Re: 南京大虐殺 松井石根大将の証言
投稿者: monkeybrain132 投稿日時: 2006/08/20 07:02 投稿番号: [11870 / 41162]
引用の「松井石根の口述書」の解釈については、
http://ww1.m78.com/topix-2/matsuiiwane.html
も参考になるのでは。
>松井は終始、責任は師団司令部以上にあると認識し、兵士に責任を被せていないことに注意すべきだろう。用語として兵と軍人を分けている。松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。(11862)
が松井の口述書引用の直後に直接くっつけてあるが、だれの言葉なのだろう。上記
http://ww1.m78.com/topix-2/matsuiiwane.html
にそっくりそのままの文章があるが。
それから、
>予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
因みに南京陥落当時、予は南京を去る40哩の蘇州に於いて病臥中にて、予の命令に拘わらず、之等非行の行われたることにつき之を知らず、又、何等の報告に接せず。17日、南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめたり。(中略)
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。(引用終わりーーmonkeybrain132)
これによると当時(東京裁判以前)松井が実際に関知、聞知していたのは「一部若年将兵」の非行(暴行)と「若干の不法事件」だけで、前者については入場式直後に部下に命じて厳重に調査、処罰している。後者については、「昭和13年2月まで上海に在任」中に「噂を聞知」したにすぎない。松井はこういうことを大いに恥じて泣いて怒っている。実直良心的な人物であったらしい。
彼は東京裁判ででてきた寝耳に水の南京大虐殺を検証もなしに(彼の置かれた状況ではできるはずもなかっただろうが)受け入れてしまっているようだ。これも彼のバカ正直で良心的な性格が大きく与っていたのではなかろうか。すでに「一部若年将兵」の非行(暴行)や「若干の不法事件」について報告や噂を聞いていたことも彼の「受け入れ」に影響したであろう。東京裁判当時の松井の頭のなかは捕虜大量不法殺害と南京市民大虐殺の区別がはっきりできていなかったようだ。
だから、1948年12月9日処刑前の松井の花山老師への述懐、
>南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
は、いわゆる南京大虐殺(無辜の市民30万人以上虐殺)の証拠としては非常に弱いと思う。市民大虐殺については、松井自身は当時目撃もしていないし報告も受けていない。捕虜大量不法処刑については松井の証言はある程度参考になると思う。しかし、東京裁判以前は不法処刑については「若干の不法事件」として伝聞してはいただけではなかろうか。現在かなりの調査が進んで相当数の捕虜不法処刑があったことは事実のようで、東京裁判処刑前の松井の認識と一致しているようだ。
要するに「松井石根の口述書」が強く証明しているのは「一部若年将兵」の非行(暴行)と「若干の不法事件」が実際にあったようだということではなかろうか。
偕行社の証言については次の投稿で。
http://ww1.m78.com/topix-2/matsuiiwane.html
も参考になるのでは。
>松井は終始、責任は師団司令部以上にあると認識し、兵士に責任を被せていないことに注意すべきだろう。用語として兵と軍人を分けている。松井は南京における非行と捕虜虐殺(不法行為)は明確に軍人(参謀を中心とする将校)に責任があると認識していた。兵のせいにしているのはエリート参謀将校たちである。(11862)
が松井の口述書引用の直後に直接くっつけてあるが、だれの言葉なのだろう。上記
http://ww1.m78.com/topix-2/matsuiiwane.html
にそっくりそのままの文章があるが。
それから、
>予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ。これ予の甚だ遺憾とするところなり。
因みに南京陥落当時、予は南京を去る40哩の蘇州に於いて病臥中にて、予の命令に拘わらず、之等非行の行われたることにつき之を知らず、又、何等の報告に接せず。17日、南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰を為さしめたり。(中略)
予は南京陥落後、昭和13年2月まで上海に在任せるが、其間、昭和12年12月下旬、南京に於いて只若干の不法事件ありたりとの噂を関知したるのみにて、何等斯かる事実に就き公的報告を受けたることなく、当法廷に於いて検事側の主張するが如き大規模なり虐殺・暴行事件に関しては、1945年終戦後、東京に於ける米軍の放送により初めて之を聞知したるものなることを茲に確信す。(引用終わりーーmonkeybrain132)
これによると当時(東京裁判以前)松井が実際に関知、聞知していたのは「一部若年将兵」の非行(暴行)と「若干の不法事件」だけで、前者については入場式直後に部下に命じて厳重に調査、処罰している。後者については、「昭和13年2月まで上海に在任」中に「噂を聞知」したにすぎない。松井はこういうことを大いに恥じて泣いて怒っている。実直良心的な人物であったらしい。
彼は東京裁判ででてきた寝耳に水の南京大虐殺を検証もなしに(彼の置かれた状況ではできるはずもなかっただろうが)受け入れてしまっているようだ。これも彼のバカ正直で良心的な性格が大きく与っていたのではなかろうか。すでに「一部若年将兵」の非行(暴行)や「若干の不法事件」について報告や噂を聞いていたことも彼の「受け入れ」に影響したであろう。東京裁判当時の松井の頭のなかは捕虜大量不法殺害と南京市民大虐殺の区別がはっきりできていなかったようだ。
だから、1948年12月9日処刑前の松井の花山老師への述懐、
>南京事件はお恥ずかしい限りです。…私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときはシナ人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。
は、いわゆる南京大虐殺(無辜の市民30万人以上虐殺)の証拠としては非常に弱いと思う。市民大虐殺については、松井自身は当時目撃もしていないし報告も受けていない。捕虜大量不法処刑については松井の証言はある程度参考になると思う。しかし、東京裁判以前は不法処刑については「若干の不法事件」として伝聞してはいただけではなかろうか。現在かなりの調査が進んで相当数の捕虜不法処刑があったことは事実のようで、東京裁判処刑前の松井の認識と一致しているようだ。
要するに「松井石根の口述書」が強く証明しているのは「一部若年将兵」の非行(暴行)と「若干の不法事件」が実際にあったようだということではなかろうか。
偕行社の証言については次の投稿で。
これは メッセージ 11862 (yominokuni56 さん)への返信です.