては日本の重化学工業製品の東南アジアへの販路を切り開く役割と担った。戦争被害を受けた個人に支払われた例は少なく乏しい。賠償は戦争でうけた被害に対する保証と言う正確をうすめ、日本の経済大国としての成長を促す梃子として使われたのである。
フィリッピンの賠償交渉役であった永野護は賠償交渉が終局を迎えつつある一九五六年一月フィリッピン上院は政府代表に擬せられた永野の任命を外交上、「好ましからざる人物」として拒否した。彼は明治以来の拓殖資源南進論者と異ならない発想の持ち主と評される人物であったしかし、その永野さえ、「この国をよく旅行し、よく知るようになるにつれて、戦争中に日本軍がフィリッピンで行った数多くの悪魔のような蛮行と残虐行為を知るようになった。私はその時、あまりのショックに私の同胞によって本当にその様なことが行われたことを信じることは出来なかった。
このようなフィリッピン人民に対する非人間的な残虐行為に対し金銭によってはいかなる罪の償いも適当ではない。金銭によっては、決して測れないからである。従って我々がこの件を金銭の問題として論じることは、ほとんど犯罪に近い。日本人は心の底から神に祈る以外に償いの方法はない。」
ほとんど犯罪に近い、、? 明らかなる犯罪であったと思うけどね
フィリッピンにとどまらず、日本軍の占領し、支配した各地における普遍的な事実である賠償等が民間人の手に渡った例は乏しく、それらの被害は何の償いもないまま封じ込められている。
被害回復の措置
1.敗戦国経済を含む国際的な経済システムの再編、復興を計る。
2.違法な戦争行為によって生じた損害に対して、その行為に責任ある国家が支払うのが原則である、戦争法規違反のみならず、非人道的行為の被害、民間人の被害も含まれるものである。
対日講和条約による賠償問題処理は第一の側面が優先し、第二の側面が閑却されている。ジョン フォスター ダレス は「日本をアジアの工場とみなし、日本と貿易する以外に経済を発展させることは出来ない。ことを悟らせる事が肝要と考え、賠償問題をリンクさせることとし、現物の生産物で賠償を支払うよう要請した」、彼の思惑は賠償をうける側をなだめると共に、彼らを進行中の新しい関係につなぎとめることであった。
これは メッセージ 12818 (deliciousicecoffee さん)への返信です.