対馬と江華島の戦い、ひ弱すぎる朝鮮人ww
投稿者: ostgh 投稿日時: 2007/10/03 08:47 投稿番号: [70347 / 230347]
>李氏朝鮮では世宗が即位していたが、実権は太宗が握っており、太宗は倭寇撃退を口実にして対馬への軍事侵略を決め、世宗元年6月、227隻17,285名からなる大軍を李従茂に率いさせ対馬に侵攻させた。、武器をもたない弱者を標的にした周到な計画であったことが知られる。
捕らえられた中国人は、朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できないという意見もあったが、事大の礼をつくすため返還されることとなった(世宗実録)。
しかし6月26日頃、対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受けた
戦況は損害の大きくなった朝鮮側は対馬側の和平提案を受け入れ7月3日に巨済島へ全面撤退した。敗戦と自ら明記していることからも被害はもっと大きいと思われる。
8月5日は日本の戦死者20人に対し朝鮮側が百余名とされており、正規軍での対戦では朝鮮軍は日本軍に歯が立たなかった。
朝鮮軍の弱小ぶりは、保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」という記録からも窺える。<
>朝鮮軍1万8000 対 対馬藩将兵700人の戦い<
これとそっくりだったのが、江華島の戦い。
案外知られてないけど、ちょっとした戦争で、局地戦と呼んでも良いくらいのことがあったが、またまた、日本の少数の兵に、何百人という朝鮮の将兵がやられっぱなしという情けなさ。
対馬の場合は、26対1の戦いw
対馬は、島に攻め上がった朝鮮の大軍が極めて少数の対馬藩将兵にコテンパンに、負けに負ける。
中国人達が、あまりにも弱すぎるので観戦していて呵々大笑したこともあると記されているほどで、その弱さは、戦国当たり前の時代では特筆されるほど、滑稽なほど弱かった。
江華島の戦いも、そっくりと言って良いほど似てる。
23対1の戦い。
たったの22人で、500人の敵に襲いかかり、完勝した。
勿論、日本側が圧倒的に少ない。
しかも、日本側は常に冷静で、朝鮮の砲陣を観察、おおよその射程距離を見計らい、射程外に停泊したので、朝鮮の砲弾はまったく届いていない。船上で、艦長以下、射撃の下手さに笑い合った記録もある。
しかも、この場合、日本側が、朝鮮兵が守備を固め、射撃してくる中で堂々と上陸し、射弾もものともせず、勇猛果敢に次々と突進。朝鮮兵は射撃が下手で弾込めが遅いと知っていた日本側の狙いは的中し、あっという間に敵陣に躍り込んで、それぞれが1対50くらいの敵に斬りかかった。
そして、あっさり、圧勝したwww
>草芝鎮砲台の装備は口径12サンチ以下、有効距離700メートル以下で、雲揚には届かない。対して雲揚の大砲は草芝鎮の砲台を捉えて、なお距離に余裕があった。井上艦長は兵員の上陸を勘案したが、兵員が少なく、また水深が浅く沿岸に短艇を近付けることが困難だったので、上陸は断念。なお、この時の戦闘においては双方とも死者は皆無であった。
江華島の草芝鎮砲台を砲撃した翌21日、雲揚は江華島の南の永宗島の砲台(江華島の周辺は、大小さまざまな島が無数といってよいほど点在しているが、そのなかで江華島と永宗島は最も大きな島で、永宗島の北端は江華島の草芝鎮砲台と向いあっており、永宗鎮砲台は永宗島の西側にあった)を攻撃した。
陸戦隊22名を上陸させ、同鎮を一時占拠した。当時500名前後の朝鮮軍兵士がいたが、陸戦隊との激戦の末に殆どが潰走している。
朝鮮側が遺棄した死体数35、俘虜16名、日本側の損害は負傷者2名(うち1名は航海中死亡)であった。<
朝鮮人は、とにかく、弱すぎw
捕らえられた中国人は、朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できないという意見もあったが、事大の礼をつくすため返還されることとなった(世宗実録)。
しかし6月26日頃、対馬側の伏兵に遭い多大な損害を受けた
戦況は損害の大きくなった朝鮮側は対馬側の和平提案を受け入れ7月3日に巨済島へ全面撤退した。敗戦と自ら明記していることからも被害はもっと大きいと思われる。
8月5日は日本の戦死者20人に対し朝鮮側が百余名とされており、正規軍での対戦では朝鮮軍は日本軍に歯が立たなかった。
朝鮮軍の弱小ぶりは、保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」という記録からも窺える。<
>朝鮮軍1万8000 対 対馬藩将兵700人の戦い<
これとそっくりだったのが、江華島の戦い。
案外知られてないけど、ちょっとした戦争で、局地戦と呼んでも良いくらいのことがあったが、またまた、日本の少数の兵に、何百人という朝鮮の将兵がやられっぱなしという情けなさ。
対馬の場合は、26対1の戦いw
対馬は、島に攻め上がった朝鮮の大軍が極めて少数の対馬藩将兵にコテンパンに、負けに負ける。
中国人達が、あまりにも弱すぎるので観戦していて呵々大笑したこともあると記されているほどで、その弱さは、戦国当たり前の時代では特筆されるほど、滑稽なほど弱かった。
江華島の戦いも、そっくりと言って良いほど似てる。
23対1の戦い。
たったの22人で、500人の敵に襲いかかり、完勝した。
勿論、日本側が圧倒的に少ない。
しかも、日本側は常に冷静で、朝鮮の砲陣を観察、おおよその射程距離を見計らい、射程外に停泊したので、朝鮮の砲弾はまったく届いていない。船上で、艦長以下、射撃の下手さに笑い合った記録もある。
しかも、この場合、日本側が、朝鮮兵が守備を固め、射撃してくる中で堂々と上陸し、射弾もものともせず、勇猛果敢に次々と突進。朝鮮兵は射撃が下手で弾込めが遅いと知っていた日本側の狙いは的中し、あっという間に敵陣に躍り込んで、それぞれが1対50くらいの敵に斬りかかった。
そして、あっさり、圧勝したwww
>草芝鎮砲台の装備は口径12サンチ以下、有効距離700メートル以下で、雲揚には届かない。対して雲揚の大砲は草芝鎮の砲台を捉えて、なお距離に余裕があった。井上艦長は兵員の上陸を勘案したが、兵員が少なく、また水深が浅く沿岸に短艇を近付けることが困難だったので、上陸は断念。なお、この時の戦闘においては双方とも死者は皆無であった。
江華島の草芝鎮砲台を砲撃した翌21日、雲揚は江華島の南の永宗島の砲台(江華島の周辺は、大小さまざまな島が無数といってよいほど点在しているが、そのなかで江華島と永宗島は最も大きな島で、永宗島の北端は江華島の草芝鎮砲台と向いあっており、永宗鎮砲台は永宗島の西側にあった)を攻撃した。
陸戦隊22名を上陸させ、同鎮を一時占拠した。当時500名前後の朝鮮軍兵士がいたが、陸戦隊との激戦の末に殆どが潰走している。
朝鮮側が遺棄した死体数35、俘虜16名、日本側の損害は負傷者2名(うち1名は航海中死亡)であった。<
朝鮮人は、とにかく、弱すぎw
これは メッセージ 70241 (p10l9 さん)への返信です.
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