Re: リピートで恥さらすアホタンロボ その
投稿者: asianrobo 投稿日時: 2010/09/22 08:14 投稿番号: [176287 / 230347]
よう、暗愚。
火鬱病った結果か、声闘がますます悪化しているなw
>大清皇帝功徳碑と勘違いしてるな。(猛爆)
銅版レリーフは1982年に全斗煥が建立したものさ。
そいつは確かにこちらの誤りだな。
で、全斗煥が建設した=嘘と断言できる理由は何なんだ?
>と、書かれている。一応ウィキは百科事典だから、見た人はこれを信じるさ。(猛爆)
動作を示しているだけなんだから、信じても問題なかろう。
>ウィキ引用文の、「上行三拜九叩頭禮」でけでは、相手が書かれていないから、如何様にも解釈可能。
相手が書かれていないからこそ、対象が必要な〜にとはどうやっても訳せない。
如何様にも解釈など不可能だっての。
>「順治帝行三跪九叩頭禮」は「順治帝"に"三跪九叩頭禮を行った」と訳すのが正しく、同じ構文の「上行三拜九叩頭禮」も同じく「上(仁祖)"に"三跪九叩頭禮を行った」と訳せるからね。(猛爆)
原文の「向順治帝行三跪九叩頭禮」だから「順治帝"に向って"三跪九叩頭禮を行った」と訳せるわけで、向を取ったら、「順治帝は三跪九叩頭禮を行った」としか訳せないし、「上行三拜九叩頭禮」も同じ。
しかし、自らがまいた種とはいえ、行くも地獄、戻るも地獄だなw
トリミングを認めるわけにも行かず、だからといって出来るのは馬鹿解釈だけで、書けば書くほど頭の悪さを露呈するばかりってんだから。
>勝利した清の記録は2月。
清の暦と朝鮮が使用していた明の暦とのずれがあっただけの話で、その差異ををもって、どちらかの記述が嘘とか言えるような物ではないぞ(苦笑)。
崇禎暦自体、その駄目っぷりから、崇禎帝が愛想を尽かして湯若望へ暦の作成を命じるような代物だったしな。
>>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
自分の発言の中で自爆とは、相変わらず器用なやつだなw
降伏の儀式が始まる前から式が終わるまでの話をしているのにも関わらず、儀式の後の話を持ち出す時点で頭が悪すぎるのに、
ホンタイジは汗南面而坐=北側の席
仁祖は上坐於東北隅西面=東側の席
と、その儀式後の位置関係も向き合っていない。
本当に頭が悪すぎ。
訳文は相変わらずの三田渡への道からのコピペ(これ自体は特に間違いはないから問題はない)だが、訳文を読んだ時点で、位置関係くらいすぐに理解できるはず何だがな。
>すなわち、儀式が終わったという意味なのさ。(猛爆)
儀式が終わったなら、仁祖が伏地謝罪する必要など無いだろ。
清史稿の記述を見れば、禮畢で儀式が終わっていないどころか、禮畢により儀式が始まったことは一目瞭然だ。
帝降坐,率イ宗及其諸子拜天。禮畢,帝還坐,イ宗率其屬伏地請罪,宣詔赦之,令坐壇下左側西向,位諸王上。賜宴畢,還其君臣家屬,盡召回諸道兵,振旅而西。
>読点がそうなっているからな。そのまま訳せばそうなるさ。
↓
「龍胡入報, 出傳汗言曰」
↑
正しくは、「龍胡入報出傳」、「汗言曰」と、ならないとな。(猛爆)<
つまり、私は大馬鹿です、と。
で、礼の記述なんて一切論点にしていない事についての弁明はどうした。
>龍胡が皇帝の言葉を伝えたのは、崇紱2年2月1日。(猛爆)
お前の脳内ソース以外で、それを示すソースを提示してみろ暗愚。
>素直に「二の句が継げません、参りました」と言えば済む話。(猛爆)
トピ屑の馬鹿解釈には呆れて二の句が継げません、その馬鹿さ加減には参りました。
満足したか暗愚w
火鬱病った結果か、声闘がますます悪化しているなw
>大清皇帝功徳碑と勘違いしてるな。(猛爆)
銅版レリーフは1982年に全斗煥が建立したものさ。
そいつは確かにこちらの誤りだな。
で、全斗煥が建設した=嘘と断言できる理由は何なんだ?
>と、書かれている。一応ウィキは百科事典だから、見た人はこれを信じるさ。(猛爆)
動作を示しているだけなんだから、信じても問題なかろう。
>ウィキ引用文の、「上行三拜九叩頭禮」でけでは、相手が書かれていないから、如何様にも解釈可能。
相手が書かれていないからこそ、対象が必要な〜にとはどうやっても訳せない。
如何様にも解釈など不可能だっての。
>「順治帝行三跪九叩頭禮」は「順治帝"に"三跪九叩頭禮を行った」と訳すのが正しく、同じ構文の「上行三拜九叩頭禮」も同じく「上(仁祖)"に"三跪九叩頭禮を行った」と訳せるからね。(猛爆)
原文の「向順治帝行三跪九叩頭禮」だから「順治帝"に向って"三跪九叩頭禮を行った」と訳せるわけで、向を取ったら、「順治帝は三跪九叩頭禮を行った」としか訳せないし、「上行三拜九叩頭禮」も同じ。
しかし、自らがまいた種とはいえ、行くも地獄、戻るも地獄だなw
トリミングを認めるわけにも行かず、だからといって出来るのは馬鹿解釈だけで、書けば書くほど頭の悪さを露呈するばかりってんだから。
>勝利した清の記録は2月。
清の暦と朝鮮が使用していた明の暦とのずれがあっただけの話で、その差異ををもって、どちらかの記述が嘘とか言えるような物ではないぞ(苦笑)。
崇禎暦自体、その駄目っぷりから、崇禎帝が愛想を尽かして湯若望へ暦の作成を命じるような代物だったしな。
>>1、三田渡の儀場の壇に座ったのは仁祖で、北面する席に座ったのは清の使臣。
・壇上に座ったのはホンタイジで、北面する席に就いたのが仁祖。
>降伏式が終わった後で壇上に上がり、ホンタイジと向かい合って座ったのよ。(猛爆)
汗南面而坐, 上坐於東北隅西面, 而芿王子三人, 以次連坐, 王世子又坐其下, 竝西面。 又芿王子四人, 坐於西北隅東面, 二大君連坐於其下。 我國侍臣, 給席於壇下東隅, 江都被執諸臣, 入坐於壇下西隅,
↓
ホンタイジは、壇上の南に向かって座り、仁祖は東北の隅の西に向かって座り、清の王子3人がその横に並んで座った。また、清の王子4人が西北の隅に東に向かって座り、それに並んで鳳林大君と麟坪大君が座った。朝鮮の廷臣たちは壇下の東の隅に席を与えられ、江華島で捕虜になった廷臣たちは壇下の西の隅に席を与えられた。<
自分の発言の中で自爆とは、相変わらず器用なやつだなw
降伏の儀式が始まる前から式が終わるまでの話をしているのにも関わらず、儀式の後の話を持ち出す時点で頭が悪すぎるのに、
ホンタイジは汗南面而坐=北側の席
仁祖は上坐於東北隅西面=東側の席
と、その儀式後の位置関係も向き合っていない。
本当に頭が悪すぎ。
訳文は相変わらずの三田渡への道からのコピペ(これ自体は特に間違いはないから問題はない)だが、訳文を読んだ時点で、位置関係くらいすぐに理解できるはず何だがな。
>すなわち、儀式が終わったという意味なのさ。(猛爆)
儀式が終わったなら、仁祖が伏地謝罪する必要など無いだろ。
清史稿の記述を見れば、禮畢で儀式が終わっていないどころか、禮畢により儀式が始まったことは一目瞭然だ。
帝降坐,率イ宗及其諸子拜天。禮畢,帝還坐,イ宗率其屬伏地請罪,宣詔赦之,令坐壇下左側西向,位諸王上。賜宴畢,還其君臣家屬,盡召回諸道兵,振旅而西。
>読点がそうなっているからな。そのまま訳せばそうなるさ。
↓
「龍胡入報, 出傳汗言曰」
↑
正しくは、「龍胡入報出傳」、「汗言曰」と、ならないとな。(猛爆)<
つまり、私は大馬鹿です、と。
で、礼の記述なんて一切論点にしていない事についての弁明はどうした。
>龍胡が皇帝の言葉を伝えたのは、崇紱2年2月1日。(猛爆)
お前の脳内ソース以外で、それを示すソースを提示してみろ暗愚。
>素直に「二の句が継げません、参りました」と言えば済む話。(猛爆)
トピ屑の馬鹿解釈には呆れて二の句が継げません、その馬鹿さ加減には参りました。
満足したか暗愚w
これは メッセージ 176213 (topics_jk さん)への返信です.
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