靖国問題の基礎知識7
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/08 11:25 投稿番号: [493 / 230347]
Q
現人神(あらひとがみ)ってどういうものですか?
A まずかなり昔の姿としては人の形で神が現われることを指しました。例えば、福岡
県筑紫郡那珂川町には「現人神社」というものがあります。この神社の伝承として、
「本来は姿を現さない神(住吉三神)が、神功皇后が三韓に向かうときに、姿を現し
て軍船を導いたので現人神といい、皇后はここを訪れ、神田に水をひく為に山田の一
の井堰を造り、裂田の溝を掘り通水した」と伝えられるものがあります。
次に、直接神が人間に降りて、その生身の人間が「御神体」として崇められるとい
うものがあります。有名な例は諏訪明神です。諏訪明神が自分の体として選んだ男児
は「大祝」(おおほうり)と呼ばれ、諏訪社の現人神として君臨することになってい
ました。ここには「大祝ヲ以テ御体ト為ス事」という言葉が伝わっています。また、
それはいつか世襲のものともなりました。その一つが神(みわ)氏です。神氏は諏訪
神社上社大祝家で、神の直系の現人神として氏人を支配しました。その家系は「諏方
家」としてつづいています。この大祝職は明治維新を境に廃止させられました。
さて次に国家神道での現人神が来ます。高天原から天孫が降臨し、それが天皇家の
始祖となったという神話を元に、今上(きんじょう)天皇がそのまま「神」であると
するのがこの現人神です。
天皇を神にまで祭り上げることにより、天皇の支配権威がシンボル化しやすくなり
ます、そして名目上の天皇の機能を実際の為政者が行使できるようになるわけです。
またそのかわり、政治上の失敗や間違いが直接天皇の責任にならずに、翼賛、補弼し
た国民の責任になるようにもされていますので、天皇は無謬(まちがいのないこと)
のままでいられますし、どんな失敗があっても権力システムは温存される訳です。
天皇は、国民に対しては政治的権力と精神権威の両方の絶対的権威でしたが、側近
や周囲の補弼機関からみれば、その権威は名目的なものであり、その権力は担当機関
が分割し、代行していたのがこのシステムなのです。
為政者は天皇の名のもとに、一方で法律を制定し、他方で教育に関する勅語、精神
作用に関する勅書などを発布しました。国民は、外面的行動において法律を守ること
を命ぜられ、同時に内面的意識において勅語や勅書にしたがうことを求められました。
またあらゆる学校に天皇の御真影がおかれ、校長によって勅語や勅書が奉読されるこ
とになったのです。そして国民は御真影と勅語の前で、文字通り襟を正さなけれなら
ないようになっていました。
ただ、神が統治する国などという観念は思い上がりにつながりやすいものでもあり
ます。神国日本、神州不滅、決して滅びない国などというのはあくまでもシステム上
のフィクションでした。子供たちに対し、日本は現人神の天皇を中心とした神の国だ
から、常に正しく、決して敗れることはないという教育がなされましたが、そう信じ
て繰り返された対外戦争の結果、最後の15年だけでも300万人を越す日本人の命が失わ
れ、特に沖縄で行われた激しい地上戦では、戦闘員よりも遙かに多い一般住民が命を
失うことになってしまったのです。
A まずかなり昔の姿としては人の形で神が現われることを指しました。例えば、福岡
県筑紫郡那珂川町には「現人神社」というものがあります。この神社の伝承として、
「本来は姿を現さない神(住吉三神)が、神功皇后が三韓に向かうときに、姿を現し
て軍船を導いたので現人神といい、皇后はここを訪れ、神田に水をひく為に山田の一
の井堰を造り、裂田の溝を掘り通水した」と伝えられるものがあります。
次に、直接神が人間に降りて、その生身の人間が「御神体」として崇められるとい
うものがあります。有名な例は諏訪明神です。諏訪明神が自分の体として選んだ男児
は「大祝」(おおほうり)と呼ばれ、諏訪社の現人神として君臨することになってい
ました。ここには「大祝ヲ以テ御体ト為ス事」という言葉が伝わっています。また、
それはいつか世襲のものともなりました。その一つが神(みわ)氏です。神氏は諏訪
神社上社大祝家で、神の直系の現人神として氏人を支配しました。その家系は「諏方
家」としてつづいています。この大祝職は明治維新を境に廃止させられました。
さて次に国家神道での現人神が来ます。高天原から天孫が降臨し、それが天皇家の
始祖となったという神話を元に、今上(きんじょう)天皇がそのまま「神」であると
するのがこの現人神です。
天皇を神にまで祭り上げることにより、天皇の支配権威がシンボル化しやすくなり
ます、そして名目上の天皇の機能を実際の為政者が行使できるようになるわけです。
またそのかわり、政治上の失敗や間違いが直接天皇の責任にならずに、翼賛、補弼し
た国民の責任になるようにもされていますので、天皇は無謬(まちがいのないこと)
のままでいられますし、どんな失敗があっても権力システムは温存される訳です。
天皇は、国民に対しては政治的権力と精神権威の両方の絶対的権威でしたが、側近
や周囲の補弼機関からみれば、その権威は名目的なものであり、その権力は担当機関
が分割し、代行していたのがこのシステムなのです。
為政者は天皇の名のもとに、一方で法律を制定し、他方で教育に関する勅語、精神
作用に関する勅書などを発布しました。国民は、外面的行動において法律を守ること
を命ぜられ、同時に内面的意識において勅語や勅書にしたがうことを求められました。
またあらゆる学校に天皇の御真影がおかれ、校長によって勅語や勅書が奉読されるこ
とになったのです。そして国民は御真影と勅語の前で、文字通り襟を正さなけれなら
ないようになっていました。
ただ、神が統治する国などという観念は思い上がりにつながりやすいものでもあり
ます。神国日本、神州不滅、決して滅びない国などというのはあくまでもシステム上
のフィクションでした。子供たちに対し、日本は現人神の天皇を中心とした神の国だ
から、常に正しく、決して敗れることはないという教育がなされましたが、そう信じ
て繰り返された対外戦争の結果、最後の15年だけでも300万人を越す日本人の命が失わ
れ、特に沖縄で行われた激しい地上戦では、戦闘員よりも遙かに多い一般住民が命を
失うことになってしまったのです。
これは メッセージ 492 (uumin3 さん)への返信です.
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