Re: 百済と韓国は無関係?
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/10/12 19:36 投稿番号: [156442 / 230347]
>(1)遼東半島は元々高句麗領ではなかったので、新領土を倭国との位置
関係を語る際の基点にするには、やはり無理があります
http://www.moonover.jp/2goukan/ohter/korea/map1.htm
>(2)百済の遼河西岸領有を考えると、お互いに飛び地的領土だったのか、
百済は海上交通を駆使して高句麗に対抗したのか?どのみち「属州」
である前提で史料を見ないと訳が分からなくなります
始祖:仇台の建国した百済は、
「百濟國,本與高驪倶在遼東之東千餘里,其後高驪略有遼東,百濟略有
遼西。百濟所治,謂之晉平郡晉平縣」の通り。
仇台の本拠城である熊津城(現:熊岳城、中国遼寧省蓋県海城市熊岳城鎮)は、遼東半島に存在した。
仇台は、敵対していた公孫度と和睦、公孫度の娘を娶り連合、公孫度の幕下で、高句麗の侵攻を撃退し、逆に高句麗に攻め込む等して勢力を拡大し、遼東半島の遼西・晋平二郡(現在の中国遼寧省海城市以南から河北省廬龍県の間)を支配、遼東半島に仇台国(百済)を建国し始祖となった。2代簡位居(189〜190)の後、簡位居が無嫡子だった為、後継として諸加(重臣)が庶子の麻余(190〜234)を3代王として推したが、台頭してきた魏に、遼東半島から瀋陽以北東扶余奥深くまで追い出され、麻余は自決し仇台国が滅亡、諸加らが麻余の遺児依慮を立て、国の復興を魏の斉王に嘆願し、麻余の遺児で6歳の4代依慮(234〜286)が、魏の斉王の取り成しで、240年、高句麗から東扶余の一部を割譲され、火列国(石炭の産地であった。払涅国ともいう。)を興したが、鮮卑慕容廆に攻められ依慮は東遼河から海に逃れたが、行方不明となり火列国は滅亡した。(入水死説と日本に逃亡説の二説あり。)その後、西晋の庇護の下で、288年に5代依羅が吉林省に依羅国を建国したが、またもや前燕始祖慕容廆に攻められ290年滅亡した。
5代依羅の子孫が、近肖古王で、依羅国の残党等と新天地を求め、346年遼河を大船団で下り、遼東湾から大連を迂回して楽浪海を渡り、朝鮮半島に進出(世に云う百家済海)馬韓を制圧し朝鮮半島に百済を建国した。(百済の国号の由来と言われている。)
>(3)この一文だけを解釈すると、やはりタイトル通り「百済と韓国は
無関係」となります。従って既存の前提を他者の側だけ都合よく
覆し、自らの前提はそのままというのは、不当なやり方と言わねば
なりません
無関係にしたいだけね。(笑)
>(4)しかしながら高句麗・新羅・百済はとうの昔にこの地上になく、
倭国と日本は(一応)連続した歴史を標榜している為、島国に住む
日本人が1500年以上前の事を持ち出す事は許容されても、大陸と
地続きで、過去複数の国が出来ては滅びた地域に住む、直系のルーツ
があいまいな韓国人が、歴史を良いトコ取りしようとするのはダメ
です。むしろ「日本人」の成り立ちの方が特殊なんでしょうが
血統的に日本人は、中国、朝鮮系が50%
http://www.kumanolife.com/History/dna.html
>(5)念の為、私自身が「血統書つきの純度百%の日本人」であるなんて
事は主張しません。ですが「外部の血」(DNA)は交配により
薄まります。所詮「歴史は物語」であり、遺伝学とは別物です。
しかし属する文化面と帰属感とでは、私は間違いなく「日本人」
何も否定はしておりませんが?
関係を語る際の基点にするには、やはり無理があります
http://www.moonover.jp/2goukan/ohter/korea/map1.htm
>(2)百済の遼河西岸領有を考えると、お互いに飛び地的領土だったのか、
百済は海上交通を駆使して高句麗に対抗したのか?どのみち「属州」
である前提で史料を見ないと訳が分からなくなります
始祖:仇台の建国した百済は、
「百濟國,本與高驪倶在遼東之東千餘里,其後高驪略有遼東,百濟略有
遼西。百濟所治,謂之晉平郡晉平縣」の通り。
仇台の本拠城である熊津城(現:熊岳城、中国遼寧省蓋県海城市熊岳城鎮)は、遼東半島に存在した。
仇台は、敵対していた公孫度と和睦、公孫度の娘を娶り連合、公孫度の幕下で、高句麗の侵攻を撃退し、逆に高句麗に攻め込む等して勢力を拡大し、遼東半島の遼西・晋平二郡(現在の中国遼寧省海城市以南から河北省廬龍県の間)を支配、遼東半島に仇台国(百済)を建国し始祖となった。2代簡位居(189〜190)の後、簡位居が無嫡子だった為、後継として諸加(重臣)が庶子の麻余(190〜234)を3代王として推したが、台頭してきた魏に、遼東半島から瀋陽以北東扶余奥深くまで追い出され、麻余は自決し仇台国が滅亡、諸加らが麻余の遺児依慮を立て、国の復興を魏の斉王に嘆願し、麻余の遺児で6歳の4代依慮(234〜286)が、魏の斉王の取り成しで、240年、高句麗から東扶余の一部を割譲され、火列国(石炭の産地であった。払涅国ともいう。)を興したが、鮮卑慕容廆に攻められ依慮は東遼河から海に逃れたが、行方不明となり火列国は滅亡した。(入水死説と日本に逃亡説の二説あり。)その後、西晋の庇護の下で、288年に5代依羅が吉林省に依羅国を建国したが、またもや前燕始祖慕容廆に攻められ290年滅亡した。
5代依羅の子孫が、近肖古王で、依羅国の残党等と新天地を求め、346年遼河を大船団で下り、遼東湾から大連を迂回して楽浪海を渡り、朝鮮半島に進出(世に云う百家済海)馬韓を制圧し朝鮮半島に百済を建国した。(百済の国号の由来と言われている。)
>(3)この一文だけを解釈すると、やはりタイトル通り「百済と韓国は
無関係」となります。従って既存の前提を他者の側だけ都合よく
覆し、自らの前提はそのままというのは、不当なやり方と言わねば
なりません
無関係にしたいだけね。(笑)
>(4)しかしながら高句麗・新羅・百済はとうの昔にこの地上になく、
倭国と日本は(一応)連続した歴史を標榜している為、島国に住む
日本人が1500年以上前の事を持ち出す事は許容されても、大陸と
地続きで、過去複数の国が出来ては滅びた地域に住む、直系のルーツ
があいまいな韓国人が、歴史を良いトコ取りしようとするのはダメ
です。むしろ「日本人」の成り立ちの方が特殊なんでしょうが
血統的に日本人は、中国、朝鮮系が50%
http://www.kumanolife.com/History/dna.html
>(5)念の為、私自身が「血統書つきの純度百%の日本人」であるなんて
事は主張しません。ですが「外部の血」(DNA)は交配により
薄まります。所詮「歴史は物語」であり、遺伝学とは別物です。
しかし属する文化面と帰属感とでは、私は間違いなく「日本人」
何も否定はしておりませんが?
これは メッセージ 156432 (qapla_jup さん)への返信です.
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