Re: 東中野某名誉毀損裁判 マギー
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2006/06/29 00:26 投稿番号: [10234 / 41162]
マギー
紀念南京大屠殺受難同胞連合会とは中華系アメリカ人によって組織されたニューヨークの団体で、平成3(1991)年に結成され、同年マギーフィルムを発見したとしている。
マギーが撮影したのは鼓楼病院内の怪我人とか道路脇の死体とかで、大虐殺シーンとは程遠い。
昭和13(1938)年5月16日の雑誌「ライフ」に
「Thease atrocities explain jap defeat」のタイトルでマギーフィルムの写真10枚が掲載されている。撮影者は秘密にされなければならないとあり、死体の写真が2枚、あと8枚は入院している怪我人の写真である。編集者はどぎつい写真を使いたがるはずだが使われた写真は別にどうってことないものである。
それぞれにキャプションが付けられていて李秀英・夏淑琴のエピソードの原型がすでにうかがえる。
マギーは国際委員会メンバーとして複数の許可証を持ち、陥落後も城内の通行を許され、あちこち撮影することも許された。彼は眼にした被害者がすべて日本兵による被害者だと強く思い込み、東京裁判でも証言した。
東京裁判では検察側証人は偽証罪を問われず、証言は伝聞だろうが噂だろうが創作だろうが検証もなく採用された。
マギーは昭和21年8月15日と16日、市ケ谷法廷で2日間にわたり南京での日本軍の暴行(伝聞)を百数十件証言している。
マギーがカメラを回した鼓楼病院では、被害難民の治療費を無料にすることをマギーが決めていた。
難民たちがタダで治療を受け入院するためには、なんでもいいから「日本兵にやられた」と言い張る必要があったのである。
▲ジョン・マギ−
アメリカ人宣教師、布教と医療活動を行なっていた。
彼が撮った16ミリフィルムは、大虐殺の証拠と言われるが、アメリカ国務省もマスコミも無視、東京裁判でも提出されなかった。
マギーの日記も出版されている。
民国26年、南京のバテレン
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
(参考)
―――――――
(前略)
目撃者が判明している殺人事件はゼロ件であった。スティール記者やダーディン記者が報じた「外国人はたくさんの殺害を目撃した」という表現は事実にもとづいていないことが、はっきりと分かるであろう。
しかし、洩れがあるといけない。そこで念のため「ラーベ日記」「ヴォートリン日記」など当時の記録や「アメリカ関係資料集」に出てくる殺人の記録をすべて収録した冨沢繁信「被害事例の日計表」を見てみたが、当時の日中英独の記録を全部集計しても、12月13日の殺人事件は3件、14日が4件、15日が8件であった。しかし、それでさえも目撃された殺人事件はゼロなのである。
マギー牧師は東京裁判に出廷して、多くの殺人が南京で起きたと証言した。しかし、実際のところ何件の殺人を目撃したのかと問われると、牧師は「ただ僅か一人の事件だけは自分で目撃しました」と証言した。ところが彼は日記に「その殺人が現実に起きたとき、われわれはそれを見ていなかった」と書いている。そうなると、マギー牧師が見たと証言した「一人」の事件ですら疑われてくるのである。
このように3つの視点からアメリカの新聞記事を検証した結果、殺人事件にかんするかぎり、日本軍による市民殺害を裏付ける証拠は当時のどの記録からも見出すことはできない。スティール記者やダーディン記者が、外国人は南京で頻発する市民殺害を目撃したと書いたのは虚報であったとしか言いようがない。
P114〜117
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
―――――――
(注)
マギーが目撃したこととして証言した一人の殺人事件とは、歩哨の日本兵が一人の支那人に「お前は何者か」と尋ねたら、その支那人が突然逃げ出したので背後から撃ったというのである。
したがって、仮にこれが事実だったとしても、「虐殺」ではない。
紀念南京大屠殺受難同胞連合会とは中華系アメリカ人によって組織されたニューヨークの団体で、平成3(1991)年に結成され、同年マギーフィルムを発見したとしている。
マギーが撮影したのは鼓楼病院内の怪我人とか道路脇の死体とかで、大虐殺シーンとは程遠い。
昭和13(1938)年5月16日の雑誌「ライフ」に
「Thease atrocities explain jap defeat」のタイトルでマギーフィルムの写真10枚が掲載されている。撮影者は秘密にされなければならないとあり、死体の写真が2枚、あと8枚は入院している怪我人の写真である。編集者はどぎつい写真を使いたがるはずだが使われた写真は別にどうってことないものである。
それぞれにキャプションが付けられていて李秀英・夏淑琴のエピソードの原型がすでにうかがえる。
マギーは国際委員会メンバーとして複数の許可証を持ち、陥落後も城内の通行を許され、あちこち撮影することも許された。彼は眼にした被害者がすべて日本兵による被害者だと強く思い込み、東京裁判でも証言した。
東京裁判では検察側証人は偽証罪を問われず、証言は伝聞だろうが噂だろうが創作だろうが検証もなく採用された。
マギーは昭和21年8月15日と16日、市ケ谷法廷で2日間にわたり南京での日本軍の暴行(伝聞)を百数十件証言している。
マギーがカメラを回した鼓楼病院では、被害難民の治療費を無料にすることをマギーが決めていた。
難民たちがタダで治療を受け入院するためには、なんでもいいから「日本兵にやられた」と言い張る必要があったのである。
▲ジョン・マギ−
アメリカ人宣教師、布教と医療活動を行なっていた。
彼が撮った16ミリフィルムは、大虐殺の証拠と言われるが、アメリカ国務省もマスコミも無視、東京裁判でも提出されなかった。
マギーの日記も出版されている。
民国26年、南京のバテレン
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/tyousa03/nank4.htm
(参考)
―――――――
(前略)
目撃者が判明している殺人事件はゼロ件であった。スティール記者やダーディン記者が報じた「外国人はたくさんの殺害を目撃した」という表現は事実にもとづいていないことが、はっきりと分かるであろう。
しかし、洩れがあるといけない。そこで念のため「ラーベ日記」「ヴォートリン日記」など当時の記録や「アメリカ関係資料集」に出てくる殺人の記録をすべて収録した冨沢繁信「被害事例の日計表」を見てみたが、当時の日中英独の記録を全部集計しても、12月13日の殺人事件は3件、14日が4件、15日が8件であった。しかし、それでさえも目撃された殺人事件はゼロなのである。
マギー牧師は東京裁判に出廷して、多くの殺人が南京で起きたと証言した。しかし、実際のところ何件の殺人を目撃したのかと問われると、牧師は「ただ僅か一人の事件だけは自分で目撃しました」と証言した。ところが彼は日記に「その殺人が現実に起きたとき、われわれはそれを見ていなかった」と書いている。そうなると、マギー牧師が見たと証言した「一人」の事件ですら疑われてくるのである。
このように3つの視点からアメリカの新聞記事を検証した結果、殺人事件にかんするかぎり、日本軍による市民殺害を裏付ける証拠は当時のどの記録からも見出すことはできない。スティール記者やダーディン記者が、外国人は南京で頻発する市民殺害を目撃したと書いたのは虚報であったとしか言いようがない。
P114〜117
『南京事件――国民党極秘文書から読み解く』東中野修道著
―――――――
(注)
マギーが目撃したこととして証言した一人の殺人事件とは、歩哨の日本兵が一人の支那人に「お前は何者か」と尋ねたら、その支那人が突然逃げ出したので背後から撃ったというのである。
したがって、仮にこれが事実だったとしても、「虐殺」ではない。
これは メッセージ 10211 (pipopipo555jp さん)への返信です.