Re: 桓武天皇の母君と百済の武寧王
投稿者: may7idaho 投稿日時: 2007/01/06 11:54 投稿番号: [45034 / 230347]
>シンスゴ氏をはじめとし、天皇陛下が朝鮮人だと思い込みたがる半島人。
>武寧王自身も日本で生まれたという話もあるみたいですね。
武寧王夫妻の棺が日本にしか自生しないコウヤマキで作られている。
確かに、日本と非常に縁の深い人だった(まさに逆の意味で)。<
そうですね。
武寧王自身は、恐らく、扶余人の流れですから、中国三国時代に満州地域に住んでいた民族の末裔でしょうね。
中国側、日本側の記録をつきあわせると、そう見えますね。
しかし、そういった事も、暗愚な朝鮮人達は、認めたがらず、自分達は、何の証拠も示さず、研究もなく、しかし、日本や中国の歴史書について、自分達が気に食わないところは認めない(大笑)。
だからこそ、武寧王が日本生まれという、日本側では常識的な事にも、ずっと抵抗し、黙殺し、日本側のでっち上げ等と言い続けた。
蘇我氏等の豪族が、朝鮮系だとか、渡来人だ等というのと同じで、何でもかんでも『認定』したがる(しかし、何の証拠も、記録もない)。
蘇我氏が百済系や朝鮮系だというのなら、何故、その前の古墳群は隠し、任那の存在も認めず、タブーにする必要性があるのか?(大笑)
そんな事(日本が当時の朝鮮の過半を支配していた)はなかった、全部、朝鮮系で、日本の豪族は全部渡来だと言い張るのなら、古墳群をひらいて、証拠を出せばいい(笑)。
しかし、できない。理由は簡単ですね。すべて、妄想で、嘘だから。
『日本書紀は(武寧王の)出生地を「加唐島」と記しているが、韓国の歴史書は反日感情もあって出生地については一切触れておらず、初めて韓国で言及した論文として注目を集めている。
また、日韓交流の原点に光を当てる意味でも貴重な論文になりそうだ。
文教授は韓国でも有名な歴史学者で、日本書紀の研究家としても知られる。
同教授の論拠は武寧王の墓誌銘だ。1971年、公州市で未盗掘のまま発見された同王の墓内から見つかった。
墓誌銘には出生地についての記述はないが、523年の没年日と、六十二歳で死亡したことが記されていた。
これは、日本書紀の記述とまったく同じだ。文教授は昨年7月、加唐島を現地調査した上で、「日本書紀の記述が正確だ」として、出生地は「加唐島」との結論をを出した。
当時、倭国(日本)と百済の交流は活発で加唐島は往来船のコースにあたり、日本に行く途中、母親がこの島で出産した、という。
文教授は「日本書紀の記述は信頼性に欠ける部分もあるが、百済の記述は正確だ。
韓国の学者からの反発もあるが、学者としての仕事から発表した」と話す。』
http://www.yoyokaku.com/sub7-21.htm
『全羅南道の光州郊外と栄山江の流域に奇妙な形をした古代の墓があるのを知っているだろうか?
出土物から紀元5〜6世紀頃の遺跡と確認されている。
ところが、この歴史的遺跡は韓国の考古学会では黙殺されている。その理由はその古代の墓の形状にある。
日本人なら「前部が四角錐で後部が円形の墓」と言われれば直ぐにピンとくるはずだ。そう、逆向きで表現されているが前方後円墳である。
実はこの墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」として報道していたのである。
前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形の墳墓で、日本独自の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
ところが、よくよく調べてみると、日本の前方後円墳が3〜5世紀に作られたのに対し、これらの韓国の前方後円墳は5〜6世紀に作られていたことが分かってきた。
さらに韓国の前方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見されたのだ。
常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやってきて当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
そう、だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。
さらに驚くべき事にこの発見が無かったことにするために国家による埋め戻し作業が行われたという話を聞いている。
もしこれが事実ならそれは国家による犯罪行為ではないのか?少なくとも、この発見に対し黙殺を続ける韓国人達は自らの古代の文化を否定しているのに他ならないではないか?
韓国人よ、お前たちは常に日本に文化を伝えたのは自分たちだと豪語してはばからないが、その逆の可能性について証拠が出ると、こうして隠蔽・黙殺を当然のごとく行っている。
文化を否定し破壊する韓国人に文化を語る資格も権利もない。』
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm
>武寧王自身も日本で生まれたという話もあるみたいですね。
武寧王夫妻の棺が日本にしか自生しないコウヤマキで作られている。
確かに、日本と非常に縁の深い人だった(まさに逆の意味で)。<
そうですね。
武寧王自身は、恐らく、扶余人の流れですから、中国三国時代に満州地域に住んでいた民族の末裔でしょうね。
中国側、日本側の記録をつきあわせると、そう見えますね。
しかし、そういった事も、暗愚な朝鮮人達は、認めたがらず、自分達は、何の証拠も示さず、研究もなく、しかし、日本や中国の歴史書について、自分達が気に食わないところは認めない(大笑)。
だからこそ、武寧王が日本生まれという、日本側では常識的な事にも、ずっと抵抗し、黙殺し、日本側のでっち上げ等と言い続けた。
蘇我氏等の豪族が、朝鮮系だとか、渡来人だ等というのと同じで、何でもかんでも『認定』したがる(しかし、何の証拠も、記録もない)。
蘇我氏が百済系や朝鮮系だというのなら、何故、その前の古墳群は隠し、任那の存在も認めず、タブーにする必要性があるのか?(大笑)
そんな事(日本が当時の朝鮮の過半を支配していた)はなかった、全部、朝鮮系で、日本の豪族は全部渡来だと言い張るのなら、古墳群をひらいて、証拠を出せばいい(笑)。
しかし、できない。理由は簡単ですね。すべて、妄想で、嘘だから。
『日本書紀は(武寧王の)出生地を「加唐島」と記しているが、韓国の歴史書は反日感情もあって出生地については一切触れておらず、初めて韓国で言及した論文として注目を集めている。
また、日韓交流の原点に光を当てる意味でも貴重な論文になりそうだ。
文教授は韓国でも有名な歴史学者で、日本書紀の研究家としても知られる。
同教授の論拠は武寧王の墓誌銘だ。1971年、公州市で未盗掘のまま発見された同王の墓内から見つかった。
墓誌銘には出生地についての記述はないが、523年の没年日と、六十二歳で死亡したことが記されていた。
これは、日本書紀の記述とまったく同じだ。文教授は昨年7月、加唐島を現地調査した上で、「日本書紀の記述が正確だ」として、出生地は「加唐島」との結論をを出した。
当時、倭国(日本)と百済の交流は活発で加唐島は往来船のコースにあたり、日本に行く途中、母親がこの島で出産した、という。
文教授は「日本書紀の記述は信頼性に欠ける部分もあるが、百済の記述は正確だ。
韓国の学者からの反発もあるが、学者としての仕事から発表した」と話す。』
http://www.yoyokaku.com/sub7-21.htm
『全羅南道の光州郊外と栄山江の流域に奇妙な形をした古代の墓があるのを知っているだろうか?
出土物から紀元5〜6世紀頃の遺跡と確認されている。
ところが、この歴史的遺跡は韓国の考古学会では黙殺されている。その理由はその古代の墓の形状にある。
日本人なら「前部が四角錐で後部が円形の墓」と言われれば直ぐにピンとくるはずだ。そう、逆向きで表現されているが前方後円墳である。
実はこの墳墓が発見された当初韓国の新聞などは一斉に「古代朝鮮から日本へ前方後円墳が渡った証拠」として報道していたのである。
前方後円墳は世界的に見ても非常に珍しい形の墳墓で、日本独自の墳墓文化として世界に紹介されているからだ。
ところが、よくよく調べてみると、日本の前方後円墳が3〜5世紀に作られたのに対し、これらの韓国の前方後円墳は5〜6世紀に作られていたことが分かってきた。
さらに韓国の前方後円墳の出土物に日本の埴輪に酷似した土器類が発見されたのだ。
常識的に考えれば、この韓国の前方後円墳が作られた当時に日本から有力な豪族がやってきて当地を治めたか、若しくは日本からの何らかの影響が古代朝鮮にあったと推察される。
そう、だからこそ韓国ではこの古墳を黙殺しているのである。
さらに驚くべき事にこの発見が無かったことにするために国家による埋め戻し作業が行われたという話を聞いている。
もしこれが事実ならそれは国家による犯罪行為ではないのか?少なくとも、この発見に対し黙殺を続ける韓国人達は自らの古代の文化を否定しているのに他ならないではないか?
韓国人よ、お前たちは常に日本に文化を伝えたのは自分たちだと豪語してはばからないが、その逆の可能性について証拠が出ると、こうして隠蔽・黙殺を当然のごとく行っている。
文化を否定し破壊する韓国人に文化を語る資格も権利もない。』
http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka08.htm
これは メッセージ 45022 (run_run72 さん)への返信です.
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