Re: 三笠宮証言の疑問点
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/08/15 07:06 投稿番号: [11796 / 41162]
> さて、三笠宮様の発言ですが
> 日本の皇族は事実に対してはキチンと仰っておいでだと思います
> 発言がはばかられる場合などは黙っておいででしょう
> 仰言る場合は、たとえ遠まわしであろうとも「事実」がわかるような表現をなされるでしょうから
> 「暴行」といった、明らかに「虐殺」とは意味の違う表現はなされないでしょうね
さて、それはどうでしょうか?
読売のインタビューの中に、三笠宮が自分で目撃した事実は何一つ存在しません。
この証言内容は、新任士官に対する法螺にショックを受けてそれを真に受けた伝聞と、当時戦場になっていない満洲で撮影された毒ガス処刑のフィルムだけです。
当時死刑囚に対する毒ガス処刑が違法でもなんでもなかったのは周知の通り。アメリカでは当時のガス処刑室が堂々と公開されています。
> 南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、
1933年の塘沽協定以降、ソ連の侵攻まで、満洲がまともに戦場になったことはありません。満洲で処刑されているならそれは捕虜ではなく馬賊の死刑囚と見るのが普通であるはずなのに、三笠宮が何故「捕虜」と表現したのか不可解です。
華北を経由して満洲に捕虜が送られていたとでもいうのでしょうか。
> 北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、
岡村寧次は第十一軍司令官になる前は関東軍副参謀→満洲帝国駐在武官→満洲駐屯の第二師団司令官だったんですから、満洲で虐殺が行われていたとすれば岡村寧次は関係者である可能性が高いのです。
また第十一軍司令官の後、軍事参議官を経て北支那方面軍司令官に就任しているのだから、第二師団司令官離任後の出来事であっても、岡村にとって他人事ではありません。
三笠宮が中国に派遣されたのは1943年1月ですから、岡村は丁度この北支那方面軍司令官の時期です。
仮に支那兵の捕虜が満洲に送られて処刑されたなら、岡村寧次が無関係ではあり得ません。
岡村寧次の下で軍紀が保たれていたというなら、満洲で虐殺が行われたなんて結論にはならないはずなのです。
三笠宮証言は、事実と断定できません。
皇族だからといって無条件で信用できると判断するのは危険だと思います。
これは メッセージ 11772 (sioazi_z さん)への返信です.
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