Re: 百済と韓国は無関係?
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/15 22:53 投稿番号: [156534 / 230347]
さて、パート2。
・“古代人は世界地図のおねしょをするか?”
古代中国人に正確な東アジアの地図を思い描く事が可能か?答えは間違い
なくNOです。正確な測量に基づく地図もないのに出来る訳がない。例えば
樺太は19世紀初頭に間宮林蔵によって島である事が“発見”されます。
近代でさえこの有様です。更に古代中国思想的には、蓬莱だの崑崙だの、
須弥山だの東勝神州の花果山だの(笑)、想像上の土地も多いのです。
これらが虚実入り混じって頭の中にあった。それなのに、ほぼ間違いなく
行った事もない人間が書き、生涯行く事のない読者に正確な地勢が把握
出来る筈もない。ネット地図だのストリートビューだのを使う現代の
我々ですら、隣町の細部と距離感覚でさえ頭に浮かばない。という事は、
古代中国における地理感覚はどうなるか?「聞き覚えのある地名と華夷
秩序的序列、とにかく遠い(例:「千里」)」という表現に頼ったものに
なるのです。何しろ「中原こそが世界の中心で、それ以外は『化外の地』、
離れるほどに野蛮さは増すが皇帝の徳を慕って朝貢に来る分には付き合って
やろう」というのが、中華思考。『宋書』当時ならば南北朝時代ですから、
宋(もしくは『南朝人』)の視点では「北方の中華を僭称する敵国『北魏』
の先に高句麗という田舎国家があり、その高句麗よりもはるか遠くの
“東南”、つまり『東夷』グループに属する南の方に、自らを“ワ”と
称する国がある」という事なのですね。実は方位以外に中華基準での
『開化度』も加わっているのであって、必ずしも旅程を意味しない。
「旅行記」でも、「そこに行ってやる」前提でもないから。これが倭国直行
ルートを書くとどうなるか?華夷秩序における「格付け」がなく混乱する
ばかりか、「…蓬莱?」となってしまい、当時なりの合理性に基づいている
訳です。実際当時の『中華』からすれば、「日出づる」方向にあり、
「四神」(=四獣)思想の東方のシンボルであり、皇帝位のそれでもある
『龍』とも簡単に結びつく方向に浮かぶ島国の表現には苦労したでしょう。
これで当時から大国だったらシャレにならん(笑) 史料の言葉尻ばかりを
捉えていると、「昔の人が、その時の感覚と意識で書いたもの」である事実
を忘れがちですがね。
・仮説として通用する『倭国』の朝鮮半島時代とその所在、且つ日本移住
時期を明示せよ
明確なお考えがあるならば、書くべきでしょう。それともない?実は
トピックさんから「邪馬台国は朝鮮半島にあった」という珍言を獲る事を
狙って仕向けていたのですが、そういう本を書いたらしい山形明郷氏
(あ、故人なんだ)とかいう“在野のアマチュア研究者”と論争した事が
あるというトピックさんは、そう言ったも同然か(笑) ですが既に書いた
様に、そうなると、日本列島移住の時期とその原因が重要になる、という
より最初から理由なしでそんな事は起こりません。あるとすれば敗戦、
しかもその相手は百済か、その前身以外にない。伽耶相手ならば後年半島に
戻ってきた際、伽耶を征服してしまった事でしょう。しかし正史では百済・
伽耶共に日本の友好国で、後者などは日本が諸国連合の盟主であった可能性
さえありましょう。移住せねばならない理由がない。
・“古代人は世界地図のおねしょをするか?”
古代中国人に正確な東アジアの地図を思い描く事が可能か?答えは間違い
なくNOです。正確な測量に基づく地図もないのに出来る訳がない。例えば
樺太は19世紀初頭に間宮林蔵によって島である事が“発見”されます。
近代でさえこの有様です。更に古代中国思想的には、蓬莱だの崑崙だの、
須弥山だの東勝神州の花果山だの(笑)、想像上の土地も多いのです。
これらが虚実入り混じって頭の中にあった。それなのに、ほぼ間違いなく
行った事もない人間が書き、生涯行く事のない読者に正確な地勢が把握
出来る筈もない。ネット地図だのストリートビューだのを使う現代の
我々ですら、隣町の細部と距離感覚でさえ頭に浮かばない。という事は、
古代中国における地理感覚はどうなるか?「聞き覚えのある地名と華夷
秩序的序列、とにかく遠い(例:「千里」)」という表現に頼ったものに
なるのです。何しろ「中原こそが世界の中心で、それ以外は『化外の地』、
離れるほどに野蛮さは増すが皇帝の徳を慕って朝貢に来る分には付き合って
やろう」というのが、中華思考。『宋書』当時ならば南北朝時代ですから、
宋(もしくは『南朝人』)の視点では「北方の中華を僭称する敵国『北魏』
の先に高句麗という田舎国家があり、その高句麗よりもはるか遠くの
“東南”、つまり『東夷』グループに属する南の方に、自らを“ワ”と
称する国がある」という事なのですね。実は方位以外に中華基準での
『開化度』も加わっているのであって、必ずしも旅程を意味しない。
「旅行記」でも、「そこに行ってやる」前提でもないから。これが倭国直行
ルートを書くとどうなるか?華夷秩序における「格付け」がなく混乱する
ばかりか、「…蓬莱?」となってしまい、当時なりの合理性に基づいている
訳です。実際当時の『中華』からすれば、「日出づる」方向にあり、
「四神」(=四獣)思想の東方のシンボルであり、皇帝位のそれでもある
『龍』とも簡単に結びつく方向に浮かぶ島国の表現には苦労したでしょう。
これで当時から大国だったらシャレにならん(笑) 史料の言葉尻ばかりを
捉えていると、「昔の人が、その時の感覚と意識で書いたもの」である事実
を忘れがちですがね。
・仮説として通用する『倭国』の朝鮮半島時代とその所在、且つ日本移住
時期を明示せよ
明確なお考えがあるならば、書くべきでしょう。それともない?実は
トピックさんから「邪馬台国は朝鮮半島にあった」という珍言を獲る事を
狙って仕向けていたのですが、そういう本を書いたらしい山形明郷氏
(あ、故人なんだ)とかいう“在野のアマチュア研究者”と論争した事が
あるというトピックさんは、そう言ったも同然か(笑) ですが既に書いた
様に、そうなると、日本列島移住の時期とその原因が重要になる、という
より最初から理由なしでそんな事は起こりません。あるとすれば敗戦、
しかもその相手は百済か、その前身以外にない。伽耶相手ならば後年半島に
戻ってきた際、伽耶を征服してしまった事でしょう。しかし正史では百済・
伽耶共に日本の友好国で、後者などは日本が諸国連合の盟主であった可能性
さえありましょう。移住せねばならない理由がない。
これは メッセージ 156533 (qapla_jup さん)への返信です.
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