虐殺は嘘20 嘘吐きダーディン
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/07/21 01:53 投稿番号: [11153 / 41162]
――――――
南京事件を世界に知らせた男
自分の目で大量虐殺を見た米人記者の回顧談
元ニューヨーク・タイムズ記者、ティルマン・ダーティン氏
古森義久(ジャーナリスト)(文藝春秋89.10から)
http://d.hatena.ne.jp/claw/00010115
(真ん中辺り、一部抜粋)
予想されなかった虐殺
――日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。
「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
銃剣を使う場合もあった。
とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
――――――
上記は、南京戦から50年以上が経って述べられたダーディンの回顧談の一部だが、作り話だ。
HPのタイトルが『南京事件を世界に知らせた男』とされているのは、南京事件に関する彼のレポート(記事)が1937年12月18日付ニューヨーク・タイムズに掲載されていたため。
しかし、その記事を読めば分かるのだが、ダーディンは日本軍による民間人虐殺を目撃していない。
見出しとその直後にある要約部分に「婦人への暴行」とか「民間人の殺害」という言葉を挿入しているが、その後にある約5000字におよぶ長文レポートにそれらに関する説明がまったくない。
まるで「東スポ」である。
回顧談のとおり、ダーディンが、本当に南京で日本軍がウサギを殺すように多数の民間人を虐殺したのを目撃したなら、そのような記事には決してならない。
ダーディンの約5000字におよぶ長文レポートは、殆どが伝聞記事で、彼自身の目撃記事は支那人便衣兵の悪行や便衣兵の処刑や戦闘状況など僅かだ。
日本軍による民間人虐殺に関する目撃記事は全然ない。
5人の日本兵がアメリカ大使の私邸から懐中電灯1本を略奪したとか、大学病院で金品が盗まれたことについては具体的に述べているが、日本兵による民間人殺害の具体的なレポートは全然ない。
せいぜい、外国人が通りで民間人の死体を見たことを簡単に述べている程度だ。
本当に日本軍による民間人殺害を目撃していれば、こんな記事は有り得ない。
新聞を売るために「東スポ」と同じように派手な見出しを付けただけだった。
同じ頃、シカゴ・デイリー・ニューズのスティールも、これと酷似した記事を書いたが、それは2人とも、ベイツが安全区委員会として作成したメモ(レポート)に基づいてそれぞれ記事を書いたからだ。(南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』105頁)
ベイツなど南京に長期間残った安全区委員会のメンバーは誰も日本軍による市民虐殺を目撃しなかったが、12月15日に早々と船で南京を離れたダーディンやスティールが、日本軍による民間人殺害を目撃する筈がない。
特にダーディンは句容に行っていて南京に戻ったのは14日の夜だった。
また、ベイツは支那国民党の顧問だったことが判明しており、国民党の宣伝に関わっていたことは間違いない。(「南京大学教授ベイツの"化けの皮"」『諸君!』2002年4月号、『正論』2002年4月号)
さて、ダーディンの記事の派手な見出し「民間人も殺害」に関しては、当然世間は相手にしなかった。
自ずと、「虐殺は嘘15〜19 誰も知らなかった虐殺1〜5」(#11037〜#11141)のようなことになる。
ところが、それから8年以上が経った戦後の東京裁判で、日本軍による南京市民大虐殺事件があったことになってしまった。
「東スポ」のように、見出しなど一部にだけ派手に「民間人も殺害」という言葉を入れていたダーディンは、一躍、『南京事件を世界に知らせた男』となった。
自分でも、さぞかし驚いたことだろう。
ダーディンは、1962年のニクソン訪中で北京に同行し、1988年には南京の虐殺館を訪問した。
古森義久氏への回顧談でも、見て来たような嘘を吐きとおすしかなかったのだ。
(注)
ダーディンの記事は、ベイツ(宣伝工作員)の宣伝用レポート(メモ)を基に書かれた。
ベイツに関する詳細は後述
南京事件を世界に知らせた男
自分の目で大量虐殺を見た米人記者の回顧談
元ニューヨーク・タイムズ記者、ティルマン・ダーティン氏
古森義久(ジャーナリスト)(文藝春秋89.10から)
http://d.hatena.ne.jp/claw/00010115
(真ん中辺り、一部抜粋)
予想されなかった虐殺
――日本軍はやはり民間人をも無差別に殺したのですか。
「はい、無差別の殺害といえます。銃で射つのがもっとも多かった。
銃剣を使う場合もあった。
とにかくウサギを殺すような感じでの虐殺が行われたのです」
――――――
上記は、南京戦から50年以上が経って述べられたダーディンの回顧談の一部だが、作り話だ。
HPのタイトルが『南京事件を世界に知らせた男』とされているのは、南京事件に関する彼のレポート(記事)が1937年12月18日付ニューヨーク・タイムズに掲載されていたため。
しかし、その記事を読めば分かるのだが、ダーディンは日本軍による民間人虐殺を目撃していない。
見出しとその直後にある要約部分に「婦人への暴行」とか「民間人の殺害」という言葉を挿入しているが、その後にある約5000字におよぶ長文レポートにそれらに関する説明がまったくない。
まるで「東スポ」である。
回顧談のとおり、ダーディンが、本当に南京で日本軍がウサギを殺すように多数の民間人を虐殺したのを目撃したなら、そのような記事には決してならない。
ダーディンの約5000字におよぶ長文レポートは、殆どが伝聞記事で、彼自身の目撃記事は支那人便衣兵の悪行や便衣兵の処刑や戦闘状況など僅かだ。
日本軍による民間人虐殺に関する目撃記事は全然ない。
5人の日本兵がアメリカ大使の私邸から懐中電灯1本を略奪したとか、大学病院で金品が盗まれたことについては具体的に述べているが、日本兵による民間人殺害の具体的なレポートは全然ない。
せいぜい、外国人が通りで民間人の死体を見たことを簡単に述べている程度だ。
本当に日本軍による民間人殺害を目撃していれば、こんな記事は有り得ない。
新聞を売るために「東スポ」と同じように派手な見出しを付けただけだった。
同じ頃、シカゴ・デイリー・ニューズのスティールも、これと酷似した記事を書いたが、それは2人とも、ベイツが安全区委員会として作成したメモ(レポート)に基づいてそれぞれ記事を書いたからだ。(南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』105頁)
ベイツなど南京に長期間残った安全区委員会のメンバーは誰も日本軍による市民虐殺を目撃しなかったが、12月15日に早々と船で南京を離れたダーディンやスティールが、日本軍による民間人殺害を目撃する筈がない。
特にダーディンは句容に行っていて南京に戻ったのは14日の夜だった。
また、ベイツは支那国民党の顧問だったことが判明しており、国民党の宣伝に関わっていたことは間違いない。(「南京大学教授ベイツの"化けの皮"」『諸君!』2002年4月号、『正論』2002年4月号)
さて、ダーディンの記事の派手な見出し「民間人も殺害」に関しては、当然世間は相手にしなかった。
自ずと、「虐殺は嘘15〜19 誰も知らなかった虐殺1〜5」(#11037〜#11141)のようなことになる。
ところが、それから8年以上が経った戦後の東京裁判で、日本軍による南京市民大虐殺事件があったことになってしまった。
「東スポ」のように、見出しなど一部にだけ派手に「民間人も殺害」という言葉を入れていたダーディンは、一躍、『南京事件を世界に知らせた男』となった。
自分でも、さぞかし驚いたことだろう。
ダーディンは、1962年のニクソン訪中で北京に同行し、1988年には南京の虐殺館を訪問した。
古森義久氏への回顧談でも、見て来たような嘘を吐きとおすしかなかったのだ。
(注)
ダーディンの記事は、ベイツ(宣伝工作員)の宣伝用レポート(メモ)を基に書かれた。
ベイツに関する詳細は後述
これは メッセージ 11141 (deliciousicecoffee さん)への返信です.