最新朝鮮事情ー朝鮮の川ー
投稿者: monjujz 投稿日時: 2013/01/26 19:47 投稿番号: [1061 / 1322]
釜山に上陸し、龍頭山[引用者註:釜山にある山の名]に上りて四方の島山を望み、又草梁[引用者註:当時の京釜鉄道の始発駅]から汽車に乗て行きつゝ、車窓から四方の山々の禿げて木の無い所、出水の度毎に田畑を荒らして居る所などを見ては、誰でも朝鮮には山も無いが川も無いといふ感じを生ずるであらう。
川即ちカワとは和語、カワルといふ意から出たので、又山即ちヤマはヤムといふ意からであると聞いて居たが、成る程川も自然に任して之れが堤防を作つたり、川浚(さら)へをして水流を自由にしたり、などゝ人が世話をして所謂(いはゆる)治水といふことをしなければ、大水の度毎に其激勢で田や野を荒らし、水流の所を変へることは有り勝ちで、昔に於て川は変るものとして居たのは当然でもあらうが、併(しか)し夫れでは其水の及ぶ所安心して田畑に手をかけ物を入れて之を作ることは出来ない、田畑を持つて居ても何時流れてしまふやら分(わから)ぬから、決して安固確実な財産といふことは出来ないことになる。
であるから我国でも治水即ち河川の修治改築といふことには力を入れて、国庫の費用を以てやるものあれば、又地方費でやるのもある、一例を挙れば木曾川の如き改修工事をやつたが為めに沿岸近方どれだけの田畑が出来たことか分らない程で、随分物が入るやうでも、之に十分手を入れて水荒(みづあれ)の損害が無いやうにしたなら、安固な財産を得て年々の利益は決して少くないから一時の物入位は訳は無く戻つて来る、そこで人の知識文明が開けるだけ、河川の修築といふことに物を入れ力を入れるやうになる。
所が朝鮮ではマダ治水といふ考へが無いらしい、全国一体に川は多いが、今ある川でも大水が出れば如何(どう)変るか分らない、少し手を入れば水流れが定まつて、此辺(このあたり)立派な土地が出来る、安心して稲や麦を作ることが出来やうと思ふ所でも、一向平気に打やつてある、朝鮮に川無しと申しても止むを得んでは無いか。
だから大水が出ない年は穀類なども良く出来て豊年を祝ふことが出来るが、一度大水に逢ふと流域一体に河水に浸され、作物は大(おほい)に害せられて仕舞う、そこで朝鮮には三豊一凶とかいふ語がある位で、三年に一度は大水で荒れるものと観念して居る、情け無い話しで、天からの立派な恵みを人の手の不行届(ふゆきとゞき)の為めに沢山失うて居るのである。
どうか朝鮮百年の経営を思へば姑息の考えをせずに、先づ此川を作り川を固めて、川流を完全にし、運輸の便利を十分にし、そして近傍一帯作物の善く出来る土地々々を安心して作ることの出来るやう、尚之れに手を入れ物をかけて十分の財産に仕立てることが出来るやうにしたいものと思ふ。
であるから、朝鮮の内地を開くのは殖林と此河川修築が第一の急務ではあるまいかと思ふ、今でも土地はやすし、農業をしても内地よりは余程割合が善い、善い儲けになるのであるから、之を若し河川を修築して大水の荒れる害を防ぎ、田畑作物の安全を図ることが出来るに至たつたなら、我国から渡て行く人は拒(ふせ)ぎ切れない程であるであらう。
斯様(かやう)に朝鮮に川無しと申しても善いのであるが、其川々の水が集つて多きになつた川は中々大きいから、随(したがつ)てチヨツトの大水位で、変ることは無い、是れが先づ仕合(しあはせ)で、大きいのになると日本には[ないほど]大きな川がある、鴨緑江、大同江、洛東江の如きは即ち此れで、之れに漢江、豆満江を加へて朝鮮の五大江と唱へて居る、此外清川江、錦江、セン津江、栄山江など沢山あり、此等は皆大流れの大河で、小蒸汽船などの遡つて往くのがあつて、其運輸の利は小くないのである。
朝鮮の土地はサして幅広い土地ではないが、其脊梁を為す山が東の一辺を縦に奔(はしつ)て居るから、西方は割合に平地が広い、そこで西方一帯に此等大河が多くあるのである。
川即ちカワとは和語、カワルといふ意から出たので、又山即ちヤマはヤムといふ意からであると聞いて居たが、成る程川も自然に任して之れが堤防を作つたり、川浚(さら)へをして水流を自由にしたり、などゝ人が世話をして所謂(いはゆる)治水といふことをしなければ、大水の度毎に其激勢で田や野を荒らし、水流の所を変へることは有り勝ちで、昔に於て川は変るものとして居たのは当然でもあらうが、併(しか)し夫れでは其水の及ぶ所安心して田畑に手をかけ物を入れて之を作ることは出来ない、田畑を持つて居ても何時流れてしまふやら分(わから)ぬから、決して安固確実な財産といふことは出来ないことになる。
であるから我国でも治水即ち河川の修治改築といふことには力を入れて、国庫の費用を以てやるものあれば、又地方費でやるのもある、一例を挙れば木曾川の如き改修工事をやつたが為めに沿岸近方どれだけの田畑が出来たことか分らない程で、随分物が入るやうでも、之に十分手を入れて水荒(みづあれ)の損害が無いやうにしたなら、安固な財産を得て年々の利益は決して少くないから一時の物入位は訳は無く戻つて来る、そこで人の知識文明が開けるだけ、河川の修築といふことに物を入れ力を入れるやうになる。
所が朝鮮ではマダ治水といふ考へが無いらしい、全国一体に川は多いが、今ある川でも大水が出れば如何(どう)変るか分らない、少し手を入れば水流れが定まつて、此辺(このあたり)立派な土地が出来る、安心して稲や麦を作ることが出来やうと思ふ所でも、一向平気に打やつてある、朝鮮に川無しと申しても止むを得んでは無いか。
だから大水が出ない年は穀類なども良く出来て豊年を祝ふことが出来るが、一度大水に逢ふと流域一体に河水に浸され、作物は大(おほい)に害せられて仕舞う、そこで朝鮮には三豊一凶とかいふ語がある位で、三年に一度は大水で荒れるものと観念して居る、情け無い話しで、天からの立派な恵みを人の手の不行届(ふゆきとゞき)の為めに沢山失うて居るのである。
どうか朝鮮百年の経営を思へば姑息の考えをせずに、先づ此川を作り川を固めて、川流を完全にし、運輸の便利を十分にし、そして近傍一帯作物の善く出来る土地々々を安心して作ることの出来るやう、尚之れに手を入れ物をかけて十分の財産に仕立てることが出来るやうにしたいものと思ふ。
であるから、朝鮮の内地を開くのは殖林と此河川修築が第一の急務ではあるまいかと思ふ、今でも土地はやすし、農業をしても内地よりは余程割合が善い、善い儲けになるのであるから、之を若し河川を修築して大水の荒れる害を防ぎ、田畑作物の安全を図ることが出来るに至たつたなら、我国から渡て行く人は拒(ふせ)ぎ切れない程であるであらう。
斯様(かやう)に朝鮮に川無しと申しても善いのであるが、其川々の水が集つて多きになつた川は中々大きいから、随(したがつ)てチヨツトの大水位で、変ることは無い、是れが先づ仕合(しあはせ)で、大きいのになると日本には[ないほど]大きな川がある、鴨緑江、大同江、洛東江の如きは即ち此れで、之れに漢江、豆満江を加へて朝鮮の五大江と唱へて居る、此外清川江、錦江、セン津江、栄山江など沢山あり、此等は皆大流れの大河で、小蒸汽船などの遡つて往くのがあつて、其運輸の利は小くないのである。
朝鮮の土地はサして幅広い土地ではないが、其脊梁を為す山が東の一辺を縦に奔(はしつ)て居るから、西方は割合に平地が広い、そこで西方一帯に此等大河が多くあるのである。
これは メッセージ 1060 (どんぎゅう さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4hua19qa4n5doc0a4n9adbel_1/1061.html