Re: 帝国主義、侵略
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/08/03 23:01 投稿番号: [11528 / 41162]
>1905年(明治38年)に調印された「第二次日韓協約」は、「・・・十一月十七日〜十八日、・・・(以下蛇足)
これは、テロ計画を把握していた日本が警備を厳重にしただけ。
韓国では日露戦争の頃からテロリスト達が日本に敵対行為を行っていたので当然の措置。
これを以って、「軍隊を侵入させ破壊し殺害し高圧的(不利な)な条約を提示したり結ばせたりした」と言うのはお門違い。
それを言うなら、日韓併合時の総理大臣だった李完用などは併合反対派のテロリスト達に何度も家を燃やされたりしたので、破壊や脅迫などを行ったのは寧ろテロリスト達の方だ。
――――――
当時はもとよりそれ以前から、韓国では儒者等による騒擾が日常茶飯事と化していたからである。
伊藤も、11月15日の高宗との内謁見で、「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べているのは拙稿『日本外交文書』で紹介したとおりである。
これら儒者等による外国排撃の騒擾は以前よりかなり盛んで、事あるごとに運動や暴動を起こして日本側を悩ませていたのであったが、ここでこの儒者等についてみてみよう。
(中略)
「第五四九号電報の儒生派の内容を探くりたるに、檄文を十三道に発せんとする外、同意味の通告文を当地駐在各国公使に送付する準備中にあり、且つ鉄道電線の破壊を企んとする等頗る不穏の意味を含み居れるに付、本官は本日韓帝に謁見の序を以て右儒生等の行動に対し厳重の取締方を奏請する心得なり。
玄界灘に於ける我輸送船の撃沈せられたる悲報は、宮中に出入りする雑輩にして我勢力の増加の為め失意の境遇に陥り居れる一派の利用する所となり、昨今宮中に於て諸般の政事改善に関する日本の忠告は内密に仏国公使に協議する必要を唱へ居れりとの報道あり。」
(『日本外交文書』、電信第551号、儒生派の排日行動に関する件、明治37年6月20日)
日露戦争中、日本軍は、これら儒者等による破壊活動に対しては軍律でもって厳しく対処している。特に電線は軍の死命を制しえるものでもあったので、破壊の実行者で処刑された者も少なくなかったようだ。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/krjp/krjp17.html
――――――
日露戦争直前に大韓帝国は「中立宣言」したにも拘わらず、高宗はロシアと内応協定の交渉を進めていた。
日本は自存自衛と韓国の国家破綻を防ぐために第一次日韓協約の締結をしたが、日露戦争の真っ最中に高宗は第一次日韓協約に違反し、またしてもロシアと密通していた。
本来なら、日本は大韓帝国に宣戦布告して植民地にしても何の問題のなかったが、日本は第二次日韓協約の締結を目指した。
第二次日韓協約締結に至る過程において、学部大臣だった李完用も閣議で、『わが国の外交は変幻きわまりなく、その結果日本は2回の大戦争に従事し、多大の犠牲を出して、ようやく今日における韓国の地位を保全したのだから、これ以上わが国の外交が原因で東洋の平和を乱し、再び危地に瀬するような事は、その耐えざる所〜』と言った。
最後は高宗も大満足して締結した。
宣戦布告をして植民地にしても良かったのに、ここまで大韓帝国皇帝陛下のご機嫌を取りながら締結したのだ。
――――――
暫くあつて李内相、李宮相出来り、陛下は該修正案を満足に思召し裁可を与えらるるへきの処、今一箇条陛下の御希望として、韓国か富強を致し其独立を維持するに足るの実力を蓄ふるに至らは此条約を撤回する旨の字句を挿入せんことを特に大使に懇望せらるるとの御沙汰に基き、大使は聖意を満足ならしむる為め自ら執つて協約書の前文中に『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の文字を加へ、再ひ李内相、李宮相をして聖覧に供せしめたるに、陛下は特に満足の旨仰せあり。
(中略)
右にて一切円満の妥協を見たるを以て酒菓等の響応あり。
大使は調印の為め林公使を其席に留むることとし、各大臣に別を告け宮中を退出せられんとするに当り、皇帝陛下は特に李宮相をして左の勅語を伝へしめらる。
今、新協約の成立を見る。両国の為め賀すへし。
(以下略)
「伊藤特派大使日韓新協約調印始末」(日本外交文書)
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これは、テロ計画を把握していた日本が警備を厳重にしただけ。
韓国では日露戦争の頃からテロリスト達が日本に敵対行為を行っていたので当然の措置。
これを以って、「軍隊を侵入させ破壊し殺害し高圧的(不利な)な条約を提示したり結ばせたりした」と言うのはお門違い。
それを言うなら、日韓併合時の総理大臣だった李完用などは併合反対派のテロリスト達に何度も家を燃やされたりしたので、破壊や脅迫などを行ったのは寧ろテロリスト達の方だ。
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当時はもとよりそれ以前から、韓国では儒者等による騒擾が日常茶飯事と化していたからである。
伊藤も、11月15日の高宗との内謁見で、「昨今儒生輩を扇動して上疏献白を為し秘密に反対運動を為さしめつつありとの事は、疾く我軍隊の探知したる所なり」と述べているのは拙稿『日本外交文書』で紹介したとおりである。
これら儒者等による外国排撃の騒擾は以前よりかなり盛んで、事あるごとに運動や暴動を起こして日本側を悩ませていたのであったが、ここでこの儒者等についてみてみよう。
(中略)
「第五四九号電報の儒生派の内容を探くりたるに、檄文を十三道に発せんとする外、同意味の通告文を当地駐在各国公使に送付する準備中にあり、且つ鉄道電線の破壊を企んとする等頗る不穏の意味を含み居れるに付、本官は本日韓帝に謁見の序を以て右儒生等の行動に対し厳重の取締方を奏請する心得なり。
玄界灘に於ける我輸送船の撃沈せられたる悲報は、宮中に出入りする雑輩にして我勢力の増加の為め失意の境遇に陥り居れる一派の利用する所となり、昨今宮中に於て諸般の政事改善に関する日本の忠告は内密に仏国公使に協議する必要を唱へ居れりとの報道あり。」
(『日本外交文書』、電信第551号、儒生派の排日行動に関する件、明治37年6月20日)
日露戦争中、日本軍は、これら儒者等による破壊活動に対しては軍律でもって厳しく対処している。特に電線は軍の死命を制しえるものでもあったので、破壊の実行者で処刑された者も少なくなかったようだ。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/krjp/krjp17.html
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日露戦争直前に大韓帝国は「中立宣言」したにも拘わらず、高宗はロシアと内応協定の交渉を進めていた。
日本は自存自衛と韓国の国家破綻を防ぐために第一次日韓協約の締結をしたが、日露戦争の真っ最中に高宗は第一次日韓協約に違反し、またしてもロシアと密通していた。
本来なら、日本は大韓帝国に宣戦布告して植民地にしても何の問題のなかったが、日本は第二次日韓協約の締結を目指した。
第二次日韓協約締結に至る過程において、学部大臣だった李完用も閣議で、『わが国の外交は変幻きわまりなく、その結果日本は2回の大戦争に従事し、多大の犠牲を出して、ようやく今日における韓国の地位を保全したのだから、これ以上わが国の外交が原因で東洋の平和を乱し、再び危地に瀬するような事は、その耐えざる所〜』と言った。
最後は高宗も大満足して締結した。
宣戦布告をして植民地にしても良かったのに、ここまで大韓帝国皇帝陛下のご機嫌を取りながら締結したのだ。
――――――
暫くあつて李内相、李宮相出来り、陛下は該修正案を満足に思召し裁可を与えらるるへきの処、今一箇条陛下の御希望として、韓国か富強を致し其独立を維持するに足るの実力を蓄ふるに至らは此条約を撤回する旨の字句を挿入せんことを特に大使に懇望せらるるとの御沙汰に基き、大使は聖意を満足ならしむる為め自ら執つて協約書の前文中に『韓国の富強の実を認むる時に至る迄』の文字を加へ、再ひ李内相、李宮相をして聖覧に供せしめたるに、陛下は特に満足の旨仰せあり。
(中略)
右にて一切円満の妥協を見たるを以て酒菓等の響応あり。
大使は調印の為め林公使を其席に留むることとし、各大臣に別を告け宮中を退出せられんとするに当り、皇帝陛下は特に李宮相をして左の勅語を伝へしめらる。
今、新協約の成立を見る。両国の為め賀すへし。
(以下略)
「伊藤特派大使日韓新協約調印始末」(日本外交文書)
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これは メッセージ 11509 (monkeybrain132 さん)への返信です.