Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/10/24 07:12 投稿番号: [156978 / 230347]
>>楽浪郡、帯方郡の官庁は、朝鮮半島の此処そこに存在したと、史書を基に反論しないのかね?という事は、認めるわけかね?(猛爆)
>意味不明だねぃ。以前百済の旧首都が「漢城」という名前であった事を引き合いに出して、帯方郡治(郡庁?)はそこにあったんじゃ、という私見を述べた筈だが?
妄想妄言では証明にはならない。僕は、朝鮮半島に帯方郡は存在しないと一貫して述べている。
後漢書光武帝紀の下「樂浪,郡,故朝鮮國也,在遼東」
↑
楽浪郡が遼東にあるなら、その南に置いた帯方郡は、現在の遼東半島に存在したと言う事になる。
従って、朝鮮半島に存在したなら、ウィキでは無い「史書」で証明しなさいといっている。
何時まで逃げるつもりかね?(猛爆)
>>いつの間にか『倭国半島起源説』と妄想してるわけかね?僕の論は、史書によると、倭人は福建省にも、鮮卑に攻められた倭国も朝鮮半島南端にも倭国があったという話。貴方の足掻きで、話が横道にそれているだけでね。
>ほぉ。じゃあ、今回ロングラン歴史漫談をやっている最初の最初を再掲してみましょうか?
>>日本に渡った半島人集団ですな。倭とも言いますね
>この時点では、そんな事書いてないがなぁ。それと半島南端というのも、今思いついて書いているし(笑)
「古代朝鮮半島に日本系の一大勢力があった事実」に対して「倭があったと言っている。」
僕のほうは一貫して述べているが、貴方の足掻きで横道にそれているだけでね。(猛爆)
>>仇台の時代は公孫度
>それはこっちの台詞ですよ(笑) そしてトピック史観によると、その当時には扶余国はどこにあったか分からない、と。ところで、遼東半島の西の付け根に無理矢理公孫氏の同盟国“扶余国”を作って、その後司馬懿に踏み潰されずに済む離れ業、思いつきましたか(大笑)?
高句麗の遺臣:大祚栄が震国を建国した時に、唐から受けた官位が、河北省南部にあたる渤海郡の「渤海郡公渤海王」。
官位と支配領地は一致しない事もあるという事だ。(猛爆)
>>では、扶余「国」の王都と扶余「国」歴代王の証明ができるのかね?
>私はあなたと違って「中原の東北にある強国 大扶余帝国」なんて夢想してないもの。中国の史料を素直に読んで、「あぁ、そんな国あったんですか」くらいの認識かな?ま、アトランティスよりは信憑性があるかと。
言い訳ばかりしないで、証明できないと書けば如何かね?(猛爆)
>>無いものは、前後の記載から推理するしかない。史書では、始祖仇台は渤海に面した熊岳城が本拠城(以下略)
>肝心のこの部分の史料、見せて下さいましたっけ?それに史料に仇台は『嗣子』(意訳すれば王の跡取り)とありますが?親の名代として上京し、あなたは否定しますが、『尉』なんていう下級士官の官位を貰ったという事は、『親』の存在が前提と思いますが?
既出、過去レスを読めば?
>>今回も、能書きばかりで何の反論も出来なかったね?反駁は、資料を基にしてね。(猛爆)
>“史料”であり、トンデモ史家の戯言は、学説とは言えない。じゃ、反駁代わりに、あなたの漢文読解能力をテストしよう。全てはあなたの漢文に対する超絶解釈(読めないんだろうが)からだからね。
で、何一つ反論できずに、毎度おなじみの英語ネタもどきになったのかね?(猛爆)
>子之哭也 壱似重有憂者
『礼記』檀弓下
孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。
で、何を言いたいわけかね?(猛爆)
「舊以男子為主 漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子為王 名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也 其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相 又數至 泰始初、遣使重譯入貢」
↑
における、「宣帝之平公孫氏也」は、出自を述べていると言っている。
公孫姓には幾つも系統があるから、本流ともいえる衛の公孫氏(武王の弟の康叔封系統)ではないよと態々書き入れてあるということだ。(猛爆)
>意味不明だねぃ。以前百済の旧首都が「漢城」という名前であった事を引き合いに出して、帯方郡治(郡庁?)はそこにあったんじゃ、という私見を述べた筈だが?
妄想妄言では証明にはならない。僕は、朝鮮半島に帯方郡は存在しないと一貫して述べている。
後漢書光武帝紀の下「樂浪,郡,故朝鮮國也,在遼東」
↑
楽浪郡が遼東にあるなら、その南に置いた帯方郡は、現在の遼東半島に存在したと言う事になる。
従って、朝鮮半島に存在したなら、ウィキでは無い「史書」で証明しなさいといっている。
何時まで逃げるつもりかね?(猛爆)
>>いつの間にか『倭国半島起源説』と妄想してるわけかね?僕の論は、史書によると、倭人は福建省にも、鮮卑に攻められた倭国も朝鮮半島南端にも倭国があったという話。貴方の足掻きで、話が横道にそれているだけでね。
>ほぉ。じゃあ、今回ロングラン歴史漫談をやっている最初の最初を再掲してみましょうか?
>>日本に渡った半島人集団ですな。倭とも言いますね
>この時点では、そんな事書いてないがなぁ。それと半島南端というのも、今思いついて書いているし(笑)
「古代朝鮮半島に日本系の一大勢力があった事実」に対して「倭があったと言っている。」
僕のほうは一貫して述べているが、貴方の足掻きで横道にそれているだけでね。(猛爆)
>>仇台の時代は公孫度
>それはこっちの台詞ですよ(笑) そしてトピック史観によると、その当時には扶余国はどこにあったか分からない、と。ところで、遼東半島の西の付け根に無理矢理公孫氏の同盟国“扶余国”を作って、その後司馬懿に踏み潰されずに済む離れ業、思いつきましたか(大笑)?
高句麗の遺臣:大祚栄が震国を建国した時に、唐から受けた官位が、河北省南部にあたる渤海郡の「渤海郡公渤海王」。
官位と支配領地は一致しない事もあるという事だ。(猛爆)
>>では、扶余「国」の王都と扶余「国」歴代王の証明ができるのかね?
>私はあなたと違って「中原の東北にある強国 大扶余帝国」なんて夢想してないもの。中国の史料を素直に読んで、「あぁ、そんな国あったんですか」くらいの認識かな?ま、アトランティスよりは信憑性があるかと。
言い訳ばかりしないで、証明できないと書けば如何かね?(猛爆)
>>無いものは、前後の記載から推理するしかない。史書では、始祖仇台は渤海に面した熊岳城が本拠城(以下略)
>肝心のこの部分の史料、見せて下さいましたっけ?それに史料に仇台は『嗣子』(意訳すれば王の跡取り)とありますが?親の名代として上京し、あなたは否定しますが、『尉』なんていう下級士官の官位を貰ったという事は、『親』の存在が前提と思いますが?
既出、過去レスを読めば?
>>今回も、能書きばかりで何の反論も出来なかったね?反駁は、資料を基にしてね。(猛爆)
>“史料”であり、トンデモ史家の戯言は、学説とは言えない。じゃ、反駁代わりに、あなたの漢文読解能力をテストしよう。全てはあなたの漢文に対する超絶解釈(読めないんだろうが)からだからね。
で、何一つ反論できずに、毎度おなじみの英語ネタもどきになったのかね?(猛爆)
>子之哭也 壱似重有憂者
『礼記』檀弓下
孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀。夫子式而聽之、使子路問之曰、子之哭也、壹似重有憂者。
で、何を言いたいわけかね?(猛爆)
「舊以男子為主 漢末 倭人亂 攻伐不定 乃立女子為王 名曰卑彌呼 宣帝之平公孫氏也 其女王遣使至帶方朝見 其後貢聘不絶 及文帝作相 又數至 泰始初、遣使重譯入貢」
↑
における、「宣帝之平公孫氏也」は、出自を述べていると言っている。
公孫姓には幾つも系統があるから、本流ともいえる衛の公孫氏(武王の弟の康叔封系統)ではないよと態々書き入れてあるということだ。(猛爆)
これは メッセージ 156964 (qapla_jup さん)への返信です.
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