Re: Y染色体/2
投稿者: joumonjin_no_shison 投稿日時: 2009/11/22 21:08 投稿番号: [158375 / 230347]
>私は次世紀の始め日露戦争で大国ロシアに曲がりなりにも勝利したことを
>("日本が欧米に追いつき始めた"として)念頭においている。
ロシアはヨーロッパではもっとも後進。
>>朝鮮との差が開いたのはもっと前だろう。
>「差」とは具体的に何か明示されたい。
>軍事力の差。
明治維新以前なら、大差ない。
>文化力の差。
「赤と青のどちらが色鮮やかか」という問いに意味があるか?ないよ。
「赤だ」とか「青だ」とか答えるのもおかしなこと。
>国力の差。
>住民の豊かさや幸せ度の差、民度の差。etc
計りようがない。
>>「日本」というのは弥生人が作ったものであって
>>縄文人はそれに同化させられた、というか
>>そうせねば生き残れなかったというのが
>>本当のところ。
>「縄文人の子孫」と名乗る割には
>縄文人を過少評価したいようだ?
いたし方ない。人口が全てを物語る。
縄文時代の日本の人口は多くても30万もいなかった
その後減少し、弥生人がやってくる頃には数万程度だった
といわれている。
>縄文人が弥生人を受け入れた。
>日本列島にやって来た少数派の弥生人を
>多数派の縄文人が排斥しなかった。
>というより積極的に受け入れた。
>というのが私の考え。
弥生人がどのくらい来たかは知らないが、
日本列島全体で数万、しかもその大半は
東日本に偏って住んでいたという状況で
排斥もヘッタクレもないだろう。
人口が再び増えだしたのは弥生人がやってきてから。
すべてコメのおかげ。コメ様々。
縄文人が弥生人に屈服する理由もわかろうというものだ。
>「記紀」を否定しますか?
ヒトはつねに真実を語るとはいえない。今も昔も。
>「ヨソ者」を積極的に受け入れるのが縄文人。
>少なくとも縄文人と弥生人の間に大きな戦争はなかった。
戦争になりようがない。すくなくとも西日本においては。
関東の毛人征伐はまあ戦争といえなくもないが、
戦力には圧倒的な開きがあっただろう。
文明の力は残酷だ。
>(皇室は)一般人にも尊敬される存在だったから今まで残ったのだろう。
一般人は天皇なんて知らなかったというのが明治維新の頃の常識。
戦国時代の頃には、皇室は実にどん底にあったらしい。
織田信長も、別に皇室に対する尊敬の念などなかったらしい。
彼が長生きしていれば、おそらく皇室をツブしただろう。
秀吉や家康は、そこまで極端でなかっただけで、
根本的な態度としては信長と大して変わらない。
戦国の武将は皆リアリストだ。
>今でも縄文系が多数派を占める。
・・・とはいえない。Y染色体だけでも、厳密にいえば、弥生系のほうが多い。
また、Y染色体の比が、実際の縄文/弥生の比をあらわしてるとはいえない。
>多数派の縄文人が少数派の弥生人と共存した。その縄文人の心を愛でたい。
現実には、弥生人が住み着いた場所は、
縄文人にとっては無価値な場所だったし
そもそも西日本には縄文人がほとんど
いなかっただろうと思われる。
とはいえ、弥生人のほうが圧倒的に暮らしが安定してたので
縄文人は結局弥生人に同化する道を選んだのだろう。
人間、ラクに食っていけるほうがいいに決まってるw
>>日本におけるハプログループO2b1aの繁栄。
>>おそらく皇室のY染色体のハプログループだろう。
>根拠としては弱いと思う。
そんなことはない。
O2b1aの男性の出現はたかだか2000〜3000年前
(なぜか”神武天皇”の時代と一致するw)
それが、日本人の男子の20%を占めるには、
いかほど増殖せねばならないか考えれば
このハプログループの中に”有力者”がいた
と考えるのは至極妥当である。
>稲作民族のO2aもO2bも繁殖力が強い。
>中国や東南アジアの人口が多いのも米食のおかげではないか?
全然わかってないな。
そもそも、「コメを作る」ということが食料の安定供給に関する
もっとも重要な技術革新であった、ということが、だ。
>O2系は中国においてはO3に圧迫され、
>百済ではやはりO3の扶余族に支配された。
扶余はO3じゃないだろう。
トゥングースならおそらくC3だな。
エヴェンキなどはほとんどC3だ。
>私見ではO2系は戦闘的ではないと考える。
実際には、大陸から逃げたボートピープルだから
その時点で戦争どころじゃなかったと思われる。
>("日本が欧米に追いつき始めた"として)念頭においている。
ロシアはヨーロッパではもっとも後進。
>>朝鮮との差が開いたのはもっと前だろう。
>「差」とは具体的に何か明示されたい。
>軍事力の差。
明治維新以前なら、大差ない。
>文化力の差。
「赤と青のどちらが色鮮やかか」という問いに意味があるか?ないよ。
「赤だ」とか「青だ」とか答えるのもおかしなこと。
>国力の差。
>住民の豊かさや幸せ度の差、民度の差。etc
計りようがない。
>>「日本」というのは弥生人が作ったものであって
>>縄文人はそれに同化させられた、というか
>>そうせねば生き残れなかったというのが
>>本当のところ。
>「縄文人の子孫」と名乗る割には
>縄文人を過少評価したいようだ?
いたし方ない。人口が全てを物語る。
縄文時代の日本の人口は多くても30万もいなかった
その後減少し、弥生人がやってくる頃には数万程度だった
といわれている。
>縄文人が弥生人を受け入れた。
>日本列島にやって来た少数派の弥生人を
>多数派の縄文人が排斥しなかった。
>というより積極的に受け入れた。
>というのが私の考え。
弥生人がどのくらい来たかは知らないが、
日本列島全体で数万、しかもその大半は
東日本に偏って住んでいたという状況で
排斥もヘッタクレもないだろう。
人口が再び増えだしたのは弥生人がやってきてから。
すべてコメのおかげ。コメ様々。
縄文人が弥生人に屈服する理由もわかろうというものだ。
>「記紀」を否定しますか?
ヒトはつねに真実を語るとはいえない。今も昔も。
>「ヨソ者」を積極的に受け入れるのが縄文人。
>少なくとも縄文人と弥生人の間に大きな戦争はなかった。
戦争になりようがない。すくなくとも西日本においては。
関東の毛人征伐はまあ戦争といえなくもないが、
戦力には圧倒的な開きがあっただろう。
文明の力は残酷だ。
>(皇室は)一般人にも尊敬される存在だったから今まで残ったのだろう。
一般人は天皇なんて知らなかったというのが明治維新の頃の常識。
戦国時代の頃には、皇室は実にどん底にあったらしい。
織田信長も、別に皇室に対する尊敬の念などなかったらしい。
彼が長生きしていれば、おそらく皇室をツブしただろう。
秀吉や家康は、そこまで極端でなかっただけで、
根本的な態度としては信長と大して変わらない。
戦国の武将は皆リアリストだ。
>今でも縄文系が多数派を占める。
・・・とはいえない。Y染色体だけでも、厳密にいえば、弥生系のほうが多い。
また、Y染色体の比が、実際の縄文/弥生の比をあらわしてるとはいえない。
>多数派の縄文人が少数派の弥生人と共存した。その縄文人の心を愛でたい。
現実には、弥生人が住み着いた場所は、
縄文人にとっては無価値な場所だったし
そもそも西日本には縄文人がほとんど
いなかっただろうと思われる。
とはいえ、弥生人のほうが圧倒的に暮らしが安定してたので
縄文人は結局弥生人に同化する道を選んだのだろう。
人間、ラクに食っていけるほうがいいに決まってるw
>>日本におけるハプログループO2b1aの繁栄。
>>おそらく皇室のY染色体のハプログループだろう。
>根拠としては弱いと思う。
そんなことはない。
O2b1aの男性の出現はたかだか2000〜3000年前
(なぜか”神武天皇”の時代と一致するw)
それが、日本人の男子の20%を占めるには、
いかほど増殖せねばならないか考えれば
このハプログループの中に”有力者”がいた
と考えるのは至極妥当である。
>稲作民族のO2aもO2bも繁殖力が強い。
>中国や東南アジアの人口が多いのも米食のおかげではないか?
全然わかってないな。
そもそも、「コメを作る」ということが食料の安定供給に関する
もっとも重要な技術革新であった、ということが、だ。
>O2系は中国においてはO3に圧迫され、
>百済ではやはりO3の扶余族に支配された。
扶余はO3じゃないだろう。
トゥングースならおそらくC3だな。
エヴェンキなどはほとんどC3だ。
>私見ではO2系は戦闘的ではないと考える。
実際には、大陸から逃げたボートピープルだから
その時点で戦争どころじゃなかったと思われる。
これは メッセージ 158361 (monjujz さん)への返信です.
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