Re: 百済と韓国は無関係?
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/10/17 01:35 投稿番号: [156632 / 230347]
>>憎まれ口だけは達者だが、議論の倭国の話はどうしたのかね?
>いや、他にも色々と達者なつもりだけど(笑)?特に「トピックさんの
『日本人半島起源説』を、聞いてあげるからちゃんと発表しなさいよ?」
と言ったら相手が色々と逃げをうつもんだから、それをいなしたり、
逆手に取ったり、正統派で返したり、七変化状態(笑)
倭人の国は、朝鮮半島だけでは無いからね。何もかも一緒くたにするから、正してるだけでね。(爆)
「後漢書」東夷伝には、「其地大較在会稽東冶之東、与朱崖若耳相近」とあり、
会稽は、現在の浙江省東部。
東冶都尉治は、福建省にあたる。朱崖若耳は、現在の海南島近辺。
鮮卑に攻められた倭人国等は、遼東辺りの海岸沿いだろうよ。朝鮮半島南部の倭では高句麗、百済若しくは三韓を打ち破らないと辿り着けないからな。(爆)
要するに、古代の中国では、海岸沿いの蛮族を、全て「倭」と呼んでいたと言うことだ。
従って、中国史書に出てくる「倭」を日本人とするならば、中国人、朝鮮人の子孫と言う事になる。
因みに、中国が日本列島を倭と認識するのは、遣随使を派遣してからの話。
>>No.156484の、どの箇所を指して読解力が可笑しいと言ってるのかね?
>読み下し文、解説付きで、問題のレスが「百済(またはトピック説によると
その前身の扶余(王)族の)放浪の記録となる」という主張と、まずい
翻訳を鵜呑みにし、更に意図的に原文だけを載せて誤魔化しそうとした
けど、実は誤訳を修正するだけの能力がないのは、トピックさんの方」
と立証しましたが(笑)?引用部は文意的にはハッピーエンドなのに、
取り戻した祖先の物と思っている城に立って
>>まるで亡命者のようだと言ってるわけだな
>は、ないでしょう(大笑)
麻余死、其子依慮年六歳、立以為王。漢時、夫餘王葬用玉匣、常豫以付玄菟郡、王死則迎取以葬。公孫淵伏誅、玄菟庫猶有玉匣一具。今夫餘庫有玉璧、珪、瓚數代之物、傳世以為寶、耆老言先代之所賜也①。其印文言「ワイ王之印」、國有故城名ワイ城、蓋本ワイ貊之地、而夫餘王其中、自謂「亡人」、抑有(似)〔以〕也②。
麻余が死に、その子の依慮(イロ)が六歳で王に立った。漢代、扶余王は葬祭に用いる玉匣(箱)を常に玄菟郡に預け、王の葬儀があれば取りに来た。公孫淵が誅伐されたとき、玄菟郡治の庫には、なお玉匣一具が保管されていた。今の扶余の庫には玉璧・珪・瓚など先祖伝来の遺物があり、伝家の家宝である。古老は、先祖が下賜された印璽には「ワイ王之印」と彫られているという。国内に故城あり、名をワイ城というワイ貊の故地で、扶余王はワイ城にいると、まるで亡命者のようだと言った。そもそも有りえる話である
↑
の訳の何処が可笑しいのかね?
>しかもトピック引用部には、流浪の記述なんて一切ない。
流浪の記録は自説だが?反論があればその箇所を示せば如何かね?(爆)
>>百済(三韓含む)は、倭国の位置を特定するために参考にしているだけ
だからね
>特定出来てないやん。場所も、そこを離れざるをえなかった理由も??
鮮卑に攻められた倭国はどうしたのかね?
関係のない話ばかり書き込むね?(猛爆)
>>僕は、後漢書鮮卑伝の記述を元に、鮮卑に攻められた倭国は大陸側に
存在したと言っている。ならば、鮮卑に攻められた倭国は何処に
在ったと証明すべきは貴方の方。(爆)
>コピペしてくれた、私の発言を良く読みましょうね。
>>むしろ「大陸に倭国があったのかね?」だろうね。「倭人=倭国の人間=
後の日本人」と、単に同じ漢字が当てられているから決めつけるのか(笑)?
>(猛爆)←笑。
同一であると、まず決めつける理由をどうぞ?まさかホントに「字が同じ
だから」だけじゃ、ないでしょ(笑)?
なら、中国史記の三国志、後漢書、宋書に出てくる倭は、現在で言うところの中国朝鮮だと認めるわけだな?(猛爆)
>>高句麗から倭国に行く航路の話を、博識を辞任しながら歪曲しか出来ない
ようでは、如何なものかと思うがね?(猛爆)
>既に訂正をされ、私自身はは細々した誤字脱字を面倒で放置しているから、
「辞任」は「自認」と了承しますし、別に自分の散漫な好奇心を博識とも
思ってないが、少なくとも原文を補正して読む甲斐性があり、全参加者の
皆様に向かってそう思う理由を示すだけの気概の持ち主である事は、
№156534が証明していると思うけど?
「辞任」の訂正は、投稿156546でしてあるが?
憎まれ口しか叩けないとは、終わってるね。(猛爆)
>いや、他にも色々と達者なつもりだけど(笑)?特に「トピックさんの
『日本人半島起源説』を、聞いてあげるからちゃんと発表しなさいよ?」
と言ったら相手が色々と逃げをうつもんだから、それをいなしたり、
逆手に取ったり、正統派で返したり、七変化状態(笑)
倭人の国は、朝鮮半島だけでは無いからね。何もかも一緒くたにするから、正してるだけでね。(爆)
「後漢書」東夷伝には、「其地大較在会稽東冶之東、与朱崖若耳相近」とあり、
会稽は、現在の浙江省東部。
東冶都尉治は、福建省にあたる。朱崖若耳は、現在の海南島近辺。
鮮卑に攻められた倭人国等は、遼東辺りの海岸沿いだろうよ。朝鮮半島南部の倭では高句麗、百済若しくは三韓を打ち破らないと辿り着けないからな。(爆)
要するに、古代の中国では、海岸沿いの蛮族を、全て「倭」と呼んでいたと言うことだ。
従って、中国史書に出てくる「倭」を日本人とするならば、中国人、朝鮮人の子孫と言う事になる。
因みに、中国が日本列島を倭と認識するのは、遣随使を派遣してからの話。
>>No.156484の、どの箇所を指して読解力が可笑しいと言ってるのかね?
>読み下し文、解説付きで、問題のレスが「百済(またはトピック説によると
その前身の扶余(王)族の)放浪の記録となる」という主張と、まずい
翻訳を鵜呑みにし、更に意図的に原文だけを載せて誤魔化しそうとした
けど、実は誤訳を修正するだけの能力がないのは、トピックさんの方」
と立証しましたが(笑)?引用部は文意的にはハッピーエンドなのに、
取り戻した祖先の物と思っている城に立って
>>まるで亡命者のようだと言ってるわけだな
>は、ないでしょう(大笑)
麻余死、其子依慮年六歳、立以為王。漢時、夫餘王葬用玉匣、常豫以付玄菟郡、王死則迎取以葬。公孫淵伏誅、玄菟庫猶有玉匣一具。今夫餘庫有玉璧、珪、瓚數代之物、傳世以為寶、耆老言先代之所賜也①。其印文言「ワイ王之印」、國有故城名ワイ城、蓋本ワイ貊之地、而夫餘王其中、自謂「亡人」、抑有(似)〔以〕也②。
麻余が死に、その子の依慮(イロ)が六歳で王に立った。漢代、扶余王は葬祭に用いる玉匣(箱)を常に玄菟郡に預け、王の葬儀があれば取りに来た。公孫淵が誅伐されたとき、玄菟郡治の庫には、なお玉匣一具が保管されていた。今の扶余の庫には玉璧・珪・瓚など先祖伝来の遺物があり、伝家の家宝である。古老は、先祖が下賜された印璽には「ワイ王之印」と彫られているという。国内に故城あり、名をワイ城というワイ貊の故地で、扶余王はワイ城にいると、まるで亡命者のようだと言った。そもそも有りえる話である
↑
の訳の何処が可笑しいのかね?
>しかもトピック引用部には、流浪の記述なんて一切ない。
流浪の記録は自説だが?反論があればその箇所を示せば如何かね?(爆)
>>百済(三韓含む)は、倭国の位置を特定するために参考にしているだけ
だからね
>特定出来てないやん。場所も、そこを離れざるをえなかった理由も??
鮮卑に攻められた倭国はどうしたのかね?
関係のない話ばかり書き込むね?(猛爆)
>>僕は、後漢書鮮卑伝の記述を元に、鮮卑に攻められた倭国は大陸側に
存在したと言っている。ならば、鮮卑に攻められた倭国は何処に
在ったと証明すべきは貴方の方。(爆)
>コピペしてくれた、私の発言を良く読みましょうね。
>>むしろ「大陸に倭国があったのかね?」だろうね。「倭人=倭国の人間=
後の日本人」と、単に同じ漢字が当てられているから決めつけるのか(笑)?
>(猛爆)←笑。
同一であると、まず決めつける理由をどうぞ?まさかホントに「字が同じ
だから」だけじゃ、ないでしょ(笑)?
なら、中国史記の三国志、後漢書、宋書に出てくる倭は、現在で言うところの中国朝鮮だと認めるわけだな?(猛爆)
>>高句麗から倭国に行く航路の話を、博識を辞任しながら歪曲しか出来ない
ようでは、如何なものかと思うがね?(猛爆)
>既に訂正をされ、私自身はは細々した誤字脱字を面倒で放置しているから、
「辞任」は「自認」と了承しますし、別に自分の散漫な好奇心を博識とも
思ってないが、少なくとも原文を補正して読む甲斐性があり、全参加者の
皆様に向かってそう思う理由を示すだけの気概の持ち主である事は、
№156534が証明していると思うけど?
「辞任」の訂正は、投稿156546でしてあるが?
憎まれ口しか叩けないとは、終わってるね。(猛爆)
これは メッセージ 156627 (qapla_jup さん)への返信です.
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