いゃあ〜アメリカには負けます。
投稿者: T_Ohtaguro 投稿日時: 2004/01/25 04:32 投稿番号: [823 / 3072]
拷問
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/blum05.html
「最初の一撃はあまりに苦痛で、死にたいと思った」
グロリア・エスペランサ・レイェス
(ホンジュラスで受けた拷問について。拷問で、彼女の胸と膣に電気ワイヤーが付けられた。)
「奴らはいつも、殺してくれと言う。拷問は死よりもひどい。」
ホセ・バレラ ホンジュラスの拷問者[1]
一九九九年七月一四日、トルコ。警察があるクルド人家族の家に押し入り、二人の娘−一四歳のメディーヌと妹のデブラン−を尋問のために連れていくと宣言した。「私は服を着に寝室に向かった」と、デブランはのちに言う。「けれども、メディーヌは・・・まっすぐ窓に駆けていってそこから身を投げた。」メディーヌの母は次のように説明する。「私の娘は、再び拷問を受けるよりも、死を選んだのです。」[2]
「拷問は一瞬で終わるかもしれない。けれども、拷問を受けた人は決してもとのままではいられない。」
アムネスティ・インターナショナル報告書[3]
戦争状態、戦争の脅威、内政の不安定又は他の公の緊急事態であるかどうかにかかわらず、いかなる例外的な事態も拷問を正当化する根拠として援用することはできない。
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(拷問禁止条約)第二条第二項[4]
「身体的虐待をはじめとする侮辱的扱いは否定された。それが悪いからではなく、歴史的に効果のないことが証明されたからだ。」一九八八年、CIAの副作戦主任リチャード・ストルスはこう述べた[5]。
CIAはこうしたことを好んで口に出す。もっともらしい否定の響きがあると考えるからである。しかし、拷問で口を割らせることはできないとか、拷問がそのために極めて有効でないと信じるものがいるだろうか。リチャード・ストルスとCIAは、上に紹介したメディーヌが、もし自殺する機会がなかったならば、拷問でも告白しなかったろうと信じさせたいようである。拷問の効果はさらに大きい。というのも、拷問の目的は、情報を得るというよりも、罰を与えることにより、犠牲者が今後は内なる理想主義を掘り出して反対活動に関わらないようにし、また、仲間に警告を送ることにある。
こうした目的で、CIAは何十年にもわたり、拷問と共存してきた。(トルコがワシントンと非常に近しい戦略的同盟関係にあることを思い起こそう。ホンジュラスについては、以下で述べる。)友好的な拷問者と結託するのは、注意深く隠されたCIAの秘密だった。そのため、長い間、実際の苦痛に満ちた詳細が伝わることはなかった。けれども、明るみに出た記録もある。それらを下記に紹介しよう。
ギリシャ
一九四〇年代後半、CIAは新たなギリシャの治安組織KYP創設に手を貸した。まもなく、KYPは、秘密警察がどこででも行うようなことを始めた。体系的拷問も含まれていた。KYPがもっとも活発だったのは、一九六七年から一九七四年の軍事政権時代であり、この期間には、日常的に恐るべき拷問が行われた。アムネスティ・インターナショナルは、のちに、次のように述べている。「公式声明や証言からわかる拷問に関するアメリカの政策は、否定できる限り否定し、否定できないときはもっとも軽く見るというものであった。この政策は、軍事政権支援の自然な帰結である。」[6]
アムネスティがギリシャに派遣したアメリカ人法律家ジェームズ・ベケットは、一九六九年、拷問者のなかには、米国の軍事援助によって得られた拷問道具もあると囚人に言っていたと書いている。一つは「太くて白い二重ケーブル」の鞭で、「科学的で効果的」だった。もう一つは頭を締め付ける輪で、「鉄の渦巻き」と言われ、徐々に頭と耳を締め付けるものだった[7]。ベッカーは、拷問者たちにとって、アメリカの支援は決定的に重要だったと書いている。
何百名もの囚人が、バシル・ラムブロウ警部の小演説を聞いた。彼は、赤・白・青からなる米国援助のシンボルを掲げた机の後ろに座っていた。彼は囚人たちに、抵抗がまったく無意味であることを占めそうとした。「おまえたちは、何でもできると考えて、自分を馬鹿げた存在にしている。世界は二つに分かれている。一方に共産主義者たちがいて、他方に自由世界がある。ロシア人とアメリカ人、ほかには誰もいない。我々はといえば、アメリカ人なのだ。私の後ろには政府があり、政府の後ろにはNATOがあり、NATOの後ろには米国がある。我々と戦っても無駄だ。我々はアメリカ人なのだから。」[8]
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/blum05.html
「最初の一撃はあまりに苦痛で、死にたいと思った」
グロリア・エスペランサ・レイェス
(ホンジュラスで受けた拷問について。拷問で、彼女の胸と膣に電気ワイヤーが付けられた。)
「奴らはいつも、殺してくれと言う。拷問は死よりもひどい。」
ホセ・バレラ ホンジュラスの拷問者[1]
一九九九年七月一四日、トルコ。警察があるクルド人家族の家に押し入り、二人の娘−一四歳のメディーヌと妹のデブラン−を尋問のために連れていくと宣言した。「私は服を着に寝室に向かった」と、デブランはのちに言う。「けれども、メディーヌは・・・まっすぐ窓に駆けていってそこから身を投げた。」メディーヌの母は次のように説明する。「私の娘は、再び拷問を受けるよりも、死を選んだのです。」[2]
「拷問は一瞬で終わるかもしれない。けれども、拷問を受けた人は決してもとのままではいられない。」
アムネスティ・インターナショナル報告書[3]
戦争状態、戦争の脅威、内政の不安定又は他の公の緊急事態であるかどうかにかかわらず、いかなる例外的な事態も拷問を正当化する根拠として援用することはできない。
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(拷問禁止条約)第二条第二項[4]
「身体的虐待をはじめとする侮辱的扱いは否定された。それが悪いからではなく、歴史的に効果のないことが証明されたからだ。」一九八八年、CIAの副作戦主任リチャード・ストルスはこう述べた[5]。
CIAはこうしたことを好んで口に出す。もっともらしい否定の響きがあると考えるからである。しかし、拷問で口を割らせることはできないとか、拷問がそのために極めて有効でないと信じるものがいるだろうか。リチャード・ストルスとCIAは、上に紹介したメディーヌが、もし自殺する機会がなかったならば、拷問でも告白しなかったろうと信じさせたいようである。拷問の効果はさらに大きい。というのも、拷問の目的は、情報を得るというよりも、罰を与えることにより、犠牲者が今後は内なる理想主義を掘り出して反対活動に関わらないようにし、また、仲間に警告を送ることにある。
こうした目的で、CIAは何十年にもわたり、拷問と共存してきた。(トルコがワシントンと非常に近しい戦略的同盟関係にあることを思い起こそう。ホンジュラスについては、以下で述べる。)友好的な拷問者と結託するのは、注意深く隠されたCIAの秘密だった。そのため、長い間、実際の苦痛に満ちた詳細が伝わることはなかった。けれども、明るみに出た記録もある。それらを下記に紹介しよう。
ギリシャ
一九四〇年代後半、CIAは新たなギリシャの治安組織KYP創設に手を貸した。まもなく、KYPは、秘密警察がどこででも行うようなことを始めた。体系的拷問も含まれていた。KYPがもっとも活発だったのは、一九六七年から一九七四年の軍事政権時代であり、この期間には、日常的に恐るべき拷問が行われた。アムネスティ・インターナショナルは、のちに、次のように述べている。「公式声明や証言からわかる拷問に関するアメリカの政策は、否定できる限り否定し、否定できないときはもっとも軽く見るというものであった。この政策は、軍事政権支援の自然な帰結である。」[6]
アムネスティがギリシャに派遣したアメリカ人法律家ジェームズ・ベケットは、一九六九年、拷問者のなかには、米国の軍事援助によって得られた拷問道具もあると囚人に言っていたと書いている。一つは「太くて白い二重ケーブル」の鞭で、「科学的で効果的」だった。もう一つは頭を締め付ける輪で、「鉄の渦巻き」と言われ、徐々に頭と耳を締め付けるものだった[7]。ベッカーは、拷問者たちにとって、アメリカの支援は決定的に重要だったと書いている。
何百名もの囚人が、バシル・ラムブロウ警部の小演説を聞いた。彼は、赤・白・青からなる米国援助のシンボルを掲げた机の後ろに座っていた。彼は囚人たちに、抵抗がまったく無意味であることを占めそうとした。「おまえたちは、何でもできると考えて、自分を馬鹿げた存在にしている。世界は二つに分かれている。一方に共産主義者たちがいて、他方に自由世界がある。ロシア人とアメリカ人、ほかには誰もいない。我々はといえば、アメリカ人なのだ。私の後ろには政府があり、政府の後ろにはNATOがあり、NATOの後ろには米国がある。我々と戦っても無駄だ。我々はアメリカ人なのだから。」[8]
これは メッセージ 818 (ttohtaguro さん)への返信です.