Re: 南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘
投稿者: kim_taek_joo 投稿日時: 2006/07/03 18:01 投稿番号: [10471 / 41162]
拉致とは、こういうことを言う…。
1.強制連行とは
朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を敢行するために国家総動員法に基づき1939年から実施された労務動員計画と国民動員計画により朝鮮本土からの連行、次いで国民徴用令により日本国内からの労務動員、さらには軍人・軍属・女子挺身隊・慰安婦としての戦時動員、これら全てを包括するものです。
2.労務動員
強制労働による作業場は、炭坑、鉱山、軍需工場、土木作業、日本軍基地建設、地下工場建設等である。強制連行初期に連行された朝鮮人の移入先は約60%が鉱山関係であったとされています。これは国家総動員法を検討している段階ですでに明確にされており、政策的なものでした。
厚生省は「坑内夫の八、九割迄は半島人(朝鮮人)にて補充」(『厚生省内意』一九四一年九月二六日)としており、鉱山労働でもっとも過酷な地下労働(坑内作業)が朝鮮人強制連行者の主な作業場でした。
軍需工場、土木作業所等の分野でも危険な作業は、そのほとんどを朝鮮人労働者が行っていました。
○ 女子挺身隊
戦争遂行のため1943年から朝鮮国内および日本国内の軍需産業に勤労挺身隊として幼い12歳の朝鮮人少女も動員されました。
1992年1月ソウルの芳山国民学校で確認された学籍簿によると、12歳〜14歳の生徒が1944年7月、日本・富山県の不二越に連行されたとのことで、生存者の証言によると労働時間は14時間以上であり、食事すら満足に与えられなかったということです。(『東亜日報』1992年1月16日)
○ 慰安婦
慰安婦とは、日本軍の管理下で戦場に連行され日本兵との性行為を強要された女性のことで、1932年から1945年まで動員が行われました。そのほとんどは朝鮮人未婚女性で、当然、本人の承諾なしに連行されました。その数は実に10万人から20万人と言われています。
1972年、沖縄で現地調査が行われた際、「慰安婦」の炊事を受け持っていた兼島キク氏は次のように目撃談を語った。
「この女性たちはみな20代(1人だけ19歳)だった。1944年9月ごろ、古賀隊と一緒に来た。・・・午前中は雑役、食糧運び、それに芋掘り、材木伐りなどもさせられ兵と同じように働かされていた。昼は兵、夜は将校が相手だった。札を持った兵隊たちが列をつくってならんでいた。それでもこの人たちは『いつ死ぬか分からないんだから』と言いながら『早く国に帰りたい』『オンマに会いたい』ともらしていた。とくに月夜のときには、そうだった。そして朝鮮の歌などを寂しげに歌っていた」
沖縄で従軍慰安婦にされたぺ・ボンギさんは1944年春、釜山で「シンガポールに行けば金儲けが出来る」騙され連行されました。慰安婦にされることを知ったとき「体中の血が逆流する思い。恐怖で震え上がったよ。大声でこんなことがあってもいいのかと叫んだよ」と証言しています。
○ 軍人・軍属
日本の侵略戦争がアジアから太平洋へと拡大するにつれて、朝鮮人は軍要員として軍属に徴用され日本軍の基地建設、捕虜の監視のために大量動員されました。地域は日本国内から中国、東南アジアまで広範囲におよび、連行数は36万4,000人となり1953年5月現在の死亡者、行方不明者は14万人におよんでいます(公安調査庁『在日朝鮮人の概況』1953年)
しかし、こうして徴用された朝鮮人に対し現在、外国籍という理由であらゆる援護法の適用から除外しています。
委細はこちら ↓
http://peaceful-asia.hp.infoseek.co.jp/rachimondai.html
1.強制連行とは
朝鮮人強制連行とは、日本が侵略戦争を敢行するために国家総動員法に基づき1939年から実施された労務動員計画と国民動員計画により朝鮮本土からの連行、次いで国民徴用令により日本国内からの労務動員、さらには軍人・軍属・女子挺身隊・慰安婦としての戦時動員、これら全てを包括するものです。
2.労務動員
強制労働による作業場は、炭坑、鉱山、軍需工場、土木作業、日本軍基地建設、地下工場建設等である。強制連行初期に連行された朝鮮人の移入先は約60%が鉱山関係であったとされています。これは国家総動員法を検討している段階ですでに明確にされており、政策的なものでした。
厚生省は「坑内夫の八、九割迄は半島人(朝鮮人)にて補充」(『厚生省内意』一九四一年九月二六日)としており、鉱山労働でもっとも過酷な地下労働(坑内作業)が朝鮮人強制連行者の主な作業場でした。
軍需工場、土木作業所等の分野でも危険な作業は、そのほとんどを朝鮮人労働者が行っていました。
○ 女子挺身隊
戦争遂行のため1943年から朝鮮国内および日本国内の軍需産業に勤労挺身隊として幼い12歳の朝鮮人少女も動員されました。
1992年1月ソウルの芳山国民学校で確認された学籍簿によると、12歳〜14歳の生徒が1944年7月、日本・富山県の不二越に連行されたとのことで、生存者の証言によると労働時間は14時間以上であり、食事すら満足に与えられなかったということです。(『東亜日報』1992年1月16日)
○ 慰安婦
慰安婦とは、日本軍の管理下で戦場に連行され日本兵との性行為を強要された女性のことで、1932年から1945年まで動員が行われました。そのほとんどは朝鮮人未婚女性で、当然、本人の承諾なしに連行されました。その数は実に10万人から20万人と言われています。
1972年、沖縄で現地調査が行われた際、「慰安婦」の炊事を受け持っていた兼島キク氏は次のように目撃談を語った。
「この女性たちはみな20代(1人だけ19歳)だった。1944年9月ごろ、古賀隊と一緒に来た。・・・午前中は雑役、食糧運び、それに芋掘り、材木伐りなどもさせられ兵と同じように働かされていた。昼は兵、夜は将校が相手だった。札を持った兵隊たちが列をつくってならんでいた。それでもこの人たちは『いつ死ぬか分からないんだから』と言いながら『早く国に帰りたい』『オンマに会いたい』ともらしていた。とくに月夜のときには、そうだった。そして朝鮮の歌などを寂しげに歌っていた」
沖縄で従軍慰安婦にされたぺ・ボンギさんは1944年春、釜山で「シンガポールに行けば金儲けが出来る」騙され連行されました。慰安婦にされることを知ったとき「体中の血が逆流する思い。恐怖で震え上がったよ。大声でこんなことがあってもいいのかと叫んだよ」と証言しています。
○ 軍人・軍属
日本の侵略戦争がアジアから太平洋へと拡大するにつれて、朝鮮人は軍要員として軍属に徴用され日本軍の基地建設、捕虜の監視のために大量動員されました。地域は日本国内から中国、東南アジアまで広範囲におよび、連行数は36万4,000人となり1953年5月現在の死亡者、行方不明者は14万人におよんでいます(公安調査庁『在日朝鮮人の概況』1953年)
しかし、こうして徴用された朝鮮人に対し現在、外国籍という理由であらゆる援護法の適用から除外しています。
委細はこちら ↓
http://peaceful-asia.hp.infoseek.co.jp/rachimondai.html
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.