70年代の韓国人はこう言っている。
投稿者: nishina3777 投稿日時: 2004/08/26 21:53 投稿番号: [5726 / 230347]
文化というものは本来人類の共有財産である。それには国籍がついているわけでもなければ、国籍をつけることもできない。(略)
いいかえると、文化は軍事力や政治権力によって特定の一国民の独占物とされうる性質のものではなく、ひとえにそれは、その起源や出自のいかんに関わりなく、その力を必要とし、その価値を理解しうる人々のみが主人となることのできる開放された宝庫である。
それゆえ、文化国民ということを語る時、私たちは彼らが享有している文化の国籍や系譜、あるいは固有性を基準とするのではない。彼らの国民福祉に寄与しうる文化力量のみが唯一の基準となるのである。(略)
一九三〇年代、ソ連人たちは国民間の民族精神の展示、具現競争に非常な熱意を発揮し、近代科学の主要な発明や創案はむろんのこと、はなはだしきはスポーツの主要種目まで、すべて自国民の創案になるものと主張した。その結果が世界の冷笑を買っただけであることは私たちの記憶に生々しい。
プラトンとアリストテレスがギリシャ人だからといって、今日のギリシャ人が哲学的資質に突出してると考える人はいないのであり、コペルニクスがポーランド人だからといって、ポーランド人の卓越した天文学的資質が証明されるわけでもない。(略)
歴史においてより重要なことは、起源にではなく、変化と発展の過程にある。だから、歴史家のマルク・ブロックは、起源についての度の過ぎた執着を歴史家の病弊の一つとして指摘したのである。
(西洋史学者
吉玄謨
月刊中央1974年1月号)
鄭大均著
韓国のナショナリズムより
21世紀に生きる韓国人は彼よりも精神的に進歩しているだろうか?それとも・・・
これは メッセージ 5725 (nishina3777 さん)への返信です.
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