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Re: 小田原攻めも知らん韓国人マーク

投稿者: rie2376 投稿日時: 2009/08/14 11:28 投稿番号: [153997 / 230347]
糞ボケが一人前の能書きを垂れとる
小田原は秀吉の兵糧攻めで降服した

これも立派な開戦だろう、多くの
大名が参戦し、小競り合いも
多かった

間抜けは、私が以前書いたこれでも読め

       百万石の夢

天正十八年三月   二十万の大軍を率いて
小田原に向かう秀吉は機嫌が良かった

傍に控える家康に

のう、浜松殿、小田原の次は
いよいよ伊達じゃな

如何にも、正宗という御仁
若いが仲々の者とか

ほう、それは一度会ってみたいものじゃ

山崎の合戦において、光秀を討ち果たした
秀吉はその後も勢力を強め、次第に天下を
手中にしていった

九州平定を終え、今や意に従わぬは
小田原の北条氏政と、東北の雄
伊達正宗だけであった

この時伊達政宗   二十五歳、父輝宗より
家督を継ぎ急速に領地を拡大していった

殿、太閤殿下より書状が参っておりまする
急ぎ小田原に、参上せよとの事で御座います

如何、取り計らいましょう

構わぬ、捨て置け、秀吉臆するに足りぬ
元はと言えば、信長公の小姓上がり

何の恐れる事があろう

正宗にそう言わせるのは若さからか
それとも溢れる出る力からか

しかし天下の情勢はそれを許さなかった

小田原城陥落が決定的になり、天下は
完全に秀吉の物となった、残るは伊達家のみ

もはや逆らえぬ、意を決した正宗は
小田原に向かう

秀吉の前に現れた正宗を見て、居並ぶ諸将は
驚きの声を挙げた

何とした事、その装束は!

正宗は、死に装束(白装束)で現れたのである

太閤殿下、御尊顔を拝し恐悦至極に御座います
遅参の段、申し開きようも御座いませぬ

如何なる御沙汰あっても、この正宗
謹んで、御受け致す所存

何卒、御存分に

正宗の口上を聞く秀吉は、この若き麒麟児の
力量が並々ならぬ事を、感じていた

そちが正宗か、噂に違わぬ器量じゃ
それにしても運の良い奴

もう一刻、遅れておったら   そなたのそっ首
胴体から離れておったわ

ははっー!

これ以後、秀吉は正宗を厚く遇した
しかし牙を抜く事も忘れなかった
領地の半分を取り上げたのである

もはや戦国の世は終わり、己の野望は
叶わぬと得心した正宗は、黙って従う
他はなかった

正宗に再び好機が訪れたのは、秀吉亡き後
徳川家康と石田三成が反目し、相争う事態に
なった時であった

家康が上杉討伐に向かう間隙を縫って
三成は京で兵を挙げる

これを聞いた家康も急遽京に向う
事は一刻を争う、後れをとれば
三成と上杉勢に挟撃される恐れがある

誰ぞ、筆を持て!

只今!

家康は正宗に書状をしたため、背後から
上杉を撃つよう催促したのである

伊達殿の参陣あらば   心強き事この上無し
事成就の暁には、百万石を持って遇する所存

即刻、御出陣を

正宗は思慮に耽る

家康と三成の争いは長引くやも知れぬ
しかし何れは家康の天下となろう

ここは家康に与力するが得策、万一戦いが
長引けば、これぞ千載一遇の好機
東北を平定し百万石はおろか天下を動かせよう

しかし正宗の思惑は当らなっかた、両軍が
激突した関が原は僅か一日で終ってしまう

正宗は約束を盾に家康に百万石を要求する
しかし家康は言を左右にして、聞き入れない

もし要求を呑めば、それは虎を野に
放つようなものだったからである

又もや正宗は煮え湯を飲まされた
仙台に移幇を命じられた正宗は決意する

百万石は我が手で、成し得よう

それ以後、荒地を開墾して新田を作り
北上川の流れを変える大事業を行い
豊かな国造りを目指したのである

それは長い道のりであった、二十年に及ぶ
苦難の末仙台一帯は、日本でも有数の
穀倉地帯となった

正宗は、果たせなかった天下取りの代わりに
彼の地に豊穣をもたらした

正宗没して百年余り、繁栄を謳歌する
江戸庶民の旺盛な食欲を賄ったのは
仙台米であった

それは、全消費量の三分の二に達したと
言われている

独眼流正宗、百万石の夢は、正夢と
なったのである
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