Re: 百済と韓国は無関係?その1
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/23 20:57 投稿番号: [156964 / 230347]
>往生際の悪いのは貴方の方だね。既に詰んでいるからね。(猛爆)
妄想の才能も、ここまで極めると素晴らしい(笑) その才能は空想小説か
何かに充てるべきで、歴史ではないですよ。もっとも世界標準で見たら、
韓国人の考える歴史自体が、学会も民間も想像の産物みたいなモン
だけど(笑)
>楽浪郡、帯方郡の官庁は、朝鮮半島の此処そこに存在したと、史書を
基に反論しないのかね?という事は、認めるわけかね?(猛爆)
意味不明だねぃ。以前百済の旧首都が「漢城」という名前であった事を
引き合いに出して、帯方郡治(郡庁?)はそこにあったんじゃ、という
私見を述べた筈だが?しかし、最初は「帯方郡なんかなかった」言って
いたのに、トピックさん、いつ宗旨替えしたの?自分でミスって私と
同じ事をいう文献を引っ張り出してから(大笑)?
>いつの間にか『倭国半島起源説』と妄想してるわけかね?
僕の論は、史書によると、倭人は福建省にも、鮮卑に攻められた倭国も
朝鮮半島南端にも倭国があったという話。貴方の足掻きで、話が横道に
それているだけでね。
ほぉ。じゃあ、今回ロングラン歴史漫談をやっている最初の最初を再掲して
みましょうか?
>日本に渡った半島人集団ですな。倭とも言いますね
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel&sid=1143582&mid=156328
この時点では、そんな事書いてないがなぁ。それと半島南端というのも、
今思いついて書いているし(笑) 初期の話では、高句麗=遼東半島で、
そこから東南方向に(西朝鮮湾を)渡った所が倭国の筈だったがなぁ(笑)
百歩譲ってもせいぜい京機湾までで、38度線以南は『日本』と(大笑)
>仇台の時代は公孫度
それはこっちの台詞ですよ(笑) そしてトピック史観によると、その
当時には扶余国はどこにあったか分からない、と。ところで、遼東半島の
西の付け根に無理矢理公孫氏の同盟国“扶余国”を作って、その後
司馬懿に踏み潰されずに済む離れ業、思いつきましたか(大笑)?
>では、扶余「国」の王都と扶余「国」歴代王の証明ができるのかね?
私はあなたと違って「中原の東北にある強国 大扶余帝国」なんて夢想
してないもの。中国の史料を素直に読んで、「あぁ、そんな国あったん
ですか」くらいの認識かな?ま、アトランティスよりは信憑性があるかと。
>無いものは、前後の記載から推理するしかない。史書では、始祖仇台は
渤海に面した熊岳城が本拠城(以下略)
肝心のこの部分の史料、見せて下さいましたっけ?それに史料に仇台は
『嗣子』(意訳すれば王の跡取り)とありますが?親の名代として上京し、
あなたは否定しますが、『尉』なんていう下級士官の官位を貰ったという
事は、『親』の存在が前提と思いますが?
>遼東百済は麻余の推戴で分裂したからね
なら、国の呈をなしてないんじゃ?弱体化したところを公孫氏に攻め滅ぼ
されてもおかしくないし。むしろ同盟者公孫氏が推したならば、お家騒動
など起こる筈もないし。
>今回も、能書きばかりで何の反論も出来なかったね?反駁は、資料を基に
してね。(猛爆)
“史料”であり、トンデモ史家の戯言は、学説とは言えない。
じゃ、反駁代わりに、あなたの漢文読解能力をテストしよう。全てはあなた
の漢文に対する超絶解釈(読めないんだろうが)からだからね。
子之哭也 壱似重有憂者
上の文の前半を
>宣帝之平公孫氏也。 其女王遣使、至帶方朝見
同様断定形の短文として読み下し、且つ現代日本語訳せよ。出典が出て
くれば尚良し。
妄想の才能も、ここまで極めると素晴らしい(笑) その才能は空想小説か
何かに充てるべきで、歴史ではないですよ。もっとも世界標準で見たら、
韓国人の考える歴史自体が、学会も民間も想像の産物みたいなモン
だけど(笑)
>楽浪郡、帯方郡の官庁は、朝鮮半島の此処そこに存在したと、史書を
基に反論しないのかね?という事は、認めるわけかね?(猛爆)
意味不明だねぃ。以前百済の旧首都が「漢城」という名前であった事を
引き合いに出して、帯方郡治(郡庁?)はそこにあったんじゃ、という
私見を述べた筈だが?しかし、最初は「帯方郡なんかなかった」言って
いたのに、トピックさん、いつ宗旨替えしたの?自分でミスって私と
同じ事をいう文献を引っ張り出してから(大笑)?
>いつの間にか『倭国半島起源説』と妄想してるわけかね?
僕の論は、史書によると、倭人は福建省にも、鮮卑に攻められた倭国も
朝鮮半島南端にも倭国があったという話。貴方の足掻きで、話が横道に
それているだけでね。
ほぉ。じゃあ、今回ロングラン歴史漫談をやっている最初の最初を再掲して
みましょうか?
>日本に渡った半島人集団ですな。倭とも言いますね
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143582&tid=ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel&sid=1143582&mid=156328
この時点では、そんな事書いてないがなぁ。それと半島南端というのも、
今思いついて書いているし(笑) 初期の話では、高句麗=遼東半島で、
そこから東南方向に(西朝鮮湾を)渡った所が倭国の筈だったがなぁ(笑)
百歩譲ってもせいぜい京機湾までで、38度線以南は『日本』と(大笑)
>仇台の時代は公孫度
それはこっちの台詞ですよ(笑) そしてトピック史観によると、その
当時には扶余国はどこにあったか分からない、と。ところで、遼東半島の
西の付け根に無理矢理公孫氏の同盟国“扶余国”を作って、その後
司馬懿に踏み潰されずに済む離れ業、思いつきましたか(大笑)?
>では、扶余「国」の王都と扶余「国」歴代王の証明ができるのかね?
私はあなたと違って「中原の東北にある強国 大扶余帝国」なんて夢想
してないもの。中国の史料を素直に読んで、「あぁ、そんな国あったん
ですか」くらいの認識かな?ま、アトランティスよりは信憑性があるかと。
>無いものは、前後の記載から推理するしかない。史書では、始祖仇台は
渤海に面した熊岳城が本拠城(以下略)
肝心のこの部分の史料、見せて下さいましたっけ?それに史料に仇台は
『嗣子』(意訳すれば王の跡取り)とありますが?親の名代として上京し、
あなたは否定しますが、『尉』なんていう下級士官の官位を貰ったという
事は、『親』の存在が前提と思いますが?
>遼東百済は麻余の推戴で分裂したからね
なら、国の呈をなしてないんじゃ?弱体化したところを公孫氏に攻め滅ぼ
されてもおかしくないし。むしろ同盟者公孫氏が推したならば、お家騒動
など起こる筈もないし。
>今回も、能書きばかりで何の反論も出来なかったね?反駁は、資料を基に
してね。(猛爆)
“史料”であり、トンデモ史家の戯言は、学説とは言えない。
じゃ、反駁代わりに、あなたの漢文読解能力をテストしよう。全てはあなた
の漢文に対する超絶解釈(読めないんだろうが)からだからね。
子之哭也 壱似重有憂者
上の文の前半を
>宣帝之平公孫氏也。 其女王遣使、至帶方朝見
同様断定形の短文として読み下し、且つ現代日本語訳せよ。出典が出て
くれば尚良し。
これは メッセージ 156943 (topics_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/ffckdca4h4z9qa4n5doc0a4n9adbel_1/156964.html