併合前の韓国3…組織だった国民的反抗?
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/15 10:29 投稿番号: [706 / 230347]
現在韓国のパゴタ公園には、日本軍が老若男女に暴力を振るい、幼児に銃剣を突き刺すといった
凄惨な場面が3・1独立運動の記念として残されています。またkhani_kms2000さんの表現のように
>独立万歳運動は非暴力、非武力の韓国全国で同時多発的に行われた平和行進みたいな独立運動
>憲兵隊、警察、騎馬隊らが無差別に射撃し、数多くの人々が死亡、負傷
などと韓国の人は往々にしておっしゃいますが、ここにはかなり疑念があると思います。この3・1
独立運動の時の被害者の数は、当時上海にいた(つまり事件の詳細を見たわけではなかった)韓国人
によって書かれた「風説書」の記述が確かめもせずに援用されたものがほとんどで、実際の検証は、
まだまだこれからなされるべきことなのです。
当時の日本軍の兵力は首都京城に存在しましたが、戒厳令が布告されたという記録はありませんの
で、治安活動は悪名高い「憲兵警察」が行なったものと推測されます。それではその憲兵警察は何人
いたのでしょうか?
1919年 6,387名
1920年 20,134名
独立運動の事件を契機に原敬が兵力や憲兵を増派し、急増してはいますが翌年にやっと二万人にな
ったにすぎません。それも首都のみでなく韓国全土に派遣されて、1920年に「1面1カ所の警察官署(警
察署・駐在所・派出所)」が確立されたのですが、その警察官署数は
1919年 736
1920年 2,746
この警察官署数は1918年に2面に1カ所だったともされていますから、おおよそ面=1行政区画(府・
郡)数は1400前後として計算しますと、単純に計算して1面=1行政区画(府・郡)毎の憲兵警察の平均
人員数を出すと何人になるでしょうか?
答:14.4人
では次に1919年(つまり3.1独立運動時)にいた6,387名の憲兵警察が2面に一ヵ所配属される(700)
とすると平均何人になるか?(1918年時点で2面に1カ所ですから、実数はこれより下がると思いますが)
答:9.1人
もちろん都市部と農村部では配置人員の多寡はあったでしょうし、首都の京城には人口比から言って
当然多くの人員が配属されたことでしょう。ですが、当時の朝鮮国民は総数でおよそ1400万人から1700
万人いたことが推定されています。
「格段に威圧的・法的手続を経ずに朝鮮人を逮捕・処罰」とされている憲兵警察ですが、武断政治時代
とされている時期の最大値2万名を持ってしたとしても、「全朝鮮国民的運動」が行われたとしたら治安が
維持できるわけがありません!
さて、3・1独立運動自体を「非暴力的だった運動も次第に暴力化していってしまった」とする記述
も韓国人の著作の中にまでみられるのですが、もし全国民の10%程度の組織だった国民的反抗があった
ならば(それでも百数十万人のオーダーです)、それを憲兵警察といえども一面にして10名内外の人員が
防ぎきれるものでしょうか?
また韓国人はよく憲兵警察に抑圧されていた民衆像を語りますが、いかに武装していたとはいえ、全住
民の0.14%程度の警察力が、韓国民を恐怖に慄かせることが可能でしょうか?
韓国人が提示する近代史の嘘がここにもあると結論付けざるを得ないでしょう。
国民的な反抗はなかったのです。それは「国民」がいなかったからです。
諸外国の事情を知り、国民・民族的団結を願った当時の韓国人が一人もいなかったとは思いませんが、
99%以上の民衆は啓蒙もされていず、誰も国民意識の何たるかをよくわかっていなかったのでは無いで
しょうか? そして支配層のほとんどは、宮廷政治とどこにつくかの事大主義に明け暮れていたのです…
ベトナム戦争を持ち出すまでもなく、第二次世界大戦終結後の植民地独立運動(戦争)を見ればわかる
ように、「国民(あるいは民族)国家」意識ができた国を押え付けるのは、いかに大国といえど非常に困
難な話なのです。
日本が韓国を併合できたのは、それがまだ国民国家ではなかったからです。そしてイフの話としても、
今の韓国が日本を併合できるはずはないし、もししたとしても日韓併合とは全く異質の事態にならざる
を得ないのです。
凄惨な場面が3・1独立運動の記念として残されています。またkhani_kms2000さんの表現のように
>独立万歳運動は非暴力、非武力の韓国全国で同時多発的に行われた平和行進みたいな独立運動
>憲兵隊、警察、騎馬隊らが無差別に射撃し、数多くの人々が死亡、負傷
などと韓国の人は往々にしておっしゃいますが、ここにはかなり疑念があると思います。この3・1
独立運動の時の被害者の数は、当時上海にいた(つまり事件の詳細を見たわけではなかった)韓国人
によって書かれた「風説書」の記述が確かめもせずに援用されたものがほとんどで、実際の検証は、
まだまだこれからなされるべきことなのです。
当時の日本軍の兵力は首都京城に存在しましたが、戒厳令が布告されたという記録はありませんの
で、治安活動は悪名高い「憲兵警察」が行なったものと推測されます。それではその憲兵警察は何人
いたのでしょうか?
1919年 6,387名
1920年 20,134名
独立運動の事件を契機に原敬が兵力や憲兵を増派し、急増してはいますが翌年にやっと二万人にな
ったにすぎません。それも首都のみでなく韓国全土に派遣されて、1920年に「1面1カ所の警察官署(警
察署・駐在所・派出所)」が確立されたのですが、その警察官署数は
1919年 736
1920年 2,746
この警察官署数は1918年に2面に1カ所だったともされていますから、おおよそ面=1行政区画(府・
郡)数は1400前後として計算しますと、単純に計算して1面=1行政区画(府・郡)毎の憲兵警察の平均
人員数を出すと何人になるでしょうか?
答:14.4人
では次に1919年(つまり3.1独立運動時)にいた6,387名の憲兵警察が2面に一ヵ所配属される(700)
とすると平均何人になるか?(1918年時点で2面に1カ所ですから、実数はこれより下がると思いますが)
答:9.1人
もちろん都市部と農村部では配置人員の多寡はあったでしょうし、首都の京城には人口比から言って
当然多くの人員が配属されたことでしょう。ですが、当時の朝鮮国民は総数でおよそ1400万人から1700
万人いたことが推定されています。
「格段に威圧的・法的手続を経ずに朝鮮人を逮捕・処罰」とされている憲兵警察ですが、武断政治時代
とされている時期の最大値2万名を持ってしたとしても、「全朝鮮国民的運動」が行われたとしたら治安が
維持できるわけがありません!
さて、3・1独立運動自体を「非暴力的だった運動も次第に暴力化していってしまった」とする記述
も韓国人の著作の中にまでみられるのですが、もし全国民の10%程度の組織だった国民的反抗があった
ならば(それでも百数十万人のオーダーです)、それを憲兵警察といえども一面にして10名内外の人員が
防ぎきれるものでしょうか?
また韓国人はよく憲兵警察に抑圧されていた民衆像を語りますが、いかに武装していたとはいえ、全住
民の0.14%程度の警察力が、韓国民を恐怖に慄かせることが可能でしょうか?
韓国人が提示する近代史の嘘がここにもあると結論付けざるを得ないでしょう。
国民的な反抗はなかったのです。それは「国民」がいなかったからです。
諸外国の事情を知り、国民・民族的団結を願った当時の韓国人が一人もいなかったとは思いませんが、
99%以上の民衆は啓蒙もされていず、誰も国民意識の何たるかをよくわかっていなかったのでは無いで
しょうか? そして支配層のほとんどは、宮廷政治とどこにつくかの事大主義に明け暮れていたのです…
ベトナム戦争を持ち出すまでもなく、第二次世界大戦終結後の植民地独立運動(戦争)を見ればわかる
ように、「国民(あるいは民族)国家」意識ができた国を押え付けるのは、いかに大国といえど非常に困
難な話なのです。
日本が韓国を併合できたのは、それがまだ国民国家ではなかったからです。そしてイフの話としても、
今の韓国が日本を併合できるはずはないし、もししたとしても日韓併合とは全く異質の事態にならざる
を得ないのです。
これは メッセージ 705 (uumin3 さん)への返信です.
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