『支那軍、長崎へ無許可上陸』
投稿者: tm_bit 投稿日時: 2006/06/23 21:38 投稿番号: [10050 / 41162]
1886年(明治19年)8月1日、北洋艦隊の新鋭戦艦「定遠」「鎮遠」と巡洋艦「済遠」「威遠」の4隻が、日本政府には何ら予告なく、無許可で修理のためと称して突然長崎に入港した。
艦名の「遠」は外国を意味し,特に日本を指していた。「定遠」「鎮遠」は日本鎮定の意味だ。排水量 7,220t、主砲は30cm×4,当時世界第一の大戦艦だった。
その頃、日本海軍は英国製の「浪速」と「高千穂」(3000t)の小艦があるだけだった。
8月13日には清国水兵が勝手に上陸開始した。兵力は500人以上長崎市内をのし回り、商店に押し入って金品を強奪した。酒を探して飲み、市民の女性を追いかけるなど、散々に暴れ狂った。
急報により、日本人巡査が鎮圧に出動したが、多勢に無勢袋叩きに遭った。やがて応援の巡査の一隊が駆けつけ、双方抜刀して市街戦になった。斬り合いの結果双方とも八十数人の死傷者を出した(水兵4人、巡査2人が死亡)
この長崎事件は当時、日本全国に一大ショックを与え清国に対する日本人の敵愾心が烈火のように燃え上がった。
この事件の背景には、朝鮮問題を巡る日清両国の紛争があった。そこで日本を脅かすため、清国海軍が計画的に長崎に殴り込みをかけたのだ。当時の弱小国の日本は、歯噛みしながら、なす術もなかった。
この「長崎事件」を契機として、日本人の防衛思想の根底に大陸を国防の第一線とする考え方が生まれたのである。
●120年前も今も変わらぬ支那の侵略性と恐喝性!
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