トピ屑火鬱病るよどこまでも
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2010/09/26 00:01 投稿番号: [176565 / 230347]
よう、暗愚。
>朝鮮の漢文だから、中国語とは違うのよ。(猛爆)
( ´,_ゝ`)プッ
逃げ場が無くなったからって、よりによってこれかよw
漢文の構文自体に、朝鮮と中国で差異はない。
>詔は、皇帝の命令を直接に伝える文書
しょう【詔】
天子の命令。みことのり。(大辞泉より)
詔はホンタイジが出した命令。
文書での詔であるならば、"宣詔"ではなく"発詔"となる。
>で、席替えしないと宴会開けないだろうが?
ホンタイジと王子7人、仁祖と大君2名が壇上の「宴会場」に座るんだからさ。(猛爆)
さて、話をずらそうと必死だから、元に戻そうかw
No.172809のトピ屑
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
その馬鹿解釈に対する添削
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
それに対するNo.176213でのトピ屑の馬鹿反論
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
時系列・・・儀式前の話なのに、儀式後の宴の話を持ち出す。
位置関係・・・ホンタイジが北、仁祖が南なのに、ホンタイジが北、仁祖が東に座った宴の記述を出して反論。
アホとしか言いようがないわな。
更に、還=替と馬鹿変換してるんだから、なおのこと救いようがない。
まあ、どちらにしろ、三田渡での儀式で壇上に座ったのはホンタイジではなく仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣という馬鹿解釈の抗弁にはなっていないわな。
>当然、咨文で照会することが理に叶い適当だが、哀れみをもって来使が迅速に帰って来るようにしてくれれば、さらに益となります。
何か違うようだな。(猛爆)<
まあ、どうせ、本来は咨文で照会する・・・とあるから、これは咨文の例には当たらないとか言うつもりなんだろうが、
琉球國中山王遣普須古、蔡蓂等來獻土物, 領回本國漂流人口。 其咨曰
この時点で、咨文が外交文書として送られていることが分かる訳だがな。
>仁祖以降の歴代朝鮮王で合致する事例の提示をすれば良いのよ。仁祖の事例は明らかな間違い。(猛爆)
正祖がやりとりしたのは清の礼部だが、その咨文の中身は、壅正十三年から乾隆二十八年までの詔勅について(多分、英祖の在位中の詔勅)と、その詔勅を受ける際に朝鮮側で行われた歓待の様子等を記した物。
で、その歓待は、「凡襲封儀注」=凡(すべ)て封儀注(しるす)に襲(そい)とある。
礼部の定めるとおりにやっているのだから、他の朝鮮王や仁祖が例外と言う事はないわな。
それだけの話だよ。
>朝鮮王朝実録の原文には句読点が無いからな。文法を持ち出しても意味が無い。(猛爆)
本当に愚かだな(苦笑)。
句読点が無くとも、漢文の文法は原文でも同じだ。
>暦が違えば日にちが変わるのか?
新説繰り出すのか?(猛爆)
事実、朝鮮王朝実録と清史稿の記述の違いなどから明らかな事だ。
大体、清と朝鮮の日時が同じなら、降伏交渉の際の国書に、崇徳某年月日と書く必要なんてないわな。
>「禮畢=三跪九叩頭の礼」では無い、と認めたわけだな。(猛爆)
で、また声闘と。
禮畢=儀礼=三跪九叩頭の礼
と言うだけの話だ。
お前自身が、三跪九叩頭の礼は清の儀礼と言っていたわな。
>既出。自分でレスを遡れ。(猛爆)
やれやれ、出せないからって見苦しいな(苦笑)。
これまでの行動パターンからも、「既出=出せない」であることは明らかだっての。
何しろ、頼まれて無くても態々自分から引用するんだから。
ほんと、トピ屑は名を体で表してるな。
>朝鮮の漢文だから、中国語とは違うのよ。(猛爆)
( ´,_ゝ`)プッ
逃げ場が無くなったからって、よりによってこれかよw
漢文の構文自体に、朝鮮と中国で差異はない。
>詔は、皇帝の命令を直接に伝える文書
しょう【詔】
天子の命令。みことのり。(大辞泉より)
詔はホンタイジが出した命令。
文書での詔であるならば、"宣詔"ではなく"発詔"となる。
>で、席替えしないと宴会開けないだろうが?
ホンタイジと王子7人、仁祖と大君2名が壇上の「宴会場」に座るんだからさ。(猛爆)
さて、話をずらそうと必死だから、元に戻そうかw
No.172809のトピ屑
>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
その馬鹿解釈に対する添削
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
それに対するNo.176213でのトピ屑の馬鹿反論
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
時系列・・・儀式前の話なのに、儀式後の宴の話を持ち出す。
位置関係・・・ホンタイジが北、仁祖が南なのに、ホンタイジが北、仁祖が東に座った宴の記述を出して反論。
アホとしか言いようがないわな。
更に、還=替と馬鹿変換してるんだから、なおのこと救いようがない。
まあ、どちらにしろ、三田渡での儀式で壇上に座ったのはホンタイジではなく仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣という馬鹿解釈の抗弁にはなっていないわな。
>当然、咨文で照会することが理に叶い適当だが、哀れみをもって来使が迅速に帰って来るようにしてくれれば、さらに益となります。
何か違うようだな。(猛爆)<
まあ、どうせ、本来は咨文で照会する・・・とあるから、これは咨文の例には当たらないとか言うつもりなんだろうが、
琉球國中山王遣普須古、蔡蓂等來獻土物, 領回本國漂流人口。 其咨曰
この時点で、咨文が外交文書として送られていることが分かる訳だがな。
>仁祖以降の歴代朝鮮王で合致する事例の提示をすれば良いのよ。仁祖の事例は明らかな間違い。(猛爆)
正祖がやりとりしたのは清の礼部だが、その咨文の中身は、壅正十三年から乾隆二十八年までの詔勅について(多分、英祖の在位中の詔勅)と、その詔勅を受ける際に朝鮮側で行われた歓待の様子等を記した物。
で、その歓待は、「凡襲封儀注」=凡(すべ)て封儀注(しるす)に襲(そい)とある。
礼部の定めるとおりにやっているのだから、他の朝鮮王や仁祖が例外と言う事はないわな。
それだけの話だよ。
>朝鮮王朝実録の原文には句読点が無いからな。文法を持ち出しても意味が無い。(猛爆)
本当に愚かだな(苦笑)。
句読点が無くとも、漢文の文法は原文でも同じだ。
>暦が違えば日にちが変わるのか?
新説繰り出すのか?(猛爆)
事実、朝鮮王朝実録と清史稿の記述の違いなどから明らかな事だ。
大体、清と朝鮮の日時が同じなら、降伏交渉の際の国書に、崇徳某年月日と書く必要なんてないわな。
>「禮畢=三跪九叩頭の礼」では無い、と認めたわけだな。(猛爆)
で、また声闘と。
禮畢=儀礼=三跪九叩頭の礼
と言うだけの話だ。
お前自身が、三跪九叩頭の礼は清の儀礼と言っていたわな。
>既出。自分でレスを遡れ。(猛爆)
やれやれ、出せないからって見苦しいな(苦笑)。
これまでの行動パターンからも、「既出=出せない」であることは明らかだっての。
何しろ、頼まれて無くても態々自分から引用するんだから。
ほんと、トピ屑は名を体で表してるな。
これは メッセージ 176423 (topics_jk さん)への返信です.
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