Re: 事実の虐殺 阿羅こと曽根(まとめ)
投稿者: pipopipo555jp 投稿日時: 2006/07/10 07:31 投稿番号: [10807 / 41162]
デリ君
ああそう、やっぱり阿羅健一だったんだ
>南京でいわゆる「三十万人の大虐殺」を見たという人は、四十八人の中にひとりもいない。
48人はどういう基準で選んだのかな?
高級将校、従軍記者、外交官など、
選んだのは幕営にいるえらいさんばかりで、現場を見ている兵隊は49人の中に誰もいない。
いまでこそ新聞記者は、第3者として公正な報道をというタテマエがあるが、当時のタテマエは全く違う、新聞記者は「情報戦士」として、日本軍に有利なように宣伝戦を担うという任務を帯びていた。情報将校がトップシークレットを墓場まで持ち去るのと意識は同じさ、新聞記者の多くは。
で阿羅こと曽根秀夫は、まじめに全員と面談したのかな?
>つぎに、四十八人の証言から、市民や婦女子に対する虐殺などなかったことがわかる。とくに婦女子に対する暴虐は誰も見ていないし、聞いてもいない。
虐殺を見ましたか? ときけば、無抵抗な捕虜を殺したのはみたけど「虐殺」はみていない。市民が犠牲になったのは見たかもしれないけど、「虐殺」は見ていない。そう答えたいのは48人の立場からすれば当然の人情さ。
インタビューとはフツー、そうした隠したい人情の中から事実をつかみ出すこと。しかし、阿羅健一こと畠中秀夫は、全くその逆をやっている。
起こった事実を会体験者から聞き出しているのではなくて、正当化したい意識の再確認を求めたに過ぎない。
>南京事件と言われているものは、中国兵に対する処断
そう、後ろ手に縛った無抵抗な捕虜の「処断」。
>処断の場面を見て残酷だと感じ、行き過ぎだと見なす人がいた。しかし、そういう人でも、とくに話題にすることはなかったから、特別なこととは見なしていなかった。
48人はそうは見なかった。当然だ。そういう48人を阿羅こと畠中は選んだのだから。
しかし阿羅が選択した48人以外では、「内密」だが特別に「深刻」なこととして、認識していた。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html
戦争中は「南京事件」はトップシークレットとして、口にチャック。戦後も目撃した兵士達に戦友会を通じて緘口令。せめて死ぬ前に真実を、と証言を遺した老兵の、遺族の元に集団で押しかける。そのため自殺した未亡人すらいる。
そこまでしているのに、阿羅こと曽根秀夫は、現場の兵士を48人の中に誰一人として入れなかった。その理由は何だろうか?
>最後の段階になって中国軍は軍服を脱ぎ、市民のなかに紛れこんだ。中国軍には戦時国際法が念頭になかった。
最高司令官が降服しないからといって、無抵抗で戦意を失った敵兵を、日本軍は国際法違反の戦争犯罪人として殺したというのかね。だったら戦争犯罪人と認定した手続きの、証拠や証言を集めるべきではないか。
支那派遣軍の法務将校の記録をみて見ないのかね?
まずは、日本軍が国際法を遵守したかどうか、それが弁明されなければ後世のわが国日本に申し開きがたたない。
>中国兵の処断は戦闘の続きだ、と日本兵は見なしていたからである。
そう、みごとな言葉のアヤ。「中国兵の処断は戦闘だ」とはいわない。いえない。
だから、「中国兵の処断は戦闘の続きだ」という。
戦闘の後に、部隊投降があり、武装解除があり、緊縛があり、河岸等への連行があり、そうして掃射射殺がある。「戦闘のつづき」には、たしかに違いがない。
そうして、ひとつひとつのインタビューは皆、阿羅健一こと曽根秀夫の作文。細部は事実を適度にかざり、全体は虚飾にまみれる。きっと、
「虐殺者とか虐殺を見てみぬ振りした人物とは思わないように書きますから、後の文章は私にお任せください」といったかいわないか・・・
48人は阿羅に任せたか、面倒になって承諾を求める手紙に返事を出さなかった、か。
なんともはや。
私は、デリ君が書き込む度に、インタビュー記事の重大な怪しさを指摘した。
デリ君はそれに反論すらできない。
以上が、とりあえずの私のまとめ、である。
ああそう、やっぱり阿羅健一だったんだ
>南京でいわゆる「三十万人の大虐殺」を見たという人は、四十八人の中にひとりもいない。
48人はどういう基準で選んだのかな?
高級将校、従軍記者、外交官など、
選んだのは幕営にいるえらいさんばかりで、現場を見ている兵隊は49人の中に誰もいない。
いまでこそ新聞記者は、第3者として公正な報道をというタテマエがあるが、当時のタテマエは全く違う、新聞記者は「情報戦士」として、日本軍に有利なように宣伝戦を担うという任務を帯びていた。情報将校がトップシークレットを墓場まで持ち去るのと意識は同じさ、新聞記者の多くは。
で阿羅こと曽根秀夫は、まじめに全員と面談したのかな?
>つぎに、四十八人の証言から、市民や婦女子に対する虐殺などなかったことがわかる。とくに婦女子に対する暴虐は誰も見ていないし、聞いてもいない。
虐殺を見ましたか? ときけば、無抵抗な捕虜を殺したのはみたけど「虐殺」はみていない。市民が犠牲になったのは見たかもしれないけど、「虐殺」は見ていない。そう答えたいのは48人の立場からすれば当然の人情さ。
インタビューとはフツー、そうした隠したい人情の中から事実をつかみ出すこと。しかし、阿羅健一こと畠中秀夫は、全くその逆をやっている。
起こった事実を会体験者から聞き出しているのではなくて、正当化したい意識の再確認を求めたに過ぎない。
>南京事件と言われているものは、中国兵に対する処断
そう、後ろ手に縛った無抵抗な捕虜の「処断」。
>処断の場面を見て残酷だと感じ、行き過ぎだと見なす人がいた。しかし、そういう人でも、とくに話題にすることはなかったから、特別なこととは見なしていなかった。
48人はそうは見なかった。当然だ。そういう48人を阿羅こと畠中は選んだのだから。
しかし阿羅が選択した48人以外では、「内密」だが特別に「深刻」なこととして、認識していた。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html
戦争中は「南京事件」はトップシークレットとして、口にチャック。戦後も目撃した兵士達に戦友会を通じて緘口令。せめて死ぬ前に真実を、と証言を遺した老兵の、遺族の元に集団で押しかける。そのため自殺した未亡人すらいる。
そこまでしているのに、阿羅こと曽根秀夫は、現場の兵士を48人の中に誰一人として入れなかった。その理由は何だろうか?
>最後の段階になって中国軍は軍服を脱ぎ、市民のなかに紛れこんだ。中国軍には戦時国際法が念頭になかった。
最高司令官が降服しないからといって、無抵抗で戦意を失った敵兵を、日本軍は国際法違反の戦争犯罪人として殺したというのかね。だったら戦争犯罪人と認定した手続きの、証拠や証言を集めるべきではないか。
支那派遣軍の法務将校の記録をみて見ないのかね?
まずは、日本軍が国際法を遵守したかどうか、それが弁明されなければ後世のわが国日本に申し開きがたたない。
>中国兵の処断は戦闘の続きだ、と日本兵は見なしていたからである。
そう、みごとな言葉のアヤ。「中国兵の処断は戦闘だ」とはいわない。いえない。
だから、「中国兵の処断は戦闘の続きだ」という。
戦闘の後に、部隊投降があり、武装解除があり、緊縛があり、河岸等への連行があり、そうして掃射射殺がある。「戦闘のつづき」には、たしかに違いがない。
そうして、ひとつひとつのインタビューは皆、阿羅健一こと曽根秀夫の作文。細部は事実を適度にかざり、全体は虚飾にまみれる。きっと、
「虐殺者とか虐殺を見てみぬ振りした人物とは思わないように書きますから、後の文章は私にお任せください」といったかいわないか・・・
48人は阿羅に任せたか、面倒になって承諾を求める手紙に返事を出さなかった、か。
なんともはや。
私は、デリ君が書き込む度に、インタビュー記事の重大な怪しさを指摘した。
デリ君はそれに反論すらできない。
以上が、とりあえずの私のまとめ、である。
これは メッセージ 10800 (deliciousicecoffee さん)への返信です.