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よいこさんへ

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2005/09/02 14:45 投稿番号: [11594 / 230347]
<日本人の潜在的行動規範についての私の考え>
日本では、縄文後期、弥生時代から稲作農業が主要生産手段であり、経済の中心ですた。
弥生時代の水田の水の管理(水位監理)はmm単位で行なわれ、背景としての土木技術がありました。
この稲作農業では、田植えから稲刈りまで、同時期に行なわねば収穫ができず、大規模感慨施設も、集団で行なわねばならず、人々を組織化していきました。
  後代、大陸から儒教が導入されると、特に支配階級である武家において、この儒学が徳育の基礎となりました。
日本では大陸での解釈と違い、その忠と考の考えで孝行よりも”忠誠”に重きをおき教育が行なわれました。
  私は、よいこさんが”上からの権力”と称してるものは、集団(直属)への忠誠心ではないか、と考えます。
最近の官僚の行動を評して「省益あって、国益なし」と言われるのも、ここから来てるように思います。
江戸時代でも、馬鹿殿を座敷牢に幽閉し、城代家老が実権を握るケースもままあり、認められてたようです。
このケースでは、忠誠の対象は”藩”と言う”法人格=組織=侍仲間”です。
戦前・戦中でも、職業軍人のほうが民間人より天皇陛下をないがしろにしていたところがありましたよね。
この職業軍人たちが忠誠を誓っていたのは、大日本帝国なのか陸軍・海軍(組織)だったのか?
職業軍人が自分達の利益を追求できる状況は戦争(国家をも戦時体制で、支配下における)であり、だから戦線の拡大に積極的だった。(そこには統一的戦略など無かった。満州事変以後、北支平定、ノモンハン、仏印進駐・・・)


私も法律の専門家ではないので、よくわ判らないのですが、米国制度では、法案提出権限は議員にしかなく、行政側の法案も与党議員名での提出だそうです。
議員の数も少なく、その代わり一人の議員のスタッフが30人程度居て、法案作成が可能な体制だそうです。
法体系も上書き型で、具体的記述で、過去の条文との齟齬があった場合でも、その適用解釈は司法が担うようです。
  ここで、官僚は行政側だけでなく、議会側にも存在する体制で、官僚たちは政府とシンクタンク、大学研究室を行き来(落選と政権交代で)するそうです。


封建時代や戦前と異なり現在の日本は、生産手段組織と生活組織が分離し、生産手段組織でも多様になりつつある。
この状況では、個人は多様で、多重の組織化(属性)が存在し、一つの組織に前人格と生存基盤を依存するような状況ではありません。
しかし、実在の個人は、この多重の組織からの既得権益をもっており、一面では拘束もあるわけです。
したがって全員が、売れっ子の芸術家のように、自由に発言が可能なステージ上に住んでいる訳でもないのです。



>私の記憶では権力への国民的反抗は'60年
>安保闘争、学園紛争くらいだったでしょうか。

社会主義(一方の権力)からの影響下で、その政治宣伝のもとに踊らされたイベントです。(生活がかかっていない学生中心の)
特に70年安保はベトナム戦争という状況でね。
現実に、べ平連は自由を求めるボート・ピプルに冷たく、後のポルポトの虐殺を問題視することもなかった。


>それ以後はすっかり影をひそめてしまったのは、その時の政府が話し合いによる解決ではなく力づくの解決を強引に推し進めたから、ではなかったのか、と思っています。


それは、中心となった連中が、学生生活が終わり、就職して実生活に就いたからですよ。
最初、燃え上がったのは、社会もベトナム戦争には疑問も持ち、公害問題・都市と地方の格差なの高度成長の歪が顕著に現れてきた状況だったからですよ。
これら社会問題が解決に向かい、目処がみえれば、イベントは終わります。
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