関東大震災時の虐殺事件
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/07/05 00:15 投稿番号: [10555 / 41162]
(wikipediaより抜粋):
当時、日本本土に働きに来ていた朝鮮人の殆どは日本語が不自由な上、ろくな教育も受けておらず貧しい生活をり、中には犯罪に走るも者もいたので日頃から日本人に不気味な人々との印象を与えていた。この為、大災害の中で情報が遮断されてデマを信じる日本人も少なくなかった。
時の警視総監は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して内務大臣に戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局が各地方長官に向けて警報を打電した。その内容は次のとおりである。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし」(『現代史資料 第6巻−関東大震災と朝鮮人』みすず書房)。
この報道をきっかけとして、民間の自称「自警団」が、多数の朝鮮人、中国人、沖縄県など地方出身者などを殺害した。朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として殺害したとされる。中国人、沖縄県出身者の犠牲者の多くはこうした状況下で朝鮮人と誤認されて殺された。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人も殺害された。殺害の犠牲者は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、政府の調査では233人、朝鮮人側の主張では6600人(この数値は如何に算出したか説明した資料が無く信憑性は極めて低い)と見識が分かれている。
関東大震災において大日本帝国陸軍や警察が組織的に朝鮮人虐殺に関与したかどうかについて議論がある。
当局の関与を否定する立場からは以下のようなエピソードが提示されることが多い。
鶴見警察署長・大川常吉は「(朝鮮人が)毒を入れたという井戸水を自分の所へ運んできてくれ。その井戸水を飲んでみせよう」と言ったとされる。
大川の事例は鶴見地区の民族融和教育の一環として宣伝されている事例であるので(関係者から出版物もでている)伝聞としての事実に対して発言者の偏向があり得るという批判もある。
大日本帝国陸軍戒厳司令部将兵は、朝鮮人を保護した。
一方で、「内務省電報が原因しているのだから関与は明白」との意見がある。
内務省警保局調査では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。また警察は、朝鮮人・中国人を襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、実刑となった者も皇太子裕仁(当時は摂政)結婚の恩赦で釈放されたという。一方、迫害の標的にされた当の朝鮮人の犯罪は、殺人2名、放火3件、強盗6件、強姦3件であった。
警察の中にはこの混乱に乗じ、社会主義や自由主義の指導者を一掃しようとする動きがあり、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一らが殺された甘粕事件(大杉事件)、平澤計七らが殺された亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。
またその被害の大きさから、一時は首都移転も検討されたという。移転の候補地には姫路や京城などが挙げられた。
(甘粕某恐ろしい人ですな。これが戦前の民主国家ですか。)
当時、日本本土に働きに来ていた朝鮮人の殆どは日本語が不自由な上、ろくな教育も受けておらず貧しい生活をり、中には犯罪に走るも者もいたので日頃から日本人に不気味な人々との印象を与えていた。この為、大災害の中で情報が遮断されてデマを信じる日本人も少なくなかった。
時の警視総監は「警察のみならず国家の全力を挙て、治安を維持」するために、「衛戌総督に出兵を要求すると同時に、警保局長に切言して内務大臣に戒厳令の発布を建言」した。これを受けて内務省警保局が各地方長官に向けて警報を打電した。その内容は次のとおりである。「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし」(『現代史資料 第6巻−関東大震災と朝鮮人』みすず書房)。
この報道をきっかけとして、民間の自称「自警団」が、多数の朝鮮人、中国人、沖縄県など地方出身者などを殺害した。朝鮮語では語頭に濁音が来ないことから、道行く人に「十五円五十銭」や「ガギグゲゴ」などを言わせ、うまく言えないと朝鮮人として殺害したとされる。中国人、沖縄県出身者の犠牲者の多くはこうした状況下で朝鮮人と誤認されて殺された。また、福田村事件のように、方言を話す地方出身の日本内地人も殺害された。殺害の犠牲者は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、政府の調査では233人、朝鮮人側の主張では6600人(この数値は如何に算出したか説明した資料が無く信憑性は極めて低い)と見識が分かれている。
関東大震災において大日本帝国陸軍や警察が組織的に朝鮮人虐殺に関与したかどうかについて議論がある。
当局の関与を否定する立場からは以下のようなエピソードが提示されることが多い。
鶴見警察署長・大川常吉は「(朝鮮人が)毒を入れたという井戸水を自分の所へ運んできてくれ。その井戸水を飲んでみせよう」と言ったとされる。
大川の事例は鶴見地区の民族融和教育の一環として宣伝されている事例であるので(関係者から出版物もでている)伝聞としての事実に対して発言者の偏向があり得るという批判もある。
大日本帝国陸軍戒厳司令部将兵は、朝鮮人を保護した。
一方で、「内務省電報が原因しているのだから関与は明白」との意見がある。
内務省警保局調査では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。また警察は、朝鮮人・中国人を襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、実刑となった者も皇太子裕仁(当時は摂政)結婚の恩赦で釈放されたという。一方、迫害の標的にされた当の朝鮮人の犯罪は、殺人2名、放火3件、強盗6件、強姦3件であった。
警察の中にはこの混乱に乗じ、社会主義や自由主義の指導者を一掃しようとする動きがあり、大杉栄・伊藤野枝・橘宗一らが殺された甘粕事件(大杉事件)、平澤計七らが殺された亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。
またその被害の大きさから、一時は首都移転も検討されたという。移転の候補地には姫路や京城などが挙げられた。
(甘粕某恐ろしい人ですな。これが戦前の民主国家ですか。)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.