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義兵運動の思想(朱子学と韓国)1

投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/26 09:55 投稿番号: [990 / 230347]
  近代化という世界的な波は、朝鮮にとっては日本を通じて流れ込んできたものでした。
その結果、華夷秩序という従前のシステムを打ち砕いた日本は、そのシステムに安住して
いた人々にとっては「許し難い悪人」として捉えられることになりました。そして攘夷・
復旧の思想として「衛正斥邪」が唱えられ、義兵運動が起きたのです。

  いわゆる乙未義兵を終着点とする1890年代の義兵は、朝鮮で少しずつ蓄積していった反
日感情に、閔妃殺害事件(1895年10月)と断髪令(同年11月)が火をつけたものと言われ
ています。そしてその綱領としては、儒生の前近代的思想である忠孝思想があり、「露館
播遷」「金弘集内閣の倒壊」「断髪令の中止」などの復旧的成果が得られたところで、そ
の運動自体が終息してしまっております。これによっても明らかなように、義兵運動は反
近代、旧体制固守のための蜂起だったと結論付けることができるでしょう。

  前述の、第三次日韓協約および韓国軍の解散を契機に活発化する日露戦争以後の義兵に
おいても、闘争の思想的土台は「衛正斥邪」の延長でありまして、李朝への忠君愛国や復
辟の色彩が強く、近代的な民衆民族運動とは異なるものでした。

  さてここで頻出のターム「衛正斥邪」ですが、端的に言えばこれは朝鮮の朱子学を唯一
の「正しい学(正学)」とし、朱子の礼学以外の全てを「誤った学(邪学)」として退け
るというものです。そしてこの思想は、もともと「小中華思想」から来ておりまして、
「朱子学を奉じ、明国の中華文明の正当な継承者」たる朝鮮の学のみが正しいと考えるも
のですから、日本の学も西洋の学も、キリスト教などの宗教も、あるいは「野蛮人」が建
てた清国の学問なども皆邪学とされたのです。

  「箕氏の故国、大明国の東屏であり、太祖王以来中華の制をもって夷俗を変え、礼教を
定めて楽をつくり、人倫を盛んにしてきた我が国」(崔益鉉…衛正斥邪の巨頭の言葉)と
いう観念のもと、彼らの掲げたスローガンは「日本駆逐」、「親日開化派打倒」、「改革
停止」、「旧制復帰」といったものでした。すでに二百年以上前に滅亡した大明国の東の
防御壁として朝鮮が礼学を護る、そういった転倒した観念論は、いかにこの闘争の理論が、
現実を無視したものかを如実に語っています。ですから、在地の両班がいくら下人や農奴
を組織して武装蜂起しても、あくまでそれは両班のための闘争でしかありませんでしたか
ら、国民運動化しようがなかったのだと私は考えます。

  朱子の儒教では、この世の存在に「聖人」・「君子」・「小人」・「禽獣」・「草木」
の差別があるとします。この別は「気」の清濁に応じてつけられるとされたものです(※)。
そして、より優れたものがより劣ったもの(気が濁ったもの)を統治するのは当然である
とします。これは現状肯定型の統治イデオロギーとして働きます。「知足安分」などとい
う言い方で「分をわきまえた」生き方をその地位に即して行なえと、それを越えてしまっ
た場合には私欲に陥るから、高望みはするなというのがその基本的な教えです。

※   朱子の儒教は「理気二元論」と呼ばれますが、彼は存在というものを「理」と「気」の
合体から説明しました。全てのものには明澄な理が天から分有されています。が、万物の素
材をなす気には清濁があり、それによって曇ったものは天からそれだけ遠いとされるのです。
  最も濁ったものは器物・モノです。次は草木で、頭(根)を下にしているので劣っている
とされます。次が禽獣、動物で、頭が横についていると考えられます。頭が上の人間でも、
小人は気が濁った卑しい存在。その上の君子は気が澄んでいる。その分だけ理の光が増し、
道徳の知性が輝くとされます。それゆえ君子のみが卑しい他の存在を徳治できるのです。
  そしてさらに小人の上に俗人・善人という階梯を置いたり、君子の上に賢者・聖人を置い
て差別化は徹底していきました。それが韓国の朱子学の実態だったのです。
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