靖国問題の基礎知識6
投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/08/08 11:24 投稿番号: [492 / 230347]
Q
神道はシャーマニズムなの?
なぜか呉善花さんの著書ではしきりに神道をシャマニズムと呼ぶ記述がされていま
すが、これは間違いです。むしろよく言われたのは、神道はアニミズムであるという
言説です。でも私はどちらの見方もしない方がよいと思います。シャーマニズムは、
シャーマンと呼ばれるような人が、身体を魂として離脱し、天上世界他の経験を持っ
て身体に戻り、その知見を社会に役立てるという形の信仰を指します。韓国のムーダ
ン(巫女)とか日本の拝み屋さんのように、霊が憑依する形のシャーマニズムもあり
ますが、神道においてはごく一部に神功皇后のそれのような憑依の記述がありますが、
主流であったことはありません。むしろ「万物に霊が宿っていると考える」アニミズ
ムに結構近いのは確かです。
ただし、アニミズムにしろシャーマニズムにしろ、原始宗教から宗教が段階的に進
化していって、最終的には一神教にたどり着くという「西洋中心主義」的な前世紀の
宗教観によって考え出された「宗教形態の類型」なので、まったくそれにあわせて考
えることなど不要なのです。宗教に原始的も進歩的もないと私は思います。
Q あなたはなぜ国家神道に反対するの?
A 国家神道は「一神教」的で、もともとの日本の文化にそぐわないと考えているから
です。また、そのため「復古神道」というフィクションが大手を振って、日本人の信
仰の今までの姿を歪めてしまったからでもあります。
いずれにせよ国家神道は普通の民衆にとって窮屈なもので、天皇の名を借りて統治
する為政者の側にのみ都合のよいものだと私が思っているからです。
Q 一神教的ってどういう意味ですか? またどんな不具合があるのですか?
A もともとの神道も、あるいは土着化した仏教も、様々な神の存在を許す多神教的な
寛容なものでした。この寛容さは、どんどん神の数が増えるなど「節操の無さ」とし
ても考えられますが、逆に「宗教的対立」を最低限に押さえることのできる「知恵」
だったとも思えます。こうした古来の日本の文化風土が私は好きです。
国家神道では「現人神」(あらひとがみ)が存在し、それによって実質的な一神教
として機能していた面があります。
天皇は政治制度的にも元首であり、絶対君主としての権能も(名目上)もたされま
したが、同時に明治期の為政者によって神そのものの権威も付与されました(→現人神)。
この天皇制が通常の絶対君主と違う点は、国家神道があったという点です。これが
あったおかげで、実質的に日本国民全員が天皇・現人神の信者とされ、政治的のみな
らず、精神的にも天皇の支配下にあるという形式が成立していたのです。
このように精神的価値と政治的権力が天皇に集中された結果、倫理と権力、公と私
が完全に融合し、権力は倫理をかさに着、倫理は権力に後おしされて磐石の支配権が
登場することになるのです。さらにそこに国民が天皇の体制を「翼賛する」とか、天
皇の親政を「補弼する」という形式が付加され、国民の主体的活動がすべてこの形式
に流入するようにされました。こうして国民は「天皇への反逆者にならない限り」、
その主体的活動を行なえるようになったのです。そしてそれは原則的には、天皇以外
であれば、どんな地位にも、だれもが昇りうるということも意味したのです。
一君の下に万民が平等であるというこのシステムは、明治期の「弱小国日本」が国
力をつけ、発展していくために必要であったものでしょう。しかしそれはいずれ破綻
せざるを得ないものでもありました。期限を切ってなら有効なシステムですが、結果
としてそれは「大東亜戦争」という暴発につながり、多くの人命が失われたのです。
なぜか呉善花さんの著書ではしきりに神道をシャマニズムと呼ぶ記述がされていま
すが、これは間違いです。むしろよく言われたのは、神道はアニミズムであるという
言説です。でも私はどちらの見方もしない方がよいと思います。シャーマニズムは、
シャーマンと呼ばれるような人が、身体を魂として離脱し、天上世界他の経験を持っ
て身体に戻り、その知見を社会に役立てるという形の信仰を指します。韓国のムーダ
ン(巫女)とか日本の拝み屋さんのように、霊が憑依する形のシャーマニズムもあり
ますが、神道においてはごく一部に神功皇后のそれのような憑依の記述がありますが、
主流であったことはありません。むしろ「万物に霊が宿っていると考える」アニミズ
ムに結構近いのは確かです。
ただし、アニミズムにしろシャーマニズムにしろ、原始宗教から宗教が段階的に進
化していって、最終的には一神教にたどり着くという「西洋中心主義」的な前世紀の
宗教観によって考え出された「宗教形態の類型」なので、まったくそれにあわせて考
えることなど不要なのです。宗教に原始的も進歩的もないと私は思います。
Q あなたはなぜ国家神道に反対するの?
A 国家神道は「一神教」的で、もともとの日本の文化にそぐわないと考えているから
です。また、そのため「復古神道」というフィクションが大手を振って、日本人の信
仰の今までの姿を歪めてしまったからでもあります。
いずれにせよ国家神道は普通の民衆にとって窮屈なもので、天皇の名を借りて統治
する為政者の側にのみ都合のよいものだと私が思っているからです。
Q 一神教的ってどういう意味ですか? またどんな不具合があるのですか?
A もともとの神道も、あるいは土着化した仏教も、様々な神の存在を許す多神教的な
寛容なものでした。この寛容さは、どんどん神の数が増えるなど「節操の無さ」とし
ても考えられますが、逆に「宗教的対立」を最低限に押さえることのできる「知恵」
だったとも思えます。こうした古来の日本の文化風土が私は好きです。
国家神道では「現人神」(あらひとがみ)が存在し、それによって実質的な一神教
として機能していた面があります。
天皇は政治制度的にも元首であり、絶対君主としての権能も(名目上)もたされま
したが、同時に明治期の為政者によって神そのものの権威も付与されました(→現人神)。
この天皇制が通常の絶対君主と違う点は、国家神道があったという点です。これが
あったおかげで、実質的に日本国民全員が天皇・現人神の信者とされ、政治的のみな
らず、精神的にも天皇の支配下にあるという形式が成立していたのです。
このように精神的価値と政治的権力が天皇に集中された結果、倫理と権力、公と私
が完全に融合し、権力は倫理をかさに着、倫理は権力に後おしされて磐石の支配権が
登場することになるのです。さらにそこに国民が天皇の体制を「翼賛する」とか、天
皇の親政を「補弼する」という形式が付加され、国民の主体的活動がすべてこの形式
に流入するようにされました。こうして国民は「天皇への反逆者にならない限り」、
その主体的活動を行なえるようになったのです。そしてそれは原則的には、天皇以外
であれば、どんな地位にも、だれもが昇りうるということも意味したのです。
一君の下に万民が平等であるというこのシステムは、明治期の「弱小国日本」が国
力をつけ、発展していくために必要であったものでしょう。しかしそれはいずれ破綻
せざるを得ないものでもありました。期限を切ってなら有効なシステムですが、結果
としてそれは「大東亜戦争」という暴発につながり、多くの人命が失われたのです。
これは メッセージ 478 (uumin3 さん)への返信です.
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