Re: トピちゃん飛ばしてるねえ(笑)
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2012/06/26 22:31 投稿番号: [215969 / 230347]
>>和林格爾後漢墓は検索で幾らでも調査記録があるぞ!(猛爆)
>では、提示しろよ。
P77和林格爾後漢墓
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66542/1/jic049_067.pdf
別資料の記載
内蒙古・和林格爾県新店子公社の塼室墓:神話伝説、主人公生前の事跡、被葬者に属する官僚の図が描かれ、中室の頂部には青竜、自虎、朱雀、玄武の四神が描かれている。後室には、使持節護鳥桓校尉車馬出行図、寧城護鳥桓校尉幕府図、楽舞百戯図、牧馬図、朱雀・鳳風・白象図などが展開して圧巻である。2世紀の終り頃で後漢末にあたり、被葬者が北方民族の鳥桓を管理する漢族の官東であったことがわかる。
↑
中室の頂部には青竜、自虎、朱雀、玄武の四神が描かれている。
↓
高句麗壁画、高松塚壁画と同一。(猛爆)
>>日本の内部構造が解るのか?(猛爆)
>たくさんあるが、桜井茶臼山古墳。
新聞記事にはくっきりと内部の構造が写ってるし、
その前後の写真もみな。
全長200mにもなる巨大前方後円墳だ。
このサイトには、他の前方後円墳もあるな。
>竪穴式石室 竪穴式石室は、1949年に発掘調査がおこなわれました。後円部上面から約0.8m下に埋め込まれた石室は、南北6.75m・東西1.13m・高さ約1.6mを測る大形のものでした。12枚の天井石と垂直な側壁、そして板石が敷き詰められた床面によって形作られた石室には、大きな木棺が納められていました。
壁画がなければ比較できまい?(猛爆)
>仁徳天皇陵については、
>2.前方部の石室と石棺
絵図については、こっちの方がわかりやすい。
http://bell.jp/pancho/travel/furuiti-mozu%20kofungun/daisen-kofun.htm
盗掘されて誰の墳墓か解らないだの、アメリカのボストン博物館には、仁徳陵出土品として獣帯鏡、三環鈴、馬鐸、環頭太刀の柄頭(つかがしら)の4点が所蔵されている。環鈴の形状や環頭太刀の柄頭の形状から類推して、これらの出土品は5世紀後葉から6世紀初めのものと考えられている。本当にこれらの品々が仁徳陵古墳からの出土品であれば、『日本書紀』や『古事記』が語る仁徳天皇の年代観と大きく異なり、仁徳天皇の陵墓に充当できなくなる。しかし、ボストン美術館に所蔵されるまでの経緯を調べたところでは、仁徳陵古墳から出土したことを直接裏付ける証拠はないらしい。
>>小屋の位置が同じなら、同じなんだよ。違うというなら、証明できる資料を出せよ。(猛爆)
>位置が同じ?
小屋と古墳の距離、
小屋の形状、
古墳自体の形状も全部違うが?
何処の古墳か証明してから、違うと言えよ。(猛爆)
>では、提示しろよ。
P77和林格爾後漢墓
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66542/1/jic049_067.pdf
別資料の記載
内蒙古・和林格爾県新店子公社の塼室墓:神話伝説、主人公生前の事跡、被葬者に属する官僚の図が描かれ、中室の頂部には青竜、自虎、朱雀、玄武の四神が描かれている。後室には、使持節護鳥桓校尉車馬出行図、寧城護鳥桓校尉幕府図、楽舞百戯図、牧馬図、朱雀・鳳風・白象図などが展開して圧巻である。2世紀の終り頃で後漢末にあたり、被葬者が北方民族の鳥桓を管理する漢族の官東であったことがわかる。
↑
中室の頂部には青竜、自虎、朱雀、玄武の四神が描かれている。
↓
高句麗壁画、高松塚壁画と同一。(猛爆)
>>日本の内部構造が解るのか?(猛爆)
>たくさんあるが、桜井茶臼山古墳。
新聞記事にはくっきりと内部の構造が写ってるし、
その前後の写真もみな。
全長200mにもなる巨大前方後円墳だ。
このサイトには、他の前方後円墳もあるな。
>竪穴式石室 竪穴式石室は、1949年に発掘調査がおこなわれました。後円部上面から約0.8m下に埋め込まれた石室は、南北6.75m・東西1.13m・高さ約1.6mを測る大形のものでした。12枚の天井石と垂直な側壁、そして板石が敷き詰められた床面によって形作られた石室には、大きな木棺が納められていました。
壁画がなければ比較できまい?(猛爆)
>仁徳天皇陵については、
>2.前方部の石室と石棺
絵図については、こっちの方がわかりやすい。
http://bell.jp/pancho/travel/furuiti-mozu%20kofungun/daisen-kofun.htm
盗掘されて誰の墳墓か解らないだの、アメリカのボストン博物館には、仁徳陵出土品として獣帯鏡、三環鈴、馬鐸、環頭太刀の柄頭(つかがしら)の4点が所蔵されている。環鈴の形状や環頭太刀の柄頭の形状から類推して、これらの出土品は5世紀後葉から6世紀初めのものと考えられている。本当にこれらの品々が仁徳陵古墳からの出土品であれば、『日本書紀』や『古事記』が語る仁徳天皇の年代観と大きく異なり、仁徳天皇の陵墓に充当できなくなる。しかし、ボストン美術館に所蔵されるまでの経緯を調べたところでは、仁徳陵古墳から出土したことを直接裏付ける証拠はないらしい。
>>小屋の位置が同じなら、同じなんだよ。違うというなら、証明できる資料を出せよ。(猛爆)
>位置が同じ?
小屋と古墳の距離、
小屋の形状、
古墳自体の形状も全部違うが?
何処の古墳か証明してから、違うと言えよ。(猛爆)
これは メッセージ 215965 (run*run*2 さん)への返信です.
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