新羅は倭人の国?五
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/01/01 15:05 投稿番号: [82574 / 230347]
その場合どうなるかと言いますと、まさか先頭の脱解王の問題をどう解釈するのでしょうか。まさかあの倭を奈良県と解釈するのでしょうか。また長里で一千里と解釈するのでしょうか。多婆那国は津軽の方ですと解釈するのでしょうか。そんな人は誰もいない。そんなことを言ってみても、成立するわけではない。それで『三国史記』に触れなければ、あの説は消えるわけではない。あの話はつまらん話を書いていますね。あれは相手にしないことにしよう。日本の学者はそういうことは言ってはいないけれども、日本の学者は全部そういう態度です。しかし生意気ですけれでも、それは『三国史記』という本の読み方になっていない。本は先頭から読むべきである。「倭」とでてくる最初のところに、倭国の位置を示している説話がある。しかも金印と関わりがある「中元二年」という年に、脱解王が即位した年と先頭に書いてある。倭は博多湾岸、筑紫と読んで下さいと書いてある。そのあと変更しますという記事は出てこない。だから後は、ずっと筑紫と読んで下さいと言っている。後で日本という名前に変わりますけれども、それまでは、そう読んで下さいと言っている。私は以前からそう思ってきたけれも東京を中心とした方々と、韓国に古代史の旅行に行った。行く前に史料を調べ直して、今の事を確認した。こんな一番大事なことを今まで言わずに来たなと思っている。強調しなければならないことを、見落としていたことを恥ずかしく思います。
(完)
ー歴史はロマンである。ー
古代に於ける朝鮮半島と日本の歴史は、どちらかの一方通行ではなくお互いに影響しあっていました。
当時お互いに交流した文化が、朝鮮半島では消えてしまい、日本では残った。
その異文化を大事にする日本人の気質が、その後日本が発展する重要な鍵となりました。
これは メッセージ 82573 (monjujz さん)への返信です.
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