■6世紀以前 倭>朝鮮半島
投稿者: okidokinoa 投稿日時: 2012/06/09 14:12 投稿番号: [215433 / 230347]
紀元前3世紀〜3世紀頃の朝鮮半島は
絶えず中国から流民の進入を受け
半島北半分にに中国人のさまざまな国が建てられ
雑多な民族〔韓・辰・斎・ワイ族〕が
倭人などがいる南部に移動した。
この頃の朝鮮半島の南半部は弱体化した無政府状態。
*箕子朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC1100年−BC195年
中国の周(黄河)の武王が朝鮮に封じた殷の一族箕子が起こす。
*衛満朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC195年−BC108年。
中国の燕(北京付近)から亡命者が衛満が起こす。
*漢の楽浪郡〔朝鮮半島北西部〕BC108年−4世紀。
*三国志魏書馬韓伝 馬韓(半島南東部)−後の百済
各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,
その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。
既に侯準は王を僭称していたが,燕の亡名者の衛滿が全てを奪い取る。
*三国志魏書辰韓伝 辰韓(半島南西部)−後の新羅
辰韓は馬韓の東,そこの古老の伝承では,
秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で,
馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。
*三国志魏書弁辰伝
弁辰(半島南端部)−後の倭の五王珍(末羅の末裔)の領地(5世紀)・
任那日本府(6世紀)
国は鉄を産出し,韓,口,倭など皆,これを採りに来る。
男女は倭に近く,全身に刺青もする。
*三国志魏書弁辰伝・辰韓伝〔三世紀〕
馬韓〔後の百済〕皆長さ五尺余。その男子時々文身あり。
*隋書百済伝
「百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。
倭人は縄文時代から西日本と南朝鮮を行き来しており
かなり前から朝鮮半島南部に住み着いていたのだろう。
朝鮮半島から発見された縄文土器・黒曜石・矢じりが証拠だ。
また新羅神話には王が倭人だったと書かれている。
倭には紀元前2世紀頃鉄器を導入し
伝統の日本海交易ルートを維持しながら着実に力をつけていたのだろう。
★縄文式土器 日本>>>>>>>>>>>>>朝鮮半島
★1〜2世紀の銅鐸銅矛の出土数 倭>>>>朝鮮半島
★3世紀頃の銅鏡の出土数 倭>>朝鮮半島
★3〜5世紀の古墳の数・大きさ 倭>>朝鮮半島
紀元前1世紀に高句麗(半島の北)・
4世紀に百済・新羅が興った。
中国の楽浪郡(半島北西部)は4世紀まで続いた。
4世紀頃の任那日本府は韓国が否定しているが
百済と新羅が緩衝地帯として
倭人が多い半島南岸部に倭(日本)の出先機関を設さけ,
パワーバランスを維持したのではないか。
宋書には倭の五王の一人である武が
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓を治めたとあるが
5世紀の倭の半島における影響力はまだ強かった。
6世紀まで倭は朝鮮半島に影響したが
新羅が半島を統一する7世紀に
唐・新羅連合に破れ朝鮮半島から退くことになる。
絶えず中国から流民の進入を受け
半島北半分にに中国人のさまざまな国が建てられ
雑多な民族〔韓・辰・斎・ワイ族〕が
倭人などがいる南部に移動した。
この頃の朝鮮半島の南半部は弱体化した無政府状態。
*箕子朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC1100年−BC195年
中国の周(黄河)の武王が朝鮮に封じた殷の一族箕子が起こす。
*衛満朝鮮〔朝鮮半島北半部〕BC195年−BC108年。
中国の燕(北京付近)から亡命者が衛満が起こす。
*漢の楽浪郡〔朝鮮半島北西部〕BC108年−4世紀。
*三国志魏書馬韓伝 馬韓(半島南東部)−後の百済
各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,
その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。
既に侯準は王を僭称していたが,燕の亡名者の衛滿が全てを奪い取る。
*三国志魏書辰韓伝 辰韓(半島南西部)−後の新羅
辰韓は馬韓の東,そこの古老の伝承では,
秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で,
馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。
*三国志魏書弁辰伝
弁辰(半島南端部)−後の倭の五王珍(末羅の末裔)の領地(5世紀)・
任那日本府(6世紀)
国は鉄を産出し,韓,口,倭など皆,これを採りに来る。
男女は倭に近く,全身に刺青もする。
*三国志魏書弁辰伝・辰韓伝〔三世紀〕
馬韓〔後の百済〕皆長さ五尺余。その男子時々文身あり。
*隋書百済伝
「百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。
(百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。
倭人は縄文時代から西日本と南朝鮮を行き来しており
かなり前から朝鮮半島南部に住み着いていたのだろう。
朝鮮半島から発見された縄文土器・黒曜石・矢じりが証拠だ。
また新羅神話には王が倭人だったと書かれている。
倭には紀元前2世紀頃鉄器を導入し
伝統の日本海交易ルートを維持しながら着実に力をつけていたのだろう。
★縄文式土器 日本>>>>>>>>>>>>>朝鮮半島
★1〜2世紀の銅鐸銅矛の出土数 倭>>>>朝鮮半島
★3世紀頃の銅鏡の出土数 倭>>朝鮮半島
★3〜5世紀の古墳の数・大きさ 倭>>朝鮮半島
紀元前1世紀に高句麗(半島の北)・
4世紀に百済・新羅が興った。
中国の楽浪郡(半島北西部)は4世紀まで続いた。
4世紀頃の任那日本府は韓国が否定しているが
百済と新羅が緩衝地帯として
倭人が多い半島南岸部に倭(日本)の出先機関を設さけ,
パワーバランスを維持したのではないか。
宋書には倭の五王の一人である武が
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓を治めたとあるが
5世紀の倭の半島における影響力はまだ強かった。
6世紀まで倭は朝鮮半島に影響したが
新羅が半島を統一する7世紀に
唐・新羅連合に破れ朝鮮半島から退くことになる。
これは メッセージ 1 (the_rich_and_smooth さん)への返信です.
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