「南京戦史」における畝本氏の主張
投稿者: nmwgip 投稿日時: 2006/07/04 00:24 投稿番号: [10494 / 41162]
捕虜処断については南京戦史の第6章で纏めて論じられている。
まず第1節の【捕虜、敗残兵、便衣兵】の項において、捕虜、摘出された敗残兵、便衣兵の総数は単純加算で4万1千人、実数はそれよりずっと少なく、戦場において投降収容され釈放されたもの、一旦収容されたが機をみて逃亡したものなど生存を完うしたものも多いとされている。
以下、処断したという記述を抜粋要約すると次の通り。
第2節【1 雨花門外における歩66第1大隊の捕虜処断】の項において、第1大隊の捕虜処断の実態は不明であり、第4中隊所属一等兵高松半市氏の「捕虜の数は1,657人の半分以下、第4中隊が処分した数は百名くらい」という証言を紹介している。
【3 太平門、下関、獅子山付近おける戦闘間、歩33の捕虜処断】において、まず12/10〜12/14の戦闘を通じ、歩33は捕虜累計3,096人を処断した、と纏められているが、下関突進間に処断した「捕虜」は、実態は「敗残兵・投降兵」の集団であり、軍事的必要上認められている処断であると判断している。
太平門の投降兵は白旗を掲げながら反抗を続ける敵兵が多数混在していたので撃滅の手段をとらざるを得なかったと結論している。
獅子山の投降兵2百については、投降時の状況が明らかでないとされている。尚「証言による『南京戦史』」にはこの投降兵が便衣兵とされている証言も収録されている。
【5 幕府山付近における山田支隊の捕虜収容とその後の対応】において、処断数が明記されている記述しては暴動捕虜群を制圧、約千名を射殺、その他は逃亡とある。
そして複数の証言を列記し、
1.いずれも戦闘詳報等、公式資料に基いたものではない。
2.我が軍の機関銃射撃は、捕虜集団の暴動下において行われている。
3.捕虜の数、射殺数ともに目測程度で確認されたものではない。
と総括している。
【6 城内における敗残兵、便衣兵の掃蕩】
まず「安全区以外の城内掃蕩」では既出の獅子山砲台付近投降兵2百の処断、歩20第4中隊の安全区付近における328名の敗残兵掃蕩の二例。
「安全区の掃蕩」において敗残兵6,670人の刺射殺。(斬殺という記述は無い)
これについては戦闘行為として、特に問題視されていない。
【7 城外における敗残兵、便衣兵の掃蕩】では輜重隊を襲撃した敗残兵2〜3百を捕え、残敵掃蕩として銃殺したという記述のみ。
後は紫金山北方一体の掃蕩と、12/24〜1/5の城外掃蕩だが、これは捕虜殺害とは明らかに性格を異にするもの。
そして最終的に撃滅、処断推定約1万6千人、但し、不法殺害を推定したものではないと結論している。
南京戦史は(畝本氏は)「これらの当、不当に対する考察は避けた」と慎重な表現を用いているが、一つ一つ内容を見てみれば、明確に不法殺害の可能性があると判断しているのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみだ。
「証言による『南京戦史』」の後に、資料、証言を更に整理し検討して書かれた「南京戦史」では、3千〜6千の不法殺害という判断はされていない。
何故「南京戦史」における見解ではなく、それより古い「証言による『南京戦史』」の見解を畝本氏の見解として持ち出すのか理解し難い。
板倉由明氏は便衣兵の即時処刑も不法殺害として「虐殺数」を推定している。スマイス調査の市民犠牲者数も無批判に踏襲しているが、これが疑わしいものであることもこのトピで散々議論を重ねてきた。
推定方法のアバウトさもさることながら、便衣兵の即時処刑が不法殺害という前提条件が間違いだから、この点を補正すると捕虜違法殺害については「南京戦史」のまとめからほとんど乖離しないものになるだろう。
まず第1節の【捕虜、敗残兵、便衣兵】の項において、捕虜、摘出された敗残兵、便衣兵の総数は単純加算で4万1千人、実数はそれよりずっと少なく、戦場において投降収容され釈放されたもの、一旦収容されたが機をみて逃亡したものなど生存を完うしたものも多いとされている。
以下、処断したという記述を抜粋要約すると次の通り。
第2節【1 雨花門外における歩66第1大隊の捕虜処断】の項において、第1大隊の捕虜処断の実態は不明であり、第4中隊所属一等兵高松半市氏の「捕虜の数は1,657人の半分以下、第4中隊が処分した数は百名くらい」という証言を紹介している。
【3 太平門、下関、獅子山付近おける戦闘間、歩33の捕虜処断】において、まず12/10〜12/14の戦闘を通じ、歩33は捕虜累計3,096人を処断した、と纏められているが、下関突進間に処断した「捕虜」は、実態は「敗残兵・投降兵」の集団であり、軍事的必要上認められている処断であると判断している。
太平門の投降兵は白旗を掲げながら反抗を続ける敵兵が多数混在していたので撃滅の手段をとらざるを得なかったと結論している。
獅子山の投降兵2百については、投降時の状況が明らかでないとされている。尚「証言による『南京戦史』」にはこの投降兵が便衣兵とされている証言も収録されている。
【5 幕府山付近における山田支隊の捕虜収容とその後の対応】において、処断数が明記されている記述しては暴動捕虜群を制圧、約千名を射殺、その他は逃亡とある。
そして複数の証言を列記し、
1.いずれも戦闘詳報等、公式資料に基いたものではない。
2.我が軍の機関銃射撃は、捕虜集団の暴動下において行われている。
3.捕虜の数、射殺数ともに目測程度で確認されたものではない。
と総括している。
【6 城内における敗残兵、便衣兵の掃蕩】
まず「安全区以外の城内掃蕩」では既出の獅子山砲台付近投降兵2百の処断、歩20第4中隊の安全区付近における328名の敗残兵掃蕩の二例。
「安全区の掃蕩」において敗残兵6,670人の刺射殺。(斬殺という記述は無い)
これについては戦闘行為として、特に問題視されていない。
【7 城外における敗残兵、便衣兵の掃蕩】では輜重隊を襲撃した敗残兵2〜3百を捕え、残敵掃蕩として銃殺したという記述のみ。
後は紫金山北方一体の掃蕩と、12/24〜1/5の城外掃蕩だが、これは捕虜殺害とは明らかに性格を異にするもの。
そして最終的に撃滅、処断推定約1万6千人、但し、不法殺害を推定したものではないと結論している。
南京戦史は(畝本氏は)「これらの当、不当に対する考察は避けた」と慎重な表現を用いているが、一つ一つ内容を見てみれば、明確に不法殺害の可能性があると判断しているのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみだ。
「証言による『南京戦史』」の後に、資料、証言を更に整理し検討して書かれた「南京戦史」では、3千〜6千の不法殺害という判断はされていない。
何故「南京戦史」における見解ではなく、それより古い「証言による『南京戦史』」の見解を畝本氏の見解として持ち出すのか理解し難い。
板倉由明氏は便衣兵の即時処刑も不法殺害として「虐殺数」を推定している。スマイス調査の市民犠牲者数も無批判に踏襲しているが、これが疑わしいものであることもこのトピで散々議論を重ねてきた。
推定方法のアバウトさもさることながら、便衣兵の即時処刑が不法殺害という前提条件が間違いだから、この点を補正すると捕虜違法殺害については「南京戦史」のまとめからほとんど乖離しないものになるだろう。
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