Re: 百済と韓国は無関係?
投稿者: qapla_jup 投稿日時: 2009/10/12 10:49 投稿番号: [156432 / 230347]
宋書
百済伝:
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kudara-kanbun5-sosho.htm
>百濟國,本與高驪倶在遼東之東千餘里,其後高驪略有遼東,百濟略有
遼西。百濟所治,謂之晉平郡晉平縣
↓
>百済国、本は高句麗とともに遼東の東に千余里に在ったが、その後、
高句麗が遼東を略有すると、百済は遼西を略有した。百済の治する所は、
言うところでは晋平郡晋平県
↓
百済は元々高句麗と共に遼河の東にある遼東半島のそのまた東にあったが、
その後高句麗が遼東(半島を)領有する様になると、百済は遼河西岸を領有
した。その領土は(朝貢使の)言うところでは晋平郡晋平県に当たる
ここで
(1)遼東半島は元々高句麗領ではなかったので、新領土を倭国との位置
関係を語る際の基点にするには、やはり無理があります
(2)百済の遼河西岸領有を考えると、お互いに飛び地的領土だったのか、
百済は海上交通を駆使して高句麗に対抗したのか?どのみち「属州」
である前提で史料を見ないと訳が分からなくなります
(3)この一文だけを解釈すると、やはりタイトル通り「百済と韓国は
無関係」となります。従って既存の前提を他者の側だけ都合よく
覆し、自らの前提はそのままというのは、不当なやり方と言わねば
なりません
(4)しかしながら高句麗・新羅・百済はとうの昔にこの地上になく、
倭国と日本は(一応)連続した歴史を標榜している為、島国に住む
日本人が1500年以上前の事を持ち出す事は許容されても、大陸と
地続きで、過去複数の国が出来ては滅びた地域に住む、直系のルーツ
があいまいな韓国人が、歴史を良いトコ取りしようとするのはダメ
です。むしろ「日本人」の成り立ちの方が特殊なんでしょうが
(5)念の為、私自身が「血統書つきの純度百%の日本人」であるなんて
事は主張しません。ですが「外部の血」(DNA)は交配により
薄まります。所詮「歴史は物語」であり、遺伝学とは別物です。
しかし属する文化面と帰属感とでは、私は間違いなく「日本人」
本題に戻りますが、『宋書 倭国伝』にはこういうくだりもありますよね?
>順帝昇明二年(478年)、遣使が上表して曰く「封国は残念ながら遠く、
藩を外に作り、(中略)。東に毛人を征すること五十五国、西に衆夷を
服すること六十六国、(海を)渡り海北を平定すること九十五国。
(中略)道を百済に直行し、船舶を装備する。
「藩を外に作り(作藩于外)」「渡り海北を平定すること九十五国(渡平
海北九十五国)」「道を百済に直行し、船舶を装備する(道逕百濟、裝治
船舫)」。つまり、「倭国が朝鮮半島にあった場合、高句麗・新羅・百済は
その周辺にあった小国に過ぎず、更に飛び地領を有し、周辺を破竹の勢いで
併呑していった倭国に対し、(近過ぎて意味がないから)百済は文献にある
遼河西岸の属州も半ば差し出していた」。
>詔を以て武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国
諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した(詔除武使持節、都督倭新羅任那
加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王)
要するに、中華にとっては東方の田舎国家達なんかどうでも良いから、
朝貢してきて王を冊封した高句麗と倭の間の地域は、オマエの好きにして
良し、というお墨付きを与えたストーリーに沿って、朝鮮半島(の
南半分?)が「存在しない」かの様に扱われているだけなんじゃ、
ないですかねぇ?
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun7-sosho.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kudara-kanbun5-sosho.htm
>百濟國,本與高驪倶在遼東之東千餘里,其後高驪略有遼東,百濟略有
遼西。百濟所治,謂之晉平郡晉平縣
↓
>百済国、本は高句麗とともに遼東の東に千余里に在ったが、その後、
高句麗が遼東を略有すると、百済は遼西を略有した。百済の治する所は、
言うところでは晋平郡晋平県
↓
百済は元々高句麗と共に遼河の東にある遼東半島のそのまた東にあったが、
その後高句麗が遼東(半島を)領有する様になると、百済は遼河西岸を領有
した。その領土は(朝貢使の)言うところでは晋平郡晋平県に当たる
ここで
(1)遼東半島は元々高句麗領ではなかったので、新領土を倭国との位置
関係を語る際の基点にするには、やはり無理があります
(2)百済の遼河西岸領有を考えると、お互いに飛び地的領土だったのか、
百済は海上交通を駆使して高句麗に対抗したのか?どのみち「属州」
である前提で史料を見ないと訳が分からなくなります
(3)この一文だけを解釈すると、やはりタイトル通り「百済と韓国は
無関係」となります。従って既存の前提を他者の側だけ都合よく
覆し、自らの前提はそのままというのは、不当なやり方と言わねば
なりません
(4)しかしながら高句麗・新羅・百済はとうの昔にこの地上になく、
倭国と日本は(一応)連続した歴史を標榜している為、島国に住む
日本人が1500年以上前の事を持ち出す事は許容されても、大陸と
地続きで、過去複数の国が出来ては滅びた地域に住む、直系のルーツ
があいまいな韓国人が、歴史を良いトコ取りしようとするのはダメ
です。むしろ「日本人」の成り立ちの方が特殊なんでしょうが
(5)念の為、私自身が「血統書つきの純度百%の日本人」であるなんて
事は主張しません。ですが「外部の血」(DNA)は交配により
薄まります。所詮「歴史は物語」であり、遺伝学とは別物です。
しかし属する文化面と帰属感とでは、私は間違いなく「日本人」
本題に戻りますが、『宋書 倭国伝』にはこういうくだりもありますよね?
>順帝昇明二年(478年)、遣使が上表して曰く「封国は残念ながら遠く、
藩を外に作り、(中略)。東に毛人を征すること五十五国、西に衆夷を
服すること六十六国、(海を)渡り海北を平定すること九十五国。
(中略)道を百済に直行し、船舶を装備する。
「藩を外に作り(作藩于外)」「渡り海北を平定すること九十五国(渡平
海北九十五国)」「道を百済に直行し、船舶を装備する(道逕百濟、裝治
船舫)」。つまり、「倭国が朝鮮半島にあった場合、高句麗・新羅・百済は
その周辺にあった小国に過ぎず、更に飛び地領を有し、周辺を破竹の勢いで
併呑していった倭国に対し、(近過ぎて意味がないから)百済は文献にある
遼河西岸の属州も半ば差し出していた」。
>詔を以て武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国
諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した(詔除武使持節、都督倭新羅任那
加羅秦韓慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王)
要するに、中華にとっては東方の田舎国家達なんかどうでも良いから、
朝貢してきて王を冊封した高句麗と倭の間の地域は、オマエの好きにして
良し、というお墨付きを与えたストーリーに沿って、朝鮮半島(の
南半分?)が「存在しない」かの様に扱われているだけなんじゃ、
ないですかねぇ?
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun7-sosho.htm
これは メッセージ 156426 (topics_jk さん)への返信です.
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