Re: 従軍慰安婦について
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2009/08/14 12:02 投稿番号: [153998 / 230347]
>>従軍看護婦の募集に応じただけで、慰安婦としての説明を受けていない。即ち偽りの募集。
>お前は文章が読めない馬鹿なのか?それとも都合の悪い部分は意図して無視しているのか?(笑)下の引用を良く読め!
>1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
上記の文面を読めば、単なる看護婦の募集ではなく「慰安役務」となっている。簡単な看護以外、普通、将兵を喜ばせる仕事と言えば、芸ごとか体を売る以外想像できない筈だろ?だから偽りの募集とは言えないね。<
「それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、」=従軍看護婦だろうが。(爆)
それに、慰安役務が慰安婦との解釈になるのかね?
「慰安とは、[名](スル)心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄。「従業員を―する」「―旅行」
↑
戦時中の軍隊にスターが訪問して、音楽や、歌劇で兵を慰安して喜ばせている。所謂「慰安役務」だな。
1944年に入れば、慰安婦募集の広告が資料として存在するから、このケースは性的役務と承知で募集しているので自己責任という事になるが、お前の提示した資料のケースは、楼主も慰安婦も従軍看護婦の募集ということで証言が一致しているから、言い逃れが出来ないケース。(爆)
>>報酬および生活状態
>>慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
>性の奴隷どころか拒否する権利を認められたとある。
近衛師団の通信隊の近くに設置された慰安所では、募集に応募してきた女性が「予想が狂って悲鳴をあげ」拒否してしまったのに対して、その女性の手足をベットに縛りつけて、強要したことがあった。
総山孝雄『南海のあけぼの』叢文社、1983年。150〜151ページ。
>尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気配りすように十分な訓練を受けていた。
>お前のイメージする過酷な条件下にも関わらず、慰安婦の健康状態は良好であったと書いてあるが?これのどこが性の奴隷状態だったのかね?(爆笑)
慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。
↑
健康が良好でも、兵士が行列をなしていたわけだろうが?
三擦り半の瞬出しが多ければ、数はこなせるだろうが、過酷な性の奴隷であることには変わりが無い。
因みに、前投稿の一日50〜60円稼ぐには何人相手にしなければならないかはスルーかね?
簡単に説明しておいてやる。「慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていた」とあるから
一部隊を慰安婦一人で一人ずつ順番に相手をしたとして、
中隊長1人に小隊長4人、下士官18人、兵180人。
将校5人×5円=25円
下士官18人×3円=54円
兵180人×1.5円=270円
1部隊1人1回で総額349円の売り上げとなる。
休みなしで1日50円稼ぐには、7日間で203人相手にしなければならないから一日29人。
週1日休みを取って1日60円稼ぐには、5.8日で203人相手することになるから、35人も相手をしなければならない。完璧に過酷な性の奴隷だろうが?
>兵士たちの反応
>慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいるところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうである。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった。
やさしい心の持ち主も大勢いたろうよ。慰安婦も結婚することにより、地獄から脱出できるなら、結婚申し込みは喜んで受けたろうよ。しかし、除隊しない限り結婚しても慰安婦を連れて帰れないから、結婚した慰安婦の扱いはどうなったのか知りたいね。
「心だけは貴方のものよ」だけで、そのまま慰安婦を続けていたなら、結婚などなんの意味も無い。互いに生きる為の、心の支えにはなったかも知れないがな。
>お前は文章が読めない馬鹿なのか?それとも都合の悪い部分は意図して無視しているのか?(笑)下の引用を良く読め!
>1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。
上記の文面を読めば、単なる看護婦の募集ではなく「慰安役務」となっている。簡単な看護以外、普通、将兵を喜ばせる仕事と言えば、芸ごとか体を売る以外想像できない筈だろ?だから偽りの募集とは言えないね。<
「それは病院にいる負傷兵を見舞い、包帯を巻いてやり、」=従軍看護婦だろうが。(爆)
それに、慰安役務が慰安婦との解釈になるのかね?
「慰安とは、[名](スル)心をなぐさめ、労をねぎらうこと。また、そのような事柄。「従業員を―する」「―旅行」
↑
戦時中の軍隊にスターが訪問して、音楽や、歌劇で兵を慰安して喜ばせている。所謂「慰安役務」だな。
1944年に入れば、慰安婦募集の広告が資料として存在するから、このケースは性的役務と承知で募集しているので自己責任という事になるが、お前の提示した資料のケースは、楼主も慰安婦も従軍看護婦の募集ということで証言が一致しているから、言い逃れが出来ないケース。(爆)
>>報酬および生活状態
>>慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。
>性の奴隷どころか拒否する権利を認められたとある。
近衛師団の通信隊の近くに設置された慰安所では、募集に応募してきた女性が「予想が狂って悲鳴をあげ」拒否してしまったのに対して、その女性の手足をベットに縛りつけて、強要したことがあった。
総山孝雄『南海のあけぼの』叢文社、1983年。150〜151ページ。
>尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気配りすように十分な訓練を受けていた。
>お前のイメージする過酷な条件下にも関わらず、慰安婦の健康状態は良好であったと書いてあるが?これのどこが性の奴隷状態だったのかね?(爆笑)
慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。
↑
健康が良好でも、兵士が行列をなしていたわけだろうが?
三擦り半の瞬出しが多ければ、数はこなせるだろうが、過酷な性の奴隷であることには変わりが無い。
因みに、前投稿の一日50〜60円稼ぐには何人相手にしなければならないかはスルーかね?
簡単に説明しておいてやる。「慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていた」とあるから
一部隊を慰安婦一人で一人ずつ順番に相手をしたとして、
中隊長1人に小隊長4人、下士官18人、兵180人。
将校5人×5円=25円
下士官18人×3円=54円
兵180人×1.5円=270円
1部隊1人1回で総額349円の売り上げとなる。
休みなしで1日50円稼ぐには、7日間で203人相手にしなければならないから一日29人。
週1日休みを取って1日60円稼ぐには、5.8日で203人相手することになるから、35人も相手をしなければならない。完璧に過酷な性の奴隷だろうが?
>兵士たちの反応
>慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいるところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうである。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった。
やさしい心の持ち主も大勢いたろうよ。慰安婦も結婚することにより、地獄から脱出できるなら、結婚申し込みは喜んで受けたろうよ。しかし、除隊しない限り結婚しても慰安婦を連れて帰れないから、結婚した慰安婦の扱いはどうなったのか知りたいね。
「心だけは貴方のものよ」だけで、そのまま慰安婦を続けていたなら、結婚などなんの意味も無い。互いに生きる為の、心の支えにはなったかも知れないがな。
これは メッセージ 153979 (azusa2008jp さん)への返信です.
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