Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: qq_missile2 投稿日時: 2009/10/25 16:45 投稿番号: [157050 / 230347]
>本題は倭人の話から、帯方東南大海中の帯方は何処かを論じているわけだからな。
>従って、公孫氏が設置した帯方郡に絞り込んだ議論をしないとね。
ん?
始まりはこれじゃなかったか?
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『宋書』倭国伝
倭國在高驪東南大海中、世修貢職。
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そして、なぜ広大な国土を誇った高句麗の中で、西端が起点になるのかという点についての説得力のある説明がいまだになされていないと思っているのは、俺だけだろうか。
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広開土王碑の発見が1880年。1884年に大日本帝国陸軍砲兵大尉の酒匂景信が拓本を参謀本部に持ち帰ったから、日鮮同祖論に結び付ける為に日清戦争に勝利した後、軍を動員して好き勝手に近辺を発掘しまくったと思うぞ。時は日韓併合で日本の好き勝手が出来る時代だからな。現平壌に埋め戻すことなど簡単にできる。それを、昭和になって日本の考古学者が発掘したわけだな。(猛爆)
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なるほど。
いつ発掘されるかわからないものを土に埋めた、と。
日本軍が後世の人々を驚かせようとした“タイムカプセル”ってわけか。
想像力の翼を自由に羽ばたかせた、実にファンタジーあふれる話だ。
もちろん、発掘して最初に飛び出したのはカエルだよな(笑
おや?そうなると石窟庵はどうなる?
ユネスコ世界遺産に登録されている、韓国ご自慢の文化財なんだが、あれは文禄・慶長の役の時に日本がつくったものかもしれない、なんてストーリーもありってわけか。
たしか、加藤清正はそっち方面に進攻していったはずだ。
で、日本軍撤退後に朝鮮の民衆が「倭奴がつくったものをそのままにはしておけない」と破壊しようとしたができずに、仕方なく埋めた。
後に「日本が修復しようとしたもののできなかった」というほど緻密につくられたものであるというのも、築城・土木の名手である加藤清正の手になるものならば納得がいく。
おお、辻褄の合う話の出来上がりだ(笑
これは メッセージ 157030 (topics_jk さん)への返信です.
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