新羅は倭人の国?三
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/01/01 14:51 投稿番号: [82571 / 230347]
もし多婆那国への千里が長里であれば、漢の里数ならば六倍ぐらいの長さにある。倭国から東北一千里なら、一度計算してみたら能登半島ぐらいになる。能登半島の沖合いに無人の卵を載せた船を流しても、慶州や金官加羅国に流れ着くことはあり得ない。海流を逆行するだけで、だんぜん無理。まして倭国を奈良県の大和(ヤマト)と考えたら無茶苦茶であり、お話にも成らない。だからこの話自身が、あの倭国が博多湾岸という仮説に立てば、ぜんぶ話が合理的に成立する。なおかつ卵自身が成長したとき、脱解王として即位した時には、博多湾岸に倭国の中心として中国から金印が与えられている。ですから、その金印の出てくる「委奴」。その「委奴(wido)」とは何者か。ぜったいに大和(ヤマト)ではあり得ない。その金印と『三国史記』の「倭(wi)」を、倭語でいうならば筑紫(ツクシ)。現地の人は筑紫(チクシ)と発音する。意味は同じですが、「チ」は千という意味のめでたい言葉がくっ付いている。あるいは神様としての「チ」。そういう「クシ」という語幹に対して、「チ」というめでたい言葉がくっ付いている。それに対して外からは「ツクシ」と呼ぶ。「ツ(津)」は港です。港のある「クシ」の地。外から来た人は港から来た。それで「クシ」ということは一致している。それで「委奴」国の「倭(wi)」は、筑紫(チクシ)である。これにおそらく、反対の人はいないと思う。いやいや金印の「委」は大和であると頑張る人はいないと思う。しかしこれはこれからの話に、非常に重要なことである。
なぜならば金印というのは金石文であり、一番確実な同時代史料です。そこにまず出てくる「委=倭」が筑紫(チクシ)である。それが第一の原点。しかもお隣の『三国史記』。言い換えたら日本側の権力の、ご都合には関係ないと言うことである。天皇家に遠慮したり、おべんちゃらしたり、反発したり、そういう事には、まったく無関係である。それがお隣の歴史書の値打ちである。その『三国史記』で倭国と言っているのは博多湾岸である。お話から見ても、同じく博多湾岸である。お話以外の新羅の脱解王が即位した年が、倭国が金印を貰った年であるところから見ても、博多湾岸と考えざるを得ない。どっちに転んでも『三国史記』にまず出てくる「倭」は、博多湾岸であるということをだめ押しせざるを得ない。そうすると、ひょうひょうとして瓢を腰にぶら下げて新羅に来た瓢公も倭人であり、基本的に筑紫人と呼ぶべきものである。その周辺でも良いですが。彼を大和人であると読む人はいないと思いますが、読んだら全然ダメである。基本的に彼は筑紫人と呼ぶべき人である。この問題『三国史記』の最初の「倭」をどう読むかということは人はあまり触れませんが、これは非常に大事なことだと思います。
なぜならば金印というのは金石文であり、一番確実な同時代史料です。そこにまず出てくる「委=倭」が筑紫(チクシ)である。それが第一の原点。しかもお隣の『三国史記』。言い換えたら日本側の権力の、ご都合には関係ないと言うことである。天皇家に遠慮したり、おべんちゃらしたり、反発したり、そういう事には、まったく無関係である。それがお隣の歴史書の値打ちである。その『三国史記』で倭国と言っているのは博多湾岸である。お話から見ても、同じく博多湾岸である。お話以外の新羅の脱解王が即位した年が、倭国が金印を貰った年であるところから見ても、博多湾岸と考えざるを得ない。どっちに転んでも『三国史記』にまず出てくる「倭」は、博多湾岸であるということをだめ押しせざるを得ない。そうすると、ひょうひょうとして瓢を腰にぶら下げて新羅に来た瓢公も倭人であり、基本的に筑紫人と呼ぶべきものである。その周辺でも良いですが。彼を大和人であると読む人はいないと思いますが、読んだら全然ダメである。基本的に彼は筑紫人と呼ぶべき人である。この問題『三国史記』の最初の「倭」をどう読むかということは人はあまり触れませんが、これは非常に大事なことだと思います。
これは メッセージ 82569 (monjujz さん)への返信です.
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