8月15日の京城
投稿者: monju_jz 投稿日時: 2007/01/11 11:28 投稿番号: [45583 / 230347]
8月15日の京城
「わが生涯を朝鮮に」
穂積真六郎(旧朝鮮総督府殖産局長)
友邦協会
p13
家に帰ってみると、皆不安そうである。
しかし別に取り乱してはいない。
その晩は刑務所の囚人が釈放されたとかで、まわりの朝鮮人の民家では電灯を表に出して警戒しておる。
関心だったのは家にいた朝鮮人の女中で、家内を慰めて私が寝ずの番をするからと、かいがいしく働いた。
気の強い女で、朝鮮人の女房達が、解放の喜びに晴れ着をきて騒いでいるのに、「御前達、日本が負けて何が嬉しいのだ。36年、さんざんお世話になったくせに−」と食って掛かって、家内をハラハラさせたりした。
p26
ついに終戦の日は来た。私はその頃の光景を、未だに忘れることができない。
8月15日の午後3時に「ソ連兵が京城駅に到着する」というデマが市中に広がって、2時頃には南大門通りを、老いも若きも熱狂した手に赤旗を振り振り大道を埋めて駅に走った。電車は鈴なりどころか、危険な屋根の上にまで赤旗の人を満載した。人々は駅頭に集まった。これが終戦後、京城在住の日本人の心胆を寒からしめた最初のことであろう。
この同じ朝鮮の人達が、しばらくの後には戸毎に「星条旗」を掲げて米国を迎えた。更に、この赤旗を掲げたり星条旗を掲げたりする運命は、数年を経て、今度はもっとも残忍な戦争という形で、再び、三度、京城市民の上に繰り返された。
p202
世話会の始まった時分は、京城はじつに騒々しいものだった。その前、終戦日から会社の電車はすっかり朝鮮人に占領されて、その日の午後三時にはソ連軍が京城に入ってくるとのデマがあったため、電車は赤旗を持った大衆が鈴なりで「万歳、万歳」と大騒ぎだったことは前にも述べたが、ただ大正8年の騒動の時は、大衆は「マンセー、マンセー」と朝鮮語で叫んでいたのに、朝鮮が解放された今日、皆は旗を振り振り「バンザイ、バンザイ」と日本語で叫んでおる。36年の統治の成果も「マンセイ」が「バンザイ」に変わったばかりかと、総督府に歩いていく途中、感慨が深かった。
これは メッセージ 45582 (monju_jz さん)への返信です.
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