新羅は倭人の国?二
投稿者: monjujz 投稿日時: 2008/01/01 14:35 投稿番号: [82569 / 230347]
それはさておき、今問題になるのは多婆那国がどこかである。「其國在倭国東北一千里。
その国は倭国の東北一千里にある。」とあり、その場合倭国を基準として、多婆那国のことを言っている。倭国がどこにあるかを考えなければならない。この「倭国」はどこにあるかは、非常にハッキリしている。なぜかというと建武中元二年(西暦五十七年)脱解王が即位した。その建武中元二年は、後漢の光武帝より、倭が金印を貰った年である。つまり倭が金印を貰った年に、お向かいの国で、王に即位したのが脱解王である。そうすると『三国史記』に書いてあるこの「倭国」は、博多湾岸の倭国しかあり得ない。金印が出ないところが、金印を貰うはずがない。つまりこの基準の元となった倭国は博多湾岸である。こう考えるのが一番筋が通った話である。そこから「東北一千里」とあれば、『倭人伝』で考えると大体の見当は付く。そこから短里で東北千里なら、壱岐が方三百里、対馬が方四百里なら大体の距離が分かる。壱岐の一辺の三倍強が千里です。博多湾岸から短里で東北千里行ったところというと、だいたいの見当はつく。ほぼ関門海峡あたり、今の山口県下関市あるいは福岡県北九州市あたり。ここなら『三国史記』の卵の説話がドンピシャリと説明できる。なぜかというと、ご存じのように宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘の話。その話で、お分かりのように巌流島は時間帯により海流が正反対に変化する。この関門海峡は、ある時間になるとパッと海流の向きが変わり、瀬戸内海側に流れたり、逆流して玄界灘側に流れたりしている。下関の講演会の時にもお聞きしましたが、その通りですと返事があった。それは昔も変わらないようです。もし人間の乗らない卵を載せた船を流すとします。その時間帯によっては内側に流れれば瀬戸内海に流れる。また時間帯によっては外に流れる。外に流れれば、目の前に流れているのは対馬海流。その対馬海流は、関門海峡の沖で、目の前で二つに別れる。我々が普通対馬海流と呼んでいるのは、北海道へ行く方である。日本海に沿って北陸から津軽へ進んで行くのを対馬海流と考えている。実はもう一つの対馬海流がある。分流があるわけで東鮮(東韓)暖流と言いまして北上する。竹島の沖合いに行き、そこでウラジオストックから下りてきた寒流とぶつかる。エクアドルがそうでしたが、暖・寒流がぶつかるところが大変魚が捕れる。
それで、もし関門海峡から北上してきたら、時間帯によるが一番弱く出てきた場合は対馬海流に乗り北海道に行く。もう少し強く出てきて海流に乗った場合は東鮮暖流に乗っていく。それで韓国の最南端金官加羅国をよぎる。もちろん新羅の慶州にも行く。それで多婆那国から卵が来たケースなら、この話が成り立つ。まったく話が合う。自然地理が話を裏付けしている。もちろん卵で遣ってきたという話自体がナンセンスだから、合理的に考えても仕方がないという考えもあるが、そうではないと考える。
この『三国史記』の話を聞いているのは新羅の人たちである。目の前の東鮮暖流のことは百も承知の人々である。その海流の論理を抜きにしてお話を作っても、民衆は相手にしない。民衆が知っている海流の論理に乗った話としてこそ、話が成り立つ。それでは成り立つのは何か。倭国の東北一千里、多婆那国が関門海峡付近にあったとすれば、話として成り立つ。あの話、私も知っているよとなる。
それで、もし関門海峡から北上してきたら、時間帯によるが一番弱く出てきた場合は対馬海流に乗り北海道に行く。もう少し強く出てきて海流に乗った場合は東鮮暖流に乗っていく。それで韓国の最南端金官加羅国をよぎる。もちろん新羅の慶州にも行く。それで多婆那国から卵が来たケースなら、この話が成り立つ。まったく話が合う。自然地理が話を裏付けしている。もちろん卵で遣ってきたという話自体がナンセンスだから、合理的に考えても仕方がないという考えもあるが、そうではないと考える。
この『三国史記』の話を聞いているのは新羅の人たちである。目の前の東鮮暖流のことは百も承知の人々である。その海流の論理を抜きにしてお話を作っても、民衆は相手にしない。民衆が知っている海流の論理に乗った話としてこそ、話が成り立つ。それでは成り立つのは何か。倭国の東北一千里、多婆那国が関門海峡付近にあったとすれば、話として成り立つ。あの話、私も知っているよとなる。
これは メッセージ 82568 (monjujz さん)への返信です.
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