新羅は倭人の国?四
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/01/01 15:04 投稿番号: [82573 / 230347]
なぜ、これが大事だというと『三国史記』はこの後「倭」だらけ。倭の記事が、これでもか、これでもかと出てくる。だいたい倭人が侵入してきて、これを撃退したような記事ばかりである。これ自身も非常におかしいのですが。倭人が加害者ばかりで、いつも三国側が被害者ばかりというのは、歴史上はあまりありえない話である。これも一つのセレクトが働いている可能性があると思いますが。
これもついでに言っておきますが、皆さんはあまりご存じないが、福岡県の図書館に行かれますと、そこには神代史料、神社史などの双書がある。それを見てみると、博多に来た新羅や唐を始めとする異国の侵入記事が一杯ある本がまとめられてある。皆さんは御存じないと思うが、現地にはきちんとそういう本が残っている。それにそうでしょう。行ってばかり、攻めてばかりの人とか、逆に常にやられてばかりで攻めはしませんという、そういうお人好しの人間もまあ余りいないと思う。お互いに大小はあっても、やり合うのが当たり前である。とにかくその話は直接関係しないから、この辺で止めますが。
とにかく元に戻り『三国史記』には、「倭人がやってきた。」という話が繰り返し、巻き返し出ている。「その倭とは何者か。」ということである。それはきちんと書いてありますよという事です。本は途中から読むものでない。初めから読むものである。初めに、ちゃんと「倭」について書いてある。多婆那国は「倭国の東北一千里」にある。そこに多婆那国がある。しかも地形から考えて倭国は当然博多湾岸にある。倭国の位置は非常にハッキリしている。
しかも脱解王の即位した年は、漢の中元二年(西暦五七年)と書いてある。脱解王の即位したあの年に、倭国は金印を貰った事は知らんという人に限って『三国史記』を読むことはありえない。それを知らないで読む人はいない。きちんと『後漢書』にも書いてある。『後漢書』を読まないで『三国史記』だけを読む人はいない。金印のあの年に(新羅の)脱解王は即位したと言っている。そうであるならば脱解王のところに出てくる「倭国」は、その事からもあの金印の倭国は博多湾岸である。そう思って下さいと言っている。
その後、そう思ってもらっては困るという記事は、一回も出てきていない。現在は幸いなことに岩波文庫で佐伯有清氏が編集された『三国史記』の倭人の記事を一冊にまとめられた本がある。その本を見て、「その後の倭国は先頭にある倭国とこれは違いますよ。」という記事が、一回も出てこない。また「これ違いますよ。」という注記もまったく出てこない。まったく無いということは、それは注記を忘れたのではなくて、『三国史記』は、そう思って下さいと言っている。そのために変な卵の話が先頭に出てくる。そしてもちろん『三国史記』のなかに、白村江の戦いも出てくる。これは新羅が唐と組んで、倭国に大勝したこの記事は『三国史記』の華ですよ。その華の相手の倭国も、博多湾岸の倭国と見て下さい。そのように言っている。
私が今まで言ってきたことの中に論理的におかしいところがありますか。私はぜんぜん無いと思う。ところが私以外の今までの学者は、全員そうは読んではいません。少なくとも四・五世紀の好太王碑の解釈を始め、天皇家中心の時代に決まっているいう形で扱っている。
これもついでに言っておきますが、皆さんはあまりご存じないが、福岡県の図書館に行かれますと、そこには神代史料、神社史などの双書がある。それを見てみると、博多に来た新羅や唐を始めとする異国の侵入記事が一杯ある本がまとめられてある。皆さんは御存じないと思うが、現地にはきちんとそういう本が残っている。それにそうでしょう。行ってばかり、攻めてばかりの人とか、逆に常にやられてばかりで攻めはしませんという、そういうお人好しの人間もまあ余りいないと思う。お互いに大小はあっても、やり合うのが当たり前である。とにかくその話は直接関係しないから、この辺で止めますが。
とにかく元に戻り『三国史記』には、「倭人がやってきた。」という話が繰り返し、巻き返し出ている。「その倭とは何者か。」ということである。それはきちんと書いてありますよという事です。本は途中から読むものでない。初めから読むものである。初めに、ちゃんと「倭」について書いてある。多婆那国は「倭国の東北一千里」にある。そこに多婆那国がある。しかも地形から考えて倭国は当然博多湾岸にある。倭国の位置は非常にハッキリしている。
しかも脱解王の即位した年は、漢の中元二年(西暦五七年)と書いてある。脱解王の即位したあの年に、倭国は金印を貰った事は知らんという人に限って『三国史記』を読むことはありえない。それを知らないで読む人はいない。きちんと『後漢書』にも書いてある。『後漢書』を読まないで『三国史記』だけを読む人はいない。金印のあの年に(新羅の)脱解王は即位したと言っている。そうであるならば脱解王のところに出てくる「倭国」は、その事からもあの金印の倭国は博多湾岸である。そう思って下さいと言っている。
その後、そう思ってもらっては困るという記事は、一回も出てきていない。現在は幸いなことに岩波文庫で佐伯有清氏が編集された『三国史記』の倭人の記事を一冊にまとめられた本がある。その本を見て、「その後の倭国は先頭にある倭国とこれは違いますよ。」という記事が、一回も出てこない。また「これ違いますよ。」という注記もまったく出てこない。まったく無いということは、それは注記を忘れたのではなくて、『三国史記』は、そう思って下さいと言っている。そのために変な卵の話が先頭に出てくる。そしてもちろん『三国史記』のなかに、白村江の戦いも出てくる。これは新羅が唐と組んで、倭国に大勝したこの記事は『三国史記』の華ですよ。その華の相手の倭国も、博多湾岸の倭国と見て下さい。そのように言っている。
私が今まで言ってきたことの中に論理的におかしいところがありますか。私はぜんぜん無いと思う。ところが私以外の今までの学者は、全員そうは読んではいません。少なくとも四・五世紀の好太王碑の解釈を始め、天皇家中心の時代に決まっているいう形で扱っている。
これは メッセージ 82571 (monjujz さん)への返信です.
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