ある国②
投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2012/01/19 15:47 投稿番号: [207170 / 230347]
■(韓国人の主張)
〔土地の侵奪〕 日帝の植民地支配下で、わが民族は、とくに経済的な収奪による大きな苦痛を強いられるようになった。この中でもっとも大きな被害を受けたのは、土地の侵奪だった。日帝は国権を奪った直後から、いわゆる土地調査事業という名目で、農民の土地を申告するように通達した。これは土地所有関係を近代的に整理するという口実で推進された。しかし申告手続きが複雑で困難だったことや、日帝に協調しようとしない反日感惰から、多くの農民は申告をしなかった。その結果、申告されない土地は地主がいない土地とされ、総督府の所有となった。また、従来の王室か公共機関に属していた多くの土地が総督府の所有になったし、全国的に分布していた門中の土地や村の共有地も大部分没収された。朝鮮総督府はこれらの農地を、日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国へ来る日本人に安い値段で売り渡したりした。その結果、韓国の農民はさらに貧困になり、土地を奪われた農民は山奥へ人って、火田民(焼き畑農耕民)になったりした。新しい生活の基盤を探して満州など国外へ移住する者も増加した。 (韓国の中学校用国定歴史教科書1997年版より)
●(反論)
土地の侵奪は、李朝時代に両班によって行われてきた悪弊の一つであった。
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「韓国は日本人がつくった ―朝鮮総督府の隠された真実―」 黄文雄 2002年 徳間書店
両班こそが土地強奪の犯人
「日帝」による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝七奪」のひとつとして数えられている。よく言われる例は、日本人が小高い丘にのぼってあたりを見渡し、土地を指さして手当たりしだい良田を奪っていったという話だ。しかし、これはおそらく両班時代の「土地強奪」から連想して日本人に罪をなすりつけたものであろう。
ダレ神父は「朝鮮事情」(1874年)のなかで両班の土地強奪の実態を次のように述べている。『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない』
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班をモデルにしてでっちあげられた作り話である。そもそも、日本とは法治国家である。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。
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「歴史民俗朝鮮漫談」 今村鞆 昭和三年(1928年) 南山吟社
回顧二十年前(今村鞆は韓国併合以前の統監府の時代からの官吏であった。)
或る処で農民が牛を盗まれ、その泥棒を警察署で捕へ、牛を被害者に還付せんとした時に、自分の牛に非ずとしてドーしても受取らなかつた。もし受取れば数倍の金を後々より取らるると信じたからである、トウトウ、牛を受取つても後より一文をも誅求せぬといふ証文を署長に書かしてようやく牛を受取つて往つた、しかして不思議がつて居た。
自分が出張中忠州付近で両班が農民の山の中へ、勝手に墓を作りその山を横占せんとし、紛擾をかもせる所へきかかり、その両班に、決して右の如き非行は相成らぬ旨を言渡した、その時一部落の人民は、五十人ばかりイクラ止めても喜んで送つて来た。
右の如き例は、枚挙に遑(いとま)の無い程あつた。また裁判の公平土地調査の為め、所有権を侵害される事の無くなつた事等は、民衆の大に喜んだ事であつた。
両班の動静
良民は新政を喜んだが、両班儒生の大多数は、新政に反対した。時勢を解した両班は、従前の行動を改めたが、中には民衆の無知に乗じ、依然として昔ながらの、横暴振を逞(たくまし)ふして居る者も多かつた。下民の身分を省みず、両班の前で喫煙したとか、馬で乗打をしたとか、いふ様な、良民が時勢に目醒めてする、従来の習俗に反する行為を咎め立てて、罵倒殴打する、等の事により、債務のカタに人や馬や財産を強収拉去する、なほ甚だしきは、土地の境界不明に乗じ、良民の土地を侵犯するといふ、慣行手段の悪事を公行して居たが、被害人民は、なほ十分に官庁を信頼せずして、申告しなかつた。この土地侵略の悪風は、土地調査事業完成の為根絶し、良民は該事業を、心から良制なりとして謳歌した。(中略) 一体に悪両班は、自己の悪事が出来なくなりし為め、新政を呪詛して居た。
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総督府の土地調査事業によって土地所有権が確立し、農民の土地所有が保障されるようになった。それにより旧両班階級による不法な土地侵奪はなくなった。
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http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm#tochi
〔土地の侵奪〕 日帝の植民地支配下で、わが民族は、とくに経済的な収奪による大きな苦痛を強いられるようになった。この中でもっとも大きな被害を受けたのは、土地の侵奪だった。日帝は国権を奪った直後から、いわゆる土地調査事業という名目で、農民の土地を申告するように通達した。これは土地所有関係を近代的に整理するという口実で推進された。しかし申告手続きが複雑で困難だったことや、日帝に協調しようとしない反日感惰から、多くの農民は申告をしなかった。その結果、申告されない土地は地主がいない土地とされ、総督府の所有となった。また、従来の王室か公共機関に属していた多くの土地が総督府の所有になったし、全国的に分布していた門中の土地や村の共有地も大部分没収された。朝鮮総督府はこれらの農地を、日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国へ来る日本人に安い値段で売り渡したりした。その結果、韓国の農民はさらに貧困になり、土地を奪われた農民は山奥へ人って、火田民(焼き畑農耕民)になったりした。新しい生活の基盤を探して満州など国外へ移住する者も増加した。 (韓国の中学校用国定歴史教科書1997年版より)
●(反論)
土地の侵奪は、李朝時代に両班によって行われてきた悪弊の一つであった。
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「韓国は日本人がつくった ―朝鮮総督府の隠された真実―」 黄文雄 2002年 徳間書店
両班こそが土地強奪の犯人
「日帝」による朝鮮半島の土地強奪は、「日帝七奪」のひとつとして数えられている。よく言われる例は、日本人が小高い丘にのぼってあたりを見渡し、土地を指さして手当たりしだい良田を奪っていったという話だ。しかし、これはおそらく両班時代の「土地強奪」から連想して日本人に罪をなすりつけたものであろう。
ダレ神父は「朝鮮事情」(1874年)のなかで両班の土地強奪の実態を次のように述べている。『両班は世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。彼らが強奪に近い形で農民から田畑や家を買うときは、ほとんどの場合、支払いなしですませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令(知事)は一人もいない』
戦後、日本人が韓半島で行ったといわれる土地強奪は、ほとんどがこの両班をモデルにしてでっちあげられた作り話である。そもそも、日本とは法治国家である。この大前提を、戦後の韓国知識人はどうやら忘れているようだ。
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「歴史民俗朝鮮漫談」 今村鞆 昭和三年(1928年) 南山吟社
回顧二十年前(今村鞆は韓国併合以前の統監府の時代からの官吏であった。)
或る処で農民が牛を盗まれ、その泥棒を警察署で捕へ、牛を被害者に還付せんとした時に、自分の牛に非ずとしてドーしても受取らなかつた。もし受取れば数倍の金を後々より取らるると信じたからである、トウトウ、牛を受取つても後より一文をも誅求せぬといふ証文を署長に書かしてようやく牛を受取つて往つた、しかして不思議がつて居た。
自分が出張中忠州付近で両班が農民の山の中へ、勝手に墓を作りその山を横占せんとし、紛擾をかもせる所へきかかり、その両班に、決して右の如き非行は相成らぬ旨を言渡した、その時一部落の人民は、五十人ばかりイクラ止めても喜んで送つて来た。
右の如き例は、枚挙に遑(いとま)の無い程あつた。また裁判の公平土地調査の為め、所有権を侵害される事の無くなつた事等は、民衆の大に喜んだ事であつた。
両班の動静
良民は新政を喜んだが、両班儒生の大多数は、新政に反対した。時勢を解した両班は、従前の行動を改めたが、中には民衆の無知に乗じ、依然として昔ながらの、横暴振を逞(たくまし)ふして居る者も多かつた。下民の身分を省みず、両班の前で喫煙したとか、馬で乗打をしたとか、いふ様な、良民が時勢に目醒めてする、従来の習俗に反する行為を咎め立てて、罵倒殴打する、等の事により、債務のカタに人や馬や財産を強収拉去する、なほ甚だしきは、土地の境界不明に乗じ、良民の土地を侵犯するといふ、慣行手段の悪事を公行して居たが、被害人民は、なほ十分に官庁を信頼せずして、申告しなかつた。この土地侵略の悪風は、土地調査事業完成の為根絶し、良民は該事業を、心から良制なりとして謳歌した。(中略) 一体に悪両班は、自己の悪事が出来なくなりし為め、新政を呪詛して居た。
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総督府の土地調査事業によって土地所有権が確立し、農民の土地所有が保障されるようになった。それにより旧両班階級による不法な土地侵奪はなくなった。
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http://mirror.jijisama.org/syokuminti1.htm#tochi
これは メッセージ 207166 (elgfaret さん)への返信です.
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