天皇陛下の「ゆかり」発言の意味は
投稿者: fvnii 投稿日時: 2008/02/05 17:53 投稿番号: [89013 / 230347]
桓武天皇と、武寧王の子孫のことを、韓国側がいかに誤解しているか?
ここに戻るとよく分かります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel&sid=1143582&mid=44974
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>『私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。』
この話しで、桓武天皇は、光仁天皇と当時の「在日朝鮮人」の間に生れた、と朝鮮人は考えたいんでしょうね(大笑)。
これは、無理がありすぎます。少なくとも、大きな無理だけで、三つはある。
また、歴史に暗愚な朝鮮人らしい愚かしさで、笑えますが、日本側から見ると、逆の表現ではないか?としか思えません(苦笑)。
ちょっとでも、歴史をかじった者なら、朝鮮側が、腹を立てても良い話しのようにしか見えませんよ。
母方の高野新笠自身の経歴がはっきりしない事もありますが・・・・武寧王の子孫とあっても、直系ではない可能性が非常に高い存在で、だからこそ、『ゆかり』としか言いようがないのでしょうね。
高野新笠は、経歴も分からないし、生年自体分かりません。武寧王から、7代から16代までと諸説あり、今のところ、13代目というのが最も有力らしいです。
まず、これだけでも、朝鮮人である可能性は低いと考えられるのは、当時の百済を追うと、簡単に分かります。
百済の武寧王(西暦462?−523、在位 501−523)
百済の滅亡 660年
白村江の戦 663年(日本と唐との戦い)
高野新笠(?−789)
白壁王・光仁天皇(709−781、在位 770−781)
山部王・桓武天皇(737−806、在位 781−806)
つまり、既に出身とされる武寧王の一族が滅んでから、200年以上経って、日本で生まれた人間ですね。それが、母方の高野新笠。
百済滅亡から、100年前後、武寧王死後、200年間、百済出身者の中で婚姻をしたという記録はまったくなく、日本側に移ってから、日本側と婚姻を繰り返しています。
また、百済自体が、朝鮮人の国とは、到底思えない点も重要ですね。
『倭の保護国的な色彩を帯びる。『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。』
『扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のことであろう。』
『扶余は、中国三国時代に満州に住んでいた民族』
『中国歴史書には「百済は支配層と民衆の言語が違う」とも、「住民の多くが中国人や倭人」とも、「倭人が頗る多い」とも記されている。』
『高句麗の広開土王や長寿王のために押され気味となり、高句麗に対抗するために倭国と結ぶようになった。この間の事情は広開土王碑文に記されている。しかし高句麗の長寿王は平壌に遷都し、華北の北魏との関係が安定するとますます百済に対する圧力を加えた。』
さらに・・・・・・
武寧王から、仮に、13代目の子孫が桓武天皇の母で、また、桓武天皇から、今上天皇まで44世代が経た事になりますね。
2の57乗根=144113000000000000
144113兆分の1、百済の武寧王の血が流れている事になります。
しかも、武寧王の時代は、倭の支配下にあったと考えられる百済。
従って、この武寧王自体、一体、何人だったのかが問題ですが(笑)。満州人?日本人?
朝鮮人だけではないですね!
大体、今の朝鮮人は、何人? モンゴル系? 中国系\xA1
ここに戻るとよく分かります。
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>『私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。』
この話しで、桓武天皇は、光仁天皇と当時の「在日朝鮮人」の間に生れた、と朝鮮人は考えたいんでしょうね(大笑)。
これは、無理がありすぎます。少なくとも、大きな無理だけで、三つはある。
また、歴史に暗愚な朝鮮人らしい愚かしさで、笑えますが、日本側から見ると、逆の表現ではないか?としか思えません(苦笑)。
ちょっとでも、歴史をかじった者なら、朝鮮側が、腹を立てても良い話しのようにしか見えませんよ。
母方の高野新笠自身の経歴がはっきりしない事もありますが・・・・武寧王の子孫とあっても、直系ではない可能性が非常に高い存在で、だからこそ、『ゆかり』としか言いようがないのでしょうね。
高野新笠は、経歴も分からないし、生年自体分かりません。武寧王から、7代から16代までと諸説あり、今のところ、13代目というのが最も有力らしいです。
まず、これだけでも、朝鮮人である可能性は低いと考えられるのは、当時の百済を追うと、簡単に分かります。
百済の武寧王(西暦462?−523、在位 501−523)
百済の滅亡 660年
白村江の戦 663年(日本と唐との戦い)
高野新笠(?−789)
白壁王・光仁天皇(709−781、在位 770−781)
山部王・桓武天皇(737−806、在位 781−806)
つまり、既に出身とされる武寧王の一族が滅んでから、200年以上経って、日本で生まれた人間ですね。それが、母方の高野新笠。
百済滅亡から、100年前後、武寧王死後、200年間、百済出身者の中で婚姻をしたという記録はまったくなく、日本側に移ってから、日本側と婚姻を繰り返しています。
また、百済自体が、朝鮮人の国とは、到底思えない点も重要ですね。
『倭の保護国的な色彩を帯びる。『日本書紀』の中には、領土を奪われた百済に任那の一部を割譲した記録や援軍を供出した記録、さらには倭朝廷に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが数多く残っている。』
『扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のことであろう。』
『扶余は、中国三国時代に満州に住んでいた民族』
『中国歴史書には「百済は支配層と民衆の言語が違う」とも、「住民の多くが中国人や倭人」とも、「倭人が頗る多い」とも記されている。』
『高句麗の広開土王や長寿王のために押され気味となり、高句麗に対抗するために倭国と結ぶようになった。この間の事情は広開土王碑文に記されている。しかし高句麗の長寿王は平壌に遷都し、華北の北魏との関係が安定するとますます百済に対する圧力を加えた。』
さらに・・・・・・
武寧王から、仮に、13代目の子孫が桓武天皇の母で、また、桓武天皇から、今上天皇まで44世代が経た事になりますね。
2の57乗根=144113000000000000
144113兆分の1、百済の武寧王の血が流れている事になります。
しかも、武寧王の時代は、倭の支配下にあったと考えられる百済。
従って、この武寧王自体、一体、何人だったのかが問題ですが(笑)。満州人?日本人?
朝鮮人だけではないですね!
大体、今の朝鮮人は、何人? モンゴル系? 中国系\xA1
これは メッセージ 88986 (ywnpn069 さん)への返信です.
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