(つくる会)藤岡某の評判
投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2006/06/28 19:57 投稿番号: [10213 / 41162]
(wikipediaより抜粋)
(藤岡氏)は湾岸戦争以前まで日本共産党員であり、講演活動を活発に行っていたが、ソ連崩壊と共に共産党を離れ、思想的にも社会主義を真向から否定する姿勢に転向した。湾岸戦争の時の日本の採った態度一国平和主義に平和運動の限界を感じ、保守陣営に身を投じるようになった。転向以前は、政治的教育的に現代の彼の正反対の立場にある歴史教育協議会(歴教協)の会員でもあった。
なお、東大の教官の間では、アメリカ留学時代に英語が通じなかったことが藤岡の劣等感を生み、独自の強硬路線を主張する契機となったと見ている。
藤岡が脚光を浴びたのは1996年。「自由主義史観」の是非を巡る議論が交わされていた最中に、藤岡は内部での議論を殆どしないまま研究会名義で「従軍慰安婦の記述を中学校教科書から削除せよ」との声明を発表した。これに反撥した会設立当時からのメンバーの大半が離反し、その一方保守系の人士が大挙して参入してきたため、研究会は保守系の団体に「純化」し、藤岡の交流範囲もそれに限定されていった。保守イデオローグとしての立場を鮮明にした後の藤岡は、当初掲げていた歴史観の自由交流の提言を放棄し、歴史の教科書を「自虐史観」に毒されていると批判する一方、「大東亜戦争肯定史観」に対する批判は全く聞かれなくなり、事実上それを支持する立場に立った。「自由主義史観」が単に「大東亜戦争肯定史観」の一類型にすぎないと見られるようになったのは、このような藤岡の振る舞いによるところが大きいと言えよう。
「新しい歴史教科書をつくる会」元・名誉会長西尾幹二によると、情熱が知性より先走るタイプであるが、肝心のところでは、意気地が無く、将たる器ではないとされる。実際、八木秀次副会長の下では、「つくる会」の評議会で、公然と面罵されるがままであったらしい。もっけの幸いの怪文書事件で、八木が副会長を辞任することなり、彼が現副会長職にあるが、既定路線どおり八木が会長に昇進していれば、彼の昇進は無かったであろうとされる。
(なんだ、ろくな奴がいないな、つくる会には!)
これは メッセージ 1 (the_super_aikokusya さん)への返信です.
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