いかがわしき本多某(2)
投稿者: blvd_beaverton 投稿日時: 2006/07/14 15:37 投稿番号: [10957 / 41162]
(続き)
学歴詐称じゃないかとまでは、弁護士は突っ込まずに質問を変えたが、廷内に驚きの気配が漂った。それまで誰しも、本多記者は京大出身、それもかの京大山岳会出身とばかり思っていたのだから。
ちなみに本多記者の出世作『極限の民族』初版本(昭和四十二年刊)の著者略歴には、「京都大学農林生物学科を経て朝日新聞に入社」と明記されている。面妖である。
本多記者は「カナダ・エスキモー報道」で菊池寛賞を得た(昭和三十九年)。のちに『諸君!』が本多批判を展開するや、賞の返還を申し出て、批判を許さぬ夜郎自大ぶりが失笑をかった。朝日が育てたスター記者の、肥大化したエゴの象徴である。
日支事変の発端となった盧溝橋、別名マルコ・ポーロ橋の近くに抗日記念館がある。ここを訪れた友人から聞いた。
「日本の暴虐を示す“証拠”がこれでもか、これでもかと陳列されているんだけど、ガラス・ケースの中に本多勝一の『中国の旅』が置かれている。向こうにしてみれば、これも“証拠”の一つなんですね。しばし考えさせられましたよ」
朝日新聞一千万部に連載された『中国の旅』は、いわゆる「百人斬り」論争を招き、山本七平氏は本多記者の所説を完膚なきまでに論破して痛烈をきわめた。とはいえこの書がいまに続く南京(虐殺)・教科書・靖国……日中間の歴史認識問題に果たした役割は大きい。これが撒き散らした自虐・謝罪の毒素は、サリン・ガスにも似ていまだに日本人の心を蝕(むしば)んでいる。朝日新聞社員の中にすら、
「本多は国賊だッ、あんな者は死刑にしろッ」
などと息巻く声を聴く。朝日にはまともな人士もいるのである。“国賊記者”にゴロツキ編集長呼ばわりされるのは、むしろ名誉なことである。
十五年続いた裁判は、毎回、本多記者を二十人からなる「親衛隊」が取り囲む。こちらを睨む眼差しに刺すような殺気があり、身の危険を感じることしばしばだった。
(後略)
自分で勝手に人違いして裁判まで起こし、間違いが分かると、それを種に執念深く逆恨みを続ける。これって何処か、ななめ上の国の人の性癖とソックリです。こんないかがわしい本多某を信奉し応援する人の気が知れない。というより同じ穴の狢か。
(※注意
本多経信者は読まないでください)
読んじゃいました?それは失礼しました。
これは メッセージ 10951 (jyugunianfunohigeki さん)への返信です.
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