Re: 百済と韓国は無関係?
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/19 20:51 投稿番号: [156806 / 230347]
>史書には国名や郡は書いてあっても港湾都市は書いていないね。
朝貢国の申告だからな
じゃあ勝手に朝貢を受けた側が、返礼をした時の旅程を記録したかの様な
ストーリーを作っちゃダメやん(笑)
>(扶余国が遼東半島にあった事を)否定してるから、下らん言い訳を
してるわけだろう?
しかし肯定したら、公孫度の勢力に完全に併呑され、“扶余国”やその王
なんてものは、2世紀末には滅びていなければならなくなる。離れていた
からこそ、遼東公孫氏の滅亡にも巻き込まれずに生き残れたんじゃ?
トピック史観では“同盟国”なんでしょ?今私の側は一旦相手の説に従い、
設定に無理がある、と言っている過程な訳で、物理的に扶余国が遼東半島
にあったか否かは、結論として導き出されれば良い事じゃないかな?
>「東では高句麗を討伐し、西は烏丸を撃破し、その威勢は国外まで行き
渡った(東伐高句驪、西撃烏丸、威行海外)」(『三国志魏書』公孫度伝)
まぁ“南”は海だから置いといて、東西とは戦っているが、“北”には
触れてない。この辺にヒントがあると思いますが。しかも扶余国が玄菟郡
管轄から意思をもって移動するという事は、中華と直接対峙しないまでも、
その意に沿わず周辺部族間の抗争を引き起こしながら、という事だろう。
この時点で差し押さえられた宗教上の宝物を諦め、王なり部族長が、先祖
供養と自らの死後の冥福をかなぐり捨てたという、古代人としては途轍も
ないルビコン川を越えた事になる。それとも、公孫度が露払いをしてくれ
て、扶余国王は戦わず悠々と物見遊山気分で南下したの(笑)?貸しでも
あった??
>尉=都尉(後の太守)の事だ。仇台は南宋仇氏を先祖に持つ
その解釈じゃ、仇台は穢族の流れをくむ扶余人じゃなくなるし(大笑)
宋って春秋時代の?えらくまぁ遠くまで(笑)
それと“尉”の解釈が大袈裟に過ぎると思うがね。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/2947/shiryou/kansyoku/kaisetsu.html
>『尉仇台』は、一体何歳のジジイだ(笑)?
トボけるなら続けよう。同一人物ならば、西暦120年頃十代前半だとして、
同180年頃に公孫度の一族の娘を嫁に娶るなら、「後期高齢者」だ(大笑)
息子もいなかった訳?血が途絶えてるやん(笑) 政略結婚なら極力効果が
長続きするよう、若い世代同士を娶(めあ)わせると思うけどな?むしろ
別人と解釈した方が楽だが、それだとトピック史観が成立しないか。
>扶余に移った四代依慮、五代依羅が朝貢する時に、先祖は公孫氏に帰属
していた訳だから、そう申告するわね
中華の冊封から外れて「先祖は公孫氏に帰属して」しまっては、既に王では
ないし、遼東工孫氏の反乱に連座して滅亡してますが(笑)?それに魏代に
謀反に加担した、なんて決して言わないと思う(笑) あくまで漢代末の
有力武将公孫氏が、中央の代理人であると信じ、反乱を起こす直前までは
心ならずも従った、と語るのが生き残りの良策。
>史書なるものは、100年位後に書かれるから、一緒くたになるのは致し方
ないね。それを読み解く力が有るか無いかの違いで解釈が違う。(猛爆)
まったくだよ、自分の言っている事がいかに支離滅裂か、やっと分かって
きたか。『帯方』という地名を勝手に無視したり、領土と先祖伝来の宝を
取り戻しておきながら王が「まるで亡命者のようだ」と言ったり、卑弥呼を
漢王室の末裔にしてみたり(猛爆)
>>ところで公孫度(公孫淵の三代前)と言えば、204年楽浪郡の南に
『帯方郡』を置いた人物でもあるんだが?
>204年に公孫度は死んでるね。(猛爆)
日本風に言えば、誰も正月早々死んだなんて書いてないぞ(猛爆)
>>『魏略』の「倭は帯方の東南、大海の中に在る。(中略)皆倭種」は、
どーするんだ?
>皆倭種で良いんじゃないの?朝鮮半島には倭人の国が沢山あったん
だろうよ。僕は其の事を言ってる訳だな
説明に窮したからって逃げるな(笑) 「帯方の東南、大海の中に在る」は
遼東半島=帯方でない限り、「大海」=黄海にはならん。そもそも沿岸を
手で掻(か)いて進むが如き状況を、大海とは言わん。
どうでも良いが、いつの間にか朝鮮半島全体が、トピックさんの脳内じゃ
倭族の領土になっちまったぞ(猛爆) じゃあ次は高句麗も巻き込んだ、
扶余族連合軍対倭族の全面戦争を、中韓の歴史書から捏造、いや引用して
貰おう(大笑) いや、新羅は日系の
朝貢国の申告だからな
じゃあ勝手に朝貢を受けた側が、返礼をした時の旅程を記録したかの様な
ストーリーを作っちゃダメやん(笑)
>(扶余国が遼東半島にあった事を)否定してるから、下らん言い訳を
してるわけだろう?
しかし肯定したら、公孫度の勢力に完全に併呑され、“扶余国”やその王
なんてものは、2世紀末には滅びていなければならなくなる。離れていた
からこそ、遼東公孫氏の滅亡にも巻き込まれずに生き残れたんじゃ?
トピック史観では“同盟国”なんでしょ?今私の側は一旦相手の説に従い、
設定に無理がある、と言っている過程な訳で、物理的に扶余国が遼東半島
にあったか否かは、結論として導き出されれば良い事じゃないかな?
>「東では高句麗を討伐し、西は烏丸を撃破し、その威勢は国外まで行き
渡った(東伐高句驪、西撃烏丸、威行海外)」(『三国志魏書』公孫度伝)
まぁ“南”は海だから置いといて、東西とは戦っているが、“北”には
触れてない。この辺にヒントがあると思いますが。しかも扶余国が玄菟郡
管轄から意思をもって移動するという事は、中華と直接対峙しないまでも、
その意に沿わず周辺部族間の抗争を引き起こしながら、という事だろう。
この時点で差し押さえられた宗教上の宝物を諦め、王なり部族長が、先祖
供養と自らの死後の冥福をかなぐり捨てたという、古代人としては途轍も
ないルビコン川を越えた事になる。それとも、公孫度が露払いをしてくれ
て、扶余国王は戦わず悠々と物見遊山気分で南下したの(笑)?貸しでも
あった??
>尉=都尉(後の太守)の事だ。仇台は南宋仇氏を先祖に持つ
その解釈じゃ、仇台は穢族の流れをくむ扶余人じゃなくなるし(大笑)
宋って春秋時代の?えらくまぁ遠くまで(笑)
それと“尉”の解釈が大袈裟に過ぎると思うがね。
http://www.geocities.co.jp/Playtown/2947/shiryou/kansyoku/kaisetsu.html
>『尉仇台』は、一体何歳のジジイだ(笑)?
トボけるなら続けよう。同一人物ならば、西暦120年頃十代前半だとして、
同180年頃に公孫度の一族の娘を嫁に娶るなら、「後期高齢者」だ(大笑)
息子もいなかった訳?血が途絶えてるやん(笑) 政略結婚なら極力効果が
長続きするよう、若い世代同士を娶(めあ)わせると思うけどな?むしろ
別人と解釈した方が楽だが、それだとトピック史観が成立しないか。
>扶余に移った四代依慮、五代依羅が朝貢する時に、先祖は公孫氏に帰属
していた訳だから、そう申告するわね
中華の冊封から外れて「先祖は公孫氏に帰属して」しまっては、既に王では
ないし、遼東工孫氏の反乱に連座して滅亡してますが(笑)?それに魏代に
謀反に加担した、なんて決して言わないと思う(笑) あくまで漢代末の
有力武将公孫氏が、中央の代理人であると信じ、反乱を起こす直前までは
心ならずも従った、と語るのが生き残りの良策。
>史書なるものは、100年位後に書かれるから、一緒くたになるのは致し方
ないね。それを読み解く力が有るか無いかの違いで解釈が違う。(猛爆)
まったくだよ、自分の言っている事がいかに支離滅裂か、やっと分かって
きたか。『帯方』という地名を勝手に無視したり、領土と先祖伝来の宝を
取り戻しておきながら王が「まるで亡命者のようだ」と言ったり、卑弥呼を
漢王室の末裔にしてみたり(猛爆)
>>ところで公孫度(公孫淵の三代前)と言えば、204年楽浪郡の南に
『帯方郡』を置いた人物でもあるんだが?
>204年に公孫度は死んでるね。(猛爆)
日本風に言えば、誰も正月早々死んだなんて書いてないぞ(猛爆)
>>『魏略』の「倭は帯方の東南、大海の中に在る。(中略)皆倭種」は、
どーするんだ?
>皆倭種で良いんじゃないの?朝鮮半島には倭人の国が沢山あったん
だろうよ。僕は其の事を言ってる訳だな
説明に窮したからって逃げるな(笑) 「帯方の東南、大海の中に在る」は
遼東半島=帯方でない限り、「大海」=黄海にはならん。そもそも沿岸を
手で掻(か)いて進むが如き状況を、大海とは言わん。
どうでも良いが、いつの間にか朝鮮半島全体が、トピックさんの脳内じゃ
倭族の領土になっちまったぞ(猛爆) じゃあ次は高句麗も巻き込んだ、
扶余族連合軍対倭族の全面戦争を、中韓の歴史書から捏造、いや引用して
貰おう(大笑) いや、新羅は日系の
これは メッセージ 156737 (topics_jk さん)への返信です.
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