義兵運動の思想(朱子学と韓国)2
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/26 09:56 投稿番号: [991 / 230347]
実際、明国で始まり、官学として地歩を固めた朱子の儒学というこの宗教(というより
イデオロギー)は、東アジアを席巻し、もちろん日本にも到達していました。江戸幕府も、
体制秩序維持の道具として取り入れもしたのです(※)。しかしながら日本では、官学と
しての朱子学はありましたが儒教国家にはなりませんでした。儒者が政治を担わない儒教
国家というものはあり得ないので、江戸期の日本は儒教国家ではないと言えるからです。
(朝鮮では儒者が政治を担いましたが、誰が聖人に近く、誰が禽獣に近いかなどというこ
とで馬鹿なインテリが党派争い(党争)にうつつを抜かしていただけの体たらくで、比較
的日本は幸運だったと言えるでしょう 笑)
儒教と言っても、孔子の儒教、孟子の儒教、朱(熹)子の儒教、王陽明の儒教…と、色々
ありますし、それぞれがカトリックとプロテスタントほどの違いを持っているものなので、
朝鮮のように朱子の儒教のみが優れていると、そこに固着した国家は他に類をみません。
※ 徳川家康に仕えた藤原惺窩や林羅山が朱子学者であったため、朱子学が幕府や諸藩で
さかんになり、封建制度をささえる道徳として発達したという事実はあります。ですが日本
では、やがて朱子学を批判する立場の陽明学派(中江藤樹や,熊沢蕃山など)や、伊藤仁斎
らの古学派もおこり、多くの学者が活躍したのでした。大阪の奉行であった大塩平八郎など
は、窮民を救わない江戸幕府に対して反乱を試みたりもしています。興味がある方は、中江
藤樹とか大塩平八郎で検索してみてください。儒学も様々なのです。
儒教の三綱五倫だとか、礼儀道徳だとか言っても、差別の体系という観点から見れば、
実に悲惨なものにすぎません。あえてここでは現代の視点から朱子学の世界を見てそう言い
たいと思います。例えば、現在も韓国においては接客業というのが賤しい職業だとされてい
ます。そしてその中にも序列があり「食堂のウェイトレスは床屋の女店員を蔑み、床屋の女
店員は酒場のホステスをいやしみ、酒場のホステスは自分たちは旅館の女たちとは違う、
「自分たちはあのようなチムスン(禽獣)ではない」と力強く主張するのである」(古田
博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書)
こうした情けない差別思想は、朱子学の残滓以外の何者でもないと思います…。
あくまでもこうした朱子学を援用した人間関係の規定、その序列化は、国王や両班を中
心とする階級支配を維持するために存在したものです。近代的国民社会の成立にとっては
真っ先に排除されてしかるべきものだったと言えましょう。
ですが、朝鮮の開化派が国難に際して国民国家を希求したのに対し、義兵運動の指導者達
は、大部分が朱子学の名分理念に固執し、伝統的封建的身分秩序を維持しようとする儒林と
王朝の高官たちであったのです。その結果、闘争のイデオロギーも、衛正斥邪、近代文明を
拒否する超保守的な身分秩序と華夷秩序を守ろうとするものに過ぎず、国民的団結という
ものは作り得なかったと言えるでしょう。
注記1:儒教に関しての表記で、「儒教」と言うのは宗教的側面を考えた場合、「儒学」と
いうのは思想的側面を考えた場合に使っております。また「儒者」とか「儒家」は、儒教の
思想家あるいは儒教を学ぶ人というぐらいの意味です。
注記2:宋代の朱熹は、仏教哲学に対抗する哲学として儒学の体系をまとめたとされ、それ
を一般に「朱子学」と呼びます。明代の王陽明は実践を強調する説をたて、儒学に新しい潮
流を起こしました。それは普通「陽明学」と呼ばれます。
イデオロギー)は、東アジアを席巻し、もちろん日本にも到達していました。江戸幕府も、
体制秩序維持の道具として取り入れもしたのです(※)。しかしながら日本では、官学と
しての朱子学はありましたが儒教国家にはなりませんでした。儒者が政治を担わない儒教
国家というものはあり得ないので、江戸期の日本は儒教国家ではないと言えるからです。
(朝鮮では儒者が政治を担いましたが、誰が聖人に近く、誰が禽獣に近いかなどというこ
とで馬鹿なインテリが党派争い(党争)にうつつを抜かしていただけの体たらくで、比較
的日本は幸運だったと言えるでしょう 笑)
儒教と言っても、孔子の儒教、孟子の儒教、朱(熹)子の儒教、王陽明の儒教…と、色々
ありますし、それぞれがカトリックとプロテスタントほどの違いを持っているものなので、
朝鮮のように朱子の儒教のみが優れていると、そこに固着した国家は他に類をみません。
※ 徳川家康に仕えた藤原惺窩や林羅山が朱子学者であったため、朱子学が幕府や諸藩で
さかんになり、封建制度をささえる道徳として発達したという事実はあります。ですが日本
では、やがて朱子学を批判する立場の陽明学派(中江藤樹や,熊沢蕃山など)や、伊藤仁斎
らの古学派もおこり、多くの学者が活躍したのでした。大阪の奉行であった大塩平八郎など
は、窮民を救わない江戸幕府に対して反乱を試みたりもしています。興味がある方は、中江
藤樹とか大塩平八郎で検索してみてください。儒学も様々なのです。
儒教の三綱五倫だとか、礼儀道徳だとか言っても、差別の体系という観点から見れば、
実に悲惨なものにすぎません。あえてここでは現代の視点から朱子学の世界を見てそう言い
たいと思います。例えば、現在も韓国においては接客業というのが賤しい職業だとされてい
ます。そしてその中にも序列があり「食堂のウェイトレスは床屋の女店員を蔑み、床屋の女
店員は酒場のホステスをいやしみ、酒場のホステスは自分たちは旅館の女たちとは違う、
「自分たちはあのようなチムスン(禽獣)ではない」と力強く主張するのである」(古田
博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書)
こうした情けない差別思想は、朱子学の残滓以外の何者でもないと思います…。
あくまでもこうした朱子学を援用した人間関係の規定、その序列化は、国王や両班を中
心とする階級支配を維持するために存在したものです。近代的国民社会の成立にとっては
真っ先に排除されてしかるべきものだったと言えましょう。
ですが、朝鮮の開化派が国難に際して国民国家を希求したのに対し、義兵運動の指導者達
は、大部分が朱子学の名分理念に固執し、伝統的封建的身分秩序を維持しようとする儒林と
王朝の高官たちであったのです。その結果、闘争のイデオロギーも、衛正斥邪、近代文明を
拒否する超保守的な身分秩序と華夷秩序を守ろうとするものに過ぎず、国民的団結という
ものは作り得なかったと言えるでしょう。
注記1:儒教に関しての表記で、「儒教」と言うのは宗教的側面を考えた場合、「儒学」と
いうのは思想的側面を考えた場合に使っております。また「儒者」とか「儒家」は、儒教の
思想家あるいは儒教を学ぶ人というぐらいの意味です。
注記2:宋代の朱熹は、仏教哲学に対抗する哲学として儒学の体系をまとめたとされ、それ
を一般に「朱子学」と呼びます。明代の王陽明は実践を強調する説をたて、儒学に新しい潮
流を起こしました。それは普通「陽明学」と呼ばれます。
これは メッセージ 990 (uumin3 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/991.html