>あっとこさんへ2
投稿者: attoko12345 投稿日時: 2005/08/23 22:39 投稿番号: [11263 / 230347]
>ネット情報によるとやはり、天皇の始祖は朝鮮の3国時代の百済、任那(現地で二ムナと読む。意味は王の故地を意味する)地方が出身地であったようだ。
どのネット情報か知れいませんが、まず捏造でしょう。
>明人天皇も数年前、「南朝鮮とは親戚に当たる」という言葉を表明しています。
>しかし、なぜこれだけ状況証拠があるのにかかわらず、日本史には天皇の始祖に関する明確な記述がなく、空白になっているのか、謎だ。
日本書記には桓武天皇の后が百済の女性であると記載されています。
今上天皇はそれを踏まえて、朝鮮にゆかりを感じていますといったのであって、
「南朝鮮とは親戚に当たる」というのは秘密でも何でもありません。
日本史に興味がある人は誰でも知っています。天皇の始祖が不明なのは更にその前であって、神武天皇の由来のほうです。神武天皇は半ば神話の人で実在さえも信じない学説が主流でしょう。
私はこの点は異端で、
安本美典氏の学説を信じています。
いわく、卑弥呼は天照大神で邪馬台国は北九州、神武天皇の頃大和に東遷した。
安本美典 卑弥呼のなぞ 講談社現代新書、高天原のなぞ 講談社現代新
安本美典はインターネットで引くとでてますよ。
歴史時代をさかのぼると、
縄文時代は13000年前にさかのぼります。縄文は東北地方で栄えたのですが、最古の遺跡は鹿児島(上の原遺跡)から出てきます。そのため南方起源と考えられており、言語学から現在の華南以南、もしかするとハワイ、ポリネシア、ミクロネシアに移動した原マレー人かも知れないのですが、是といった学説はないようです。漠然と華南以南の民族とされています。
いま、上野の博物館で縄文ー弥生展示会が行われていますが、最近は弥生時代は紀元前800年くらいからゆっくり始まったようです。弥生人はまず間違いなく中国で、華南地方から来たようです。
中国というと黄河文明と思いがちですが、黄河文明は小麦作で米はできません。揚子江の流域に黄河文明に先立ち良渚文明という稲作文明が発見されています。
長江文明の発見 徐朝龍 角川選書
紀元前4000年くらいです。エジプト文明に匹敵します。この文明は水害で滅びたといわれ、一部の生き残りが黄河流域から山東省あたりまで非難し、一部は黄河の流域の異民族と戦闘融合し、黄河文明が起きる。
他方、一部が直接黄海を渡るか、山東省型朝鮮半島の南部を経由して日本に稲作を伝えた。日本の稲作が朝鮮半島を経由したかどうかがなかなかはっきりしないのです。
区の地の百済周辺と北九州の稲作遺跡はほとんど同時らしいです。
ただ、米の遺伝子の研究からどうも朝鮮半島は経由しなかったらしく、日本と朝鮮半島南部は結びついていなかったようです。別々に伝わった。
日本に来た稲作民族は縄文人とは違う民族で日本では混血して日本人になりました。縄文人は東北、北海道、南九州では混血が少なく、縄文形質を強く残しています。
弥生人が多いか少ないか、議論の分かれるところで、最近は多かったという学説が強い。
一方、弥生人は朝鮮半島にもいったでしょうから、弥生人は朝鮮南部と北九州は同一民族といってよう、中国の歴史書は両者をまとめて「倭人」と呼んだのではないかと思います。
紀元前0年くらいから北九州の倭人国家、百済の前身国家、任那の前身国家が独立して出てきたのか?同一の国家としてできたのか?ここが歴史書では分かりません、記録がないし、遺跡の研究も少ない。
後の朝鮮を統一する新羅はいまの慶尚道あたりで、稲作民族ではありません。北方の狩猟民らしいので、日本人との関係は不明です。
邪馬台国は紀元後三世紀の国、倭人の国とは言われていますが、卑弥呼が朝鮮半島から着たと言う言い伝えはありませんが、スサノオノミコトが朝鮮から来たという伝説はあります。支配者が朝鮮半島から来たというのはありうることですが、照明は困難でしょう。
更に5世紀頃大和に前方後円墳がでてきますが、前方後円墳が朝鮮にもあるという話があります。前方後円墳は間違いなく大和起源で、それなら5世紀に大和朝廷が南朝鮮に進出したろうと言う考えも成り立ちます。
>近代の日本が朝鮮を侵略するず〜っと前の古代ですでに日本領土が彼ら帰化人によって支配地とされていた、
現代と直接結び付けないほうがいいですよ。誤解を招く。
どのネット情報か知れいませんが、まず捏造でしょう。
>明人天皇も数年前、「南朝鮮とは親戚に当たる」という言葉を表明しています。
>しかし、なぜこれだけ状況証拠があるのにかかわらず、日本史には天皇の始祖に関する明確な記述がなく、空白になっているのか、謎だ。
日本書記には桓武天皇の后が百済の女性であると記載されています。
今上天皇はそれを踏まえて、朝鮮にゆかりを感じていますといったのであって、
「南朝鮮とは親戚に当たる」というのは秘密でも何でもありません。
日本史に興味がある人は誰でも知っています。天皇の始祖が不明なのは更にその前であって、神武天皇の由来のほうです。神武天皇は半ば神話の人で実在さえも信じない学説が主流でしょう。
私はこの点は異端で、
安本美典氏の学説を信じています。
いわく、卑弥呼は天照大神で邪馬台国は北九州、神武天皇の頃大和に東遷した。
安本美典 卑弥呼のなぞ 講談社現代新書、高天原のなぞ 講談社現代新
安本美典はインターネットで引くとでてますよ。
歴史時代をさかのぼると、
縄文時代は13000年前にさかのぼります。縄文は東北地方で栄えたのですが、最古の遺跡は鹿児島(上の原遺跡)から出てきます。そのため南方起源と考えられており、言語学から現在の華南以南、もしかするとハワイ、ポリネシア、ミクロネシアに移動した原マレー人かも知れないのですが、是といった学説はないようです。漠然と華南以南の民族とされています。
いま、上野の博物館で縄文ー弥生展示会が行われていますが、最近は弥生時代は紀元前800年くらいからゆっくり始まったようです。弥生人はまず間違いなく中国で、華南地方から来たようです。
中国というと黄河文明と思いがちですが、黄河文明は小麦作で米はできません。揚子江の流域に黄河文明に先立ち良渚文明という稲作文明が発見されています。
長江文明の発見 徐朝龍 角川選書
紀元前4000年くらいです。エジプト文明に匹敵します。この文明は水害で滅びたといわれ、一部の生き残りが黄河流域から山東省あたりまで非難し、一部は黄河の流域の異民族と戦闘融合し、黄河文明が起きる。
他方、一部が直接黄海を渡るか、山東省型朝鮮半島の南部を経由して日本に稲作を伝えた。日本の稲作が朝鮮半島を経由したかどうかがなかなかはっきりしないのです。
区の地の百済周辺と北九州の稲作遺跡はほとんど同時らしいです。
ただ、米の遺伝子の研究からどうも朝鮮半島は経由しなかったらしく、日本と朝鮮半島南部は結びついていなかったようです。別々に伝わった。
日本に来た稲作民族は縄文人とは違う民族で日本では混血して日本人になりました。縄文人は東北、北海道、南九州では混血が少なく、縄文形質を強く残しています。
弥生人が多いか少ないか、議論の分かれるところで、最近は多かったという学説が強い。
一方、弥生人は朝鮮半島にもいったでしょうから、弥生人は朝鮮南部と北九州は同一民族といってよう、中国の歴史書は両者をまとめて「倭人」と呼んだのではないかと思います。
紀元前0年くらいから北九州の倭人国家、百済の前身国家、任那の前身国家が独立して出てきたのか?同一の国家としてできたのか?ここが歴史書では分かりません、記録がないし、遺跡の研究も少ない。
後の朝鮮を統一する新羅はいまの慶尚道あたりで、稲作民族ではありません。北方の狩猟民らしいので、日本人との関係は不明です。
邪馬台国は紀元後三世紀の国、倭人の国とは言われていますが、卑弥呼が朝鮮半島から着たと言う言い伝えはありませんが、スサノオノミコトが朝鮮から来たという伝説はあります。支配者が朝鮮半島から来たというのはありうることですが、照明は困難でしょう。
更に5世紀頃大和に前方後円墳がでてきますが、前方後円墳が朝鮮にもあるという話があります。前方後円墳は間違いなく大和起源で、それなら5世紀に大和朝廷が南朝鮮に進出したろうと言う考えも成り立ちます。
>近代の日本が朝鮮を侵略するず〜っと前の古代ですでに日本領土が彼ら帰化人によって支配地とされていた、
現代と直接結び付けないほうがいいですよ。誤解を招く。
これは メッセージ 11225 (yoikowaruiko356 さん)への返信です.
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