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> 余談(民主主義) >aoiparrotさん

投稿者: uumin3 投稿日時: 2002/09/24 15:40 投稿番号: [1354 / 230347]
  aoiparrotさん
  私がこの裁判のニュースから考えた雑考には大体二つのものがありました。

  一つは民主主義って何だろうという疑念です。
  ここで大上段に「民主主義論」をやるつもりも能力もありませんが、一つだけ言えるのは、
民主主義が出てきた歴史的背景には、「少数の強者」による「圧倒的多数の弱者」に対する
支配という構図があったのは事実ではないでしょうか?
  つまり、少数の強者の専制を多数の弱者がひっくり返して、それで多数の民衆のための政治
をはじめようとするのが民主主義の起源ではないかと…
  その考え方を正当化したのが究極的には「数の論理」(多数者の幸福が優先されるべき)だっ
たおかげで、それが今の多数決の原則につながっていると思います。民衆に政治を執る正統性が
与えられたのは、あくまで数的優位という理屈からだったのではなかったでしょうか?
  だとすると、多数者に対して異議を唱える行為(環境問題でも何でもご想像ください)という
のは、民主主義モデルからすると根本的に「馴染まない」行為なのではないでしょうか?
  民主主義は、「正義だから」という観点で、誰かに意見を通すことを保証しているわけでは
ないんじゃないか、と思うのです。

  少数の意見を聴くのが民主主義などというのは、本来的なものじゃないのでは?むしろそれは、
民意を聴くという点では優先されるべき手続きとは考えられますが、結局より多数の者の幸福と
いうところに落としどころをもっているのが、この民主主義という政体なんじゃないかと…
  無条件無批判に「民主主義最高!」とばかり言ってられないような気がしました。

  もう一つは「国」を外部のものであると当然のように考えさせられてきた私というもの。
  これには、江戸期以前からの「お上意識」っていうものと、戦後の「反体制側の見方」の
両方が絡んでいて、そうそう簡単なものではないでしょうが、実は真っ当な考えからすると、
国のやることには選挙権のある私にも当然責任があって、その権利は真剣に行使しなければ
いけないんだ、ということになるはずなんじゃないかと…

  ただしここには大きな「穴」があって、日本国憲法第十五条第四項「(前略)選挙人は、その
選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」っていうのが「落ち」なんですよね。つまり
どんなひどい奴を選んでも、投票したわれわれは免責されるという、徹底的な無責任が保証され
ていたりするわけです(笑)

> こうした不幸なご当人達を自らの政治目的やイデオロギーの為に利用しようとしている人間や
> 集団が存在するのではないか

  いや、見え見えかな、とも思います。いますよ、そういう輩は…
  情けない限りです。

  さて、雑談メインになると、根拠を示して議論してくれと他の人に向けて言った言葉が、天から
自分に落ちてきてしまいますのでこの辺で切り上げます。それでは。
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