満洲年表
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/22 00:29 投稿番号: [11171 / 41162]
deliciousicecoffeeさんの年表と被りますが・・・
1409年〜1424年 永楽帝による満洲 征 服
1616年 女真族(=満洲族)明より 独 立 し後金国建国
1636年 長城以北を征服した太宗が大清皇帝として即位
(1644年 北京遷都)
――1648年 ウェストファリア条約(w)――
1905年 ポーツマス条約。満洲は 清 に帰属することを日露間で合意。
1912年 退位協定により宣統帝退位。但し、退位協定には満洲の帰属は触れられず。
1914年 退位協定を実質破棄。退位協定は当初より一度も履行されていない。
1922年 張作霖、東三省独立を宣言
1924年 奉ソ協定によりソ連、張作霖政権を実質承認
1924年 溥儀を紫禁城より追放。退位協定の完全破棄
1928年 蒋介石、張作霖による満洲支配を実質的に承認
1928年 張作霖爆殺事件
1931年 柳条湖事件。遼寧省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル等が独立を宣言。
独立を宣言した各地の代表が揃って溥儀に出馬を要請。
1932年3月 満洲国建国。溥儀、執政に就任。
1932年3月〜6月 リットン調査団視察
1932年7月 熱河省において関東軍連絡員石本権四郎拉致事件発生
1932年9月 日本が満洲国を承認
1932年10月 リットン報告書公表。
リットン報告書が満洲は中国に帰属するとした根拠はポーツマス条約。(事実は「清」に帰属するとしたもの)
因みに、国際連盟規約第15条第4項は以下の通り、報告書を公表するというだけの規定で、何の強制力も無い。
「紛爭解決ニ至ラサルトキハ聯盟理事會ハ全會一致又ハ過半數ノ表決ニ基キ當該紛爭ノ事實ヲ述へ公正且適當ト認ムル勸告ヲ載セタル報告書ヲ作成シ之ヲ公表スヘシ」
リットン報告書は事実を正確に反映した内容でないことが判明しているから(例えば、満洲人による自発的な独立運動を無視)、彼らの方が寧ろ国際連盟規約に違反していたと言える。
1933年1月〜3月 熱河省回収(熱河作戦・事件)。これは直接的には、石本拉致事件というテロ行為に対するテロリストの掃蕩作戦だが、国民党軍が長城線を越えて熱河省に侵入した為、日本軍が反攻し、塘沽協定に至る。
(塘沽協定は対張学良軍戦に関する停戦協定ではなく、テロを働いた張学良派掃蕩に介入してきた国民党軍との戦闘に関する停戦協定。)
1934年3月 溥儀、満洲国の皇帝に即位。
この即位は、満洲の領有権を国際的に認められた(ポーツマス条約)清の元皇帝が、満洲の皇帝に復位したもの。
息子でも甥でも兄弟でもなく、本人の復位だから、正統性においてこれ以上のものは無い。
また、日本が満洲国を領有したことは一度も無い。
1409年〜1424年 永楽帝による満洲 征 服
1616年 女真族(=満洲族)明より 独 立 し後金国建国
1636年 長城以北を征服した太宗が大清皇帝として即位
(1644年 北京遷都)
――1648年 ウェストファリア条約(w)――
1905年 ポーツマス条約。満洲は 清 に帰属することを日露間で合意。
1912年 退位協定により宣統帝退位。但し、退位協定には満洲の帰属は触れられず。
1914年 退位協定を実質破棄。退位協定は当初より一度も履行されていない。
1922年 張作霖、東三省独立を宣言
1924年 奉ソ協定によりソ連、張作霖政権を実質承認
1924年 溥儀を紫禁城より追放。退位協定の完全破棄
1928年 蒋介石、張作霖による満洲支配を実質的に承認
1928年 張作霖爆殺事件
1931年 柳条湖事件。遼寧省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル等が独立を宣言。
独立を宣言した各地の代表が揃って溥儀に出馬を要請。
1932年3月 満洲国建国。溥儀、執政に就任。
1932年3月〜6月 リットン調査団視察
1932年7月 熱河省において関東軍連絡員石本権四郎拉致事件発生
1932年9月 日本が満洲国を承認
1932年10月 リットン報告書公表。
リットン報告書が満洲は中国に帰属するとした根拠はポーツマス条約。(事実は「清」に帰属するとしたもの)
因みに、国際連盟規約第15条第4項は以下の通り、報告書を公表するというだけの規定で、何の強制力も無い。
「紛爭解決ニ至ラサルトキハ聯盟理事會ハ全會一致又ハ過半數ノ表決ニ基キ當該紛爭ノ事實ヲ述へ公正且適當ト認ムル勸告ヲ載セタル報告書ヲ作成シ之ヲ公表スヘシ」
リットン報告書は事実を正確に反映した内容でないことが判明しているから(例えば、満洲人による自発的な独立運動を無視)、彼らの方が寧ろ国際連盟規約に違反していたと言える。
1933年1月〜3月 熱河省回収(熱河作戦・事件)。これは直接的には、石本拉致事件というテロ行為に対するテロリストの掃蕩作戦だが、国民党軍が長城線を越えて熱河省に侵入した為、日本軍が反攻し、塘沽協定に至る。
(塘沽協定は対張学良軍戦に関する停戦協定ではなく、テロを働いた張学良派掃蕩に介入してきた国民党軍との戦闘に関する停戦協定。)
1934年3月 溥儀、満洲国の皇帝に即位。
この即位は、満洲の領有権を国際的に認められた(ポーツマス条約)清の元皇帝が、満洲の皇帝に復位したもの。
息子でも甥でも兄弟でもなく、本人の復位だから、正統性においてこれ以上のものは無い。
また、日本が満洲国を領有したことは一度も無い。
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.